■千紫万紅 〜賞金稼ぎ篇 2


□春寒料峭
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 春の早朝はまだまだ寒気が強く、殊に、いいお天気になりそうな日であればあるほど、朝の寒はすこぶる厳しくて。これを指しての“料峭”という言葉があるくらい。

 “…朝、か。”

 薄い和紙を少しずつ剥いでゆくかの如くに、意識が少しずつ鮮明になってゆくにつれ。現うつつの肌合い、明るさや音、そして寒さが、寝具越しにも察せられ。すぐの表に よほど立派な枝振りの樹でもあるものか。勢いのある驟雨に叩かれてでもいるかのような、潮騒のどよもしにもよく似たる、木葉擦れのざわめきが轟いており。その響きがそのまま、冴えた黎明を我が物顔にて駆け巡る、東風こちの強さをも思わせる。壮年殿におかれては、それのみならずのこと、

 “…これは。”

 かつてはこの身を置いていた、渺々たる景を彷彿とさせる風籟でもあって。もう随分と遠くなった戦さ場の、本丸や空母の甲板で。刺すような風の中、たなびく髪や装備の裳裾をなぶられながら、今しも雲間から覗くだろう陽の出を待ったのをふと思い出し。

 “そんなものへと郷愁が涌くとは…。”

 何とも侘しい蓄積ではなかろうかと。それでも誘われるように浮かび上がりかけた意識は…だが。風の音よりもっと存在感のあるものが、身の上へのしかかって来たのを察知して。何への名残りか、ゆっくり瞼を上げたれば。予想があったそれより至近に、人の顔が待っており。

 「………久蔵。」
 「…。」
 「そうやって乗るのは、
  出来れば勘弁してくれぬか。」

 確かに彼とは体格に差があって。互いの向背を預け合うよに、背中合わせに構えると。こちらの身体の幅の陰へ、肩から腰からすっぽり隠れるほどの、痩躯の君だと知ってはいたが。かてて加えて、まるで天女か羽衣か。重量というものがないかのように、たいそう軽いということも。日頃から膝に上がられるのが常なせいで、重々承知でいる相手だが。

 「重いか?」
 「いや。」

 重さは難ではないが、これでは起き上がれぬのでな、と。たいそう間近から覗き込んでくる赤い眸へ、目許を細め、愛おしげに笑んで見せた勘兵衛だ。いっそ腹へと跨がられているのなら、そのまま身を起こせもするのだが。丁度 猫が炬燵の上へ乗るかの如く、両脚を膝から折り畳んでの、その身を小さく丸めるようにして。仰臥していたこちらの胸板から腹にかけての上、うずくまるように ちょこりと、全身で乗っかって来られると。体の構造上と、それから、彼が転げ落ちてしまうかも知れずで、起き上がることが出来なくて。

「〜。」

 あまり表情は動かぬが、慣れた勘兵衛には渋々だと判る態度にて、少しほど身を起こすと足を降ろしての跨がり直せば。それを合図にむくりと起き上がって来た壮年殿の、双腕の中、懐ろへ。薄い布団ごとあっさり取り込まれてしまったものだから。
「…っ。」
 捕まえた手際の何とも鮮やかだったことと言ったらなく。呆気にとられてか、ぽかんと見上げてくる素の顔も一瞬。ふふと愉しげに微笑う連れ合いの、実はとうに覚醒していたらしき様子へと、

 「〜〜〜。」

 むうとむくれつつの、そのくせ。目の前の胸板へ頬を埋めて来る甘えようの衒いのなさよ。礼法作法を身につけていてのその上で、奔放なところが多い久蔵なのは。若さゆえかそれとも、人との和合に縁が薄かったせいだろか。その稚いとけなさへこそ、甘やかな愛しさを覚えてしまう勘兵衛としては、

 ―― ああでも昨夜は、
   同じこの彼が
   なかなかに艶ある態で
   いたのだが。

 早春の甘やかな宵闇の中。湯上がりであったがために、仄かに頬を染めていた彼が、その痩躯へまとっていたのは宿衣の小袖。日ごろは立った襟に隠れているうなじの細さや、胸元へ鋭角に切れ込む衿元の、やや思わせ振りな合わせ目の陰や。袖口から肘近くまでを覗かして、無造作にもあらわにしていた腕のなめらかな肌なぞが。有明のみという朧な明るさの中にあっては、何とも言えず妖冶に艶で。小さな白磁の盃をその指先に捧げ持ち、ほれとつがれた甘い酒、ちろりと舌で舐めてみせ。気に入らねば盃ごと突き返すものが、昨夜は甘く濡れたる口許ほころばせたものだから。夜寒の風も気にならず、差しつ差されつ過ごした一夜。そんなやくたいもないことを思い出しつつ、

 「何か話が
  あったのではないのか?」
 「…っ。」

 起きてと言いたいがため、ああまでの乗っかりようをしたからには、よほど急いていたに違いなく。とはいえ、情人の懐ろの温みに捕まり、そのまま大人しくも虜となっておれたほどの身。焦る様子は欠片かけらもないまま、

 「…。」

 勘兵衛の懐ろからこちらを見上げていた視線をだけ、ついとなめらかに、外へと向ける彼だったりし。顔が後から追うような、堂に入ったる落ち着いた様子は、さながら舞いの所作のようでもあって。そんな視線に誘いざなわれ、こちらもそちらを向いたれば、

 「…お。」

 室内が妙に寒かったのも、風籟の音が大きかったのも道理。庭に向いた側の間口を全部、板戸も障子戸も諸共に、左右に大きく開け放っており。室内の薄暗さを白く四角く切り抜いた、枠のようになっている戸口の向こう。黎明の仄白さにも大きに勝(まさ)って、

  ―― 風に揺られて大きく小さく、
    梢が揉まれる様はそのまま、
    正に緋色の波濤のように。

 まさに たわわとしか言いようがないほどの密度にて、そのほとんどの枝へ隙間なくのみっちりと。可憐な花々まとわした、立派な大樹が泰然と据わっている。山吹や椿や、つつじに芝草、萌え初めの様々な緑を従えて。ソメイヨシノではなくのコデマリか、淡い緋色がなのに冴え映え。今は彼の天下であると言わんばかりの威容が、何とも言えずの圧巻であり。

 「…さくら、か。」

 背丈はないが、その分だけ横へと平らかに。枝振りに幅があるのが、いよいよ豪奢で華やかで。枝々の重なり合った様子がそのまま、花たちに埋もれた空間へ奥行きを作っての趣きも深く。
“そうか、この樹から…。”
 昨夜の静かな語らいの場へ、どこからか迷い込んだ花びらが、数片ほどあったのだけれど。その大元が、寝間の側の、こうまで間際にあったとは。判っておれば花見酒と至ったものをと苦笑をし、そのような太平楽な想いへこそ、苦言の一つも零されようかと、依然として懐ろにある、連れ合いのお顔を見下ろせば。

 「…。//////////」
 「? いかがした?」

 こうまで間近にありながら、だのに…視線も意識も桜花に奪われていた勘兵衛だったと。放り出されていたも同然だったとばかり、常の彼ならさぞかし憤慨しているところだろうに。それが今は、彼の側もまた…何を見てのことなやら、ずんと満足そうなお顔をしておいで。どうかしたかと問われて言うには、

 「シチが、言うておったの、
  思い出した。」
 「七郎次が?」

 うんと、稚くも頷首して。勘兵衛がその精悍なお顔の顎へとたくわえた、剛いお髭へ手を延べ、指の腹にてすりすりと、撫でさすったりする彼であり。七郎次といえば、今は虹雅渓においでの、久蔵の敬愛するおっ母様…じゃあなくて。(苦笑) 多くを述べずとも全てを心得ていてのその上で、水をも洩らさぬ周到さにて、上官だった勘兵衛への滅私奉公を極めていた、金髪白皙の元・副官殿。機転も利いて知恵者で、人心掌握への手筈の緩急もよくよく心得た、そりゃあよく出来たお人だったが、

 『勘兵衛様の御為(おんため)と、
  物事の勝手を定めていたからですよ』

 不遇の中で叩かれ続けたお人はそれだけお強い。ただ寛容なだけじゃあない、あの何もかもが歪んでいた時代にあって、秀でた軍師でありながら不器用なくらい頑迷でもあったため。その人望を上からは睨まれての随分と、報われないお立場を強いられてもおいでだったのだけれども。そんな苦境にあっても決して俯くことはなく、ただただ雄々しくいらした御方。ホントの強さを教えてくださった、そんなお人に心底惚れて。そんな勘兵衛様から褒めてもらおう、お役に立とうという欲があっての仕事だったから頑張れたのだし、
『喜んでもらうことがそのまま、アタシの“嬉しい”だったから。』
 だから、どんな我慢も辛抱も何ァ〜んにも苦ではありませなんだと、けろりと微笑っておいでだったおっ母様。

  ―― 好きな人、
    大切な人の“嬉しい”は、
    自分にも嬉しい。

 それを堪能出来るのならば、自分が二の次になってもいいというお言いよう。聞いたそのときは、どうにも理解出来なかった久蔵だったのだけれども。それが今、自分にも判ったと、何とも無邪気な言いようをする紅胡蝶の君で。大好きな母上の想いを体感出来たのが嬉しいか。それとも、魂を奪われたんじゃあないかというほど、桜に見ほれていた勘兵衛の様子が、なのに自分にもまたほこほこと嬉しかったと。大好きなお顔がウットリしていたその穏やかさ優しさを、自分の手柄で導けたこと、実感しての欣喜の態か。他人にはやはり判りにくかろ、ご機嫌な彼であることへ、

 “…そのような顔をしおって。”

 日頃は研ぎ澄ました刃のような気配を帯びた風貌が、今だけは甘やかにまろやかに和んでおいでの久蔵へ。その昔にはあの槍使い殿へも、そんなお顔をさせてたくせに。今の、この彼へだけ気づいてやっての、我のものではないのかと秘やかながらにやきもきしている。春寒よけの懐ろネコさんをお膝に見下ろす、そんな御主の朴念仁さ加減への、もしかしたならこれもまた、おっ母様からのささやかな意趣返しになるのやも? 性懲りもない人達ですねと思うたか。遠い昔日にも見た光景へ、もの言わぬ花たちまで、くすすくすすと咲き笑うばかり。






  〜Fine〜


 08.02.〜4.03.


“料”は肌に触れる撫でること、
“峭”は険しい厳しいという意味で、
その2つから成る“料峭”とは、
冷たい風を指し、
主に春先の
冷たい風や寒さを表すときに使われます。
いまだに『広辞苑』だの
英和辞典だの季語集だの、
重宝がって身近に置いてる変なおばさんは、
お部屋にも
ドレッサーの代わりに
蓋式の書き物机を置いたまま。
みんな、こんなややこしい大人に
なっちゃあダメだぞ?(笑)



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