短篇小話 3


□不思議なできごと
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 目覚めてからのこっち、拾うあれこれ全てが、そうとしか思えないものばかりではなかっただろうか。

 「…? どしました?」

 相手の衣紋へきゅうと掴まったのを見やった、自分の手はやはり小さくて。どう見たってこれは、5歳にもならないほどの幼児の手だ。さっきの駆け足が不安定だったのも、脚の長さや重心バランスが、幼児のそれだったからではなかろうか。顔を上げて相手を見上げると、

 「??」

 んん?と見やって下さるのは、大好きなおっ母様の若々しいお顔。青い瞳に細い稜線がすっと通ったお鼻。色白な頬。結っていないと肩より下まですべる真っ直ぐの髪。

 「…シチ。」
 「はい。」

 何ですか?との応じ方も、いつもと同じなのに。結い上げてはいない金の髪が、小首を傾げるとさらりと流れて、ああ其処だけはいつもとは違うかな? 懐ろへと抱き上げられての、こちらが小さいからこそ くるりと全身をくるみ込まれている。そんな安心感が何とも心地いい。

 「…。」

 ぽそり、頬を胸元へと埋めるようにしてくっつければ。これもいつもより少し大きくなってる、でも綺麗なままの白い手が。よしよしといつまででもお背(せな)を撫でてくれるのがホッとする。………と、

 「…勘兵衛様。」

 頭上からそんな声がして、おやや?と見上げた先で、七郎次がお顔を向けたのは、縁側の先の庭の方。こちらも同じように見やれば、さっき彼がやって来た方向から、庭先をやって来たのが、

 「…シマダ。」
 「ええ。勘兵衛様ですよ。」

 小さい子供へと、ただ“よく言えました”と褒めるだけの口調ではなくて。お帰りになられてあなたも嬉しいのですよねと、そんな同調も含まれた暖かい声音。

  ― うん。嬉しい。

 頼もしくも精悍な、野放図な精気と、それから。それでいて粗雑乱暴ではなく、懐ろの尋の深い、安定のようなものを備えたる存在感と。べったりと始終一緒という意味ではなくの、でも、いつも傍らにあってほしい人。
「どうした、キュウゾウ。」
「いえね、今お昼寝から起きたばかりで。」
 大人しく抱き上げられているのは珍しいことならしく。そうかそうかと、やはり大きな…これは元々そうだったが、骨の立ったごつりとした手で、髪を撫でてくれる島田であり。こっちからも手を伸ばして、胸元へと零れていた蓬髪を一房、きゅうと握れば、微笑ましい悪戯へ くすりと微笑う。

 「…。」

 目許にこんな笑いじわがあったかな。ああそうか、こっちを向いてる時に見てる機会が少なかったから。何処かよそへと視線が向いてるときばかり、じっと眺めやるお顔だったから。こんなやさしくやわらかく、笑み崩れるんだなんて。こんな形で発見しようとは思わなかった。
「んん? いかがした?」
 じぃっと見つめれば、瞬きしながら案じてもくれる。こんな風にこちらを向いて笑ってくれるときだってあったのに、恥ずかしいやら照れ臭いやらで、これまで片意地張ったような素振りでそっぽを向いてたな。勿体ないから もう辞めよう…出来るだけ。
「今日はお早いお帰りでしたね。」
「うむ。」
 何処ぞかへ仕官でもしているものなのか、腰へと帯刀しての外出だった彼であり。それにしては着ている衣紋が、いつものあの、くたびれた白い羽織と内着に筒袴というのは どうだろか。こんな縁側から靴を脱いでの上がり込み、
「近々、〜〜まで運ぶことになる。」
「おや、そうなんですか?」
 ちょっとした遠征ですね。ああ、しばらく戻れぬが留守は任せたぞ? 使用人なんて大仰なものは居ないらしくて、さっき久蔵が出て来た部屋へ今度は3人で戻ると、腕の中からそろり、足元へと降ろされた。そのまま七郎次は勘兵衛の着替えを手伝い始め、襦袢の上に藍染めの縞の単(ひとえ)に袖のない宗匠羽織。ますますの和装がいや映える上背を、無造作にひょこりと低く沈めると、畳の上へ片膝をつき、こちらとの視線を合わせてくれる島田であり。

 「どれ。
  その辺を散策でも
  して来ようか、久蔵。」

 「あれ、
  お疲れではないのですか?」

 御主が着替えた着物を畳みながら、戻ったばかりでおわすのにと言いながらも、強く制すというものでもない口調の七郎次へ。肩越しに男臭い笑みを返して、

 「寝顔に見送られた
  今朝からのずっとを
  逢えずでおったのだ。
  せっかくのいい日和、
  しばし二人で過ごしても
  よかろうよ。」

 幼子の遅寝から、出掛ける彼を見送れなんだということか。お顔をのぞき込まれ、のうと相槌を求められ。深々頷くのみならず、歩み寄っての抱っこをせがめば、おおよしよしと、抱えてくれたのへしがみつく。そのまま彼が立ち上がれば、視界はぐんと上がって高く、間近になった懐ろからは、これもまた大好きな匂いと…顎にはおヒゲ。小さな手ですりすりと撫でれば、同じような撫でられ方をした大きな犬のように、眸を細める島田であり。

 「お出掛けは構いませんが、
  先だってのように
  久蔵の我儘に付き合うのは
  ほどほどにして下さいませよ?」

 おや? 俺が“我儘”だって?

 「塀の上でうたた寝していた猫を、
  動き出すまでなんて
  じぃっと眺め続けてて。」

 昼から出掛けて陽が落ちるまで戻って来ないなんて何事かと、どれほど肝を冷やしましたことか。しかもその原因が猫だとは、呆れて物が言えなかったとやんわり責める七郎次へ、ああ済まぬ済まぬと苦笑を返し、

 「今日は気をつけようぞ。
  なあ、久蔵。」
 「…。」

 お返事だけはしっかりしておりますねと、顔ごと是と頷いた自分ごと、シチが寄り添うように腕を伸ばして来、二人まとめて抱き締める。ああ、いい匂いだな、温かいな。島田もシチも幸せそうに微笑っておる。こんな暮らし方も悪くはないかも。でも、そうなると…島田の妻は古女房のシチの方なのか? 俺は二人の子供ということか?


 それは、


 それって………




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