■千紫万紅 〜賞金稼ぎ篇 2


□紅胡蝶 妖幻桜花舞
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冷酷にして淡々と。いつまでもどこまでも続くかと思われた、それはそれは厳しかった凍夜寒日も。暦をやり過ごすにつれ、日いちにちと刻々春めいて。弥生の月に入れば さすがに陽も長くなり、暖かさに思わず背条が伸びる、穏やかな日々が訪のうて。

 「名ばかりの春でも
  のうなったようだの。」

 よほど極端な北端地域ででもない限りは、春夏秋冬、趣きある四季が一年を通じて巡るこの大陸。種蒔きの支度の都合から、農耕のその始めにと定められたる春の訪れが、そんな暦の上でのみならず、肌合いでも実感出来る頃合いになったその証し。寒さに身を堅くしていた木々の梢に、小さな芽吹きの気配がむくむくと膨らみ。それらが徐々に臙脂の殻を割っての、仄かな淡色にほころび始めると。どういうものか、人の心も妙に華やいでの浮き立つらしく。街道を行き来する旅人の、足取りやら話し声やらも、冬よりずんと、明るく響いての軽やかにさざめいて。

 「お…。」

 砂防服でもある重たげで裾長い外套を羽織った連れの視線が、思わずのことだろう、ついと流れた先をこちらも辿れば。今はまだ冬枯れの名残り、葉を落としたままな枯れ枝の絡み合う天蓋の一点。青みを増した早春の空を背景に、メジロだろうか小さな小さな鳥の影が一つ。小さな首をせわしく動かしながら、ちょこり留まっているのが頭上に望めた。

 「あれは、花の蜜を呑む鳥だ。」

 ウグイスと同じく、里まで降りてくるのは春の木花の開花を追ってのことで。そろそろ咲くぞという匂いか何か、あれには自然と判るのだろなと。仰向いたことで長い蓬髪の丈が少しほど下がり、腰まで届くほどとなった勘兵衛の言に。小鳥よりもそんな彼の背中のほうをばかり見やっていた久蔵が、ふ〜んと、何とも気のない声を返す。春告げ鳥のお仲間の話よりも、ほんの少しでもよそへとその心持ちを向けている勘兵衛の、遠い眼差しや横顔の聡明さが、何とはなく切なくて。

  ―― 常に傍らにあるものは
     わざわざ見ないの?

 この彼を慕っての 寄り添うていた姿も自然なそれで、そりゃあ優しかったあの人は。それでもいいと、傍らにおいでなだけでも夢のようだからと。多くは望まず、ただただ微笑っていたけれど。自分はまだまだ…情というものの味や温みも覚えたての身だよって。到底そこまで寛容ではいられない。

 「…。」

 辛抱なんて知らぬとばかり、白い手をついと伸ばすと。無防備な背中を覆う深色の蓬髪の裾、掬い取ったそのまま、指先に絡めてみる。すると、

 「久蔵?」

 すぐの反応、何か用かと肩越し、勘兵衛が振り返りかけた眼前を、はらはら横切った何かがあって。

  ― これこそ春の訪のいを
    知らしむる使者の筆頭

 ぽかぽかと ぬくい日和をほどよく冷ますよう。そよぎ来た東風の、少しほど涼やかな流れの中へ、白い陰が幾たりか紛れている。流されるままにはらはらと、細かく震えながら躍っているそれは、寒の戻りの風花、名残りの雪か。いやいやこれは柔らかな花弁。どこぞかで気の早い山桜が咲き初めていたものを、悪戯な東風こちが無残にも毟むしってしまった末の来訪者。

 「ほほぉ。」

 これはまた風雅なことと思いつつ、されど。まだまだ寒さの方へと間近い頃合い。それでも咲いた花には何とも無情と。少しずつ収まる風の流れにあそばれ、覚束なくも頼りなく、宙を躍る白い花片へ。こちらは肌へと刻んで染めし、紫紺の六花を覗かす手が伸びて。ひらり訪のうた可憐な欠片を、危なげなくも掬い取る。大好きな手の見せた、何の気もない所作だのに、

 ― ああほら、
   そうやっていつもいつも。
   小さき者へと手を延べようが。

 他愛なくも罪のないこと。だのに彼の手がそれを成せば、相手へも、そして この自分へも罪作りなこと。この自分を差し置いてと、頑是ない悋気を感じて尖ってしまった、こちらの不興に気づいたか。振り返って来た勘兵衛は、小さく微笑うと久蔵の髪へもその手を延べて来て。

 「…ほれ。」

 そこへ引っ掛かっていたらしき、小さな花弁を摘まみ取り。それからそれから、その手が口許へと下がっての、

 「このようなところにも。
  ………と。」
 「…っ。///////」

 緋色の柔らかな口唇、親指の腹で撫でるよに触れてから、ああ済まなんだ、これは主の口であったか。白々しい言いようをし、くつくつと咲笑う。連れが何にか臍を曲げかけていたことをまで、気づいていたのかどうなのか。鈍感無粋な朴念仁が、されど時々、呆気ないほどするりと。こちらの間合いの更に内側という、至近極まりない際にまで、容易く迫っていることも多々あって。今もまた、ちょっぴりささくれ立ってた心情を、実はあっさり拾われていたらしく。そよぎ来た風の運んだ花舞いへ、それは即妙に便乗してのこのお言いよう。

 「…馬鹿もの。////////」

 胸をとんと衝かれての、一旦騒がされた格好にて。気持ちを均され、結句 体よくあやされたと判る。それが口惜しいながら、とはいえ…こちらの気概気性への把握あっての構われようでもあるだけに、そこのところは仄かに甘くて心地いい。いい年をした壮年が何を剽げておるかと窘めながらも、年季の染みた精悍さが匂い立つお顔がふわりほころぶの、こうまでの至近で見られる至福は、他の何物にも代え難くって。風に煽られた髪が、頬を撫でる擽ったさへと誤魔化しながら、目許を薄く伏せてのそのまま。甘酸い想いを噛みしめてみる………。

  ― そんな清かで長閑な
    早春のひなかに、ふと

 風や陽の穏やかさに棹差すような、不穏な気配が仄かに立った…ような気がして。背条を撫でた雑音へ、金髪痩躯の剣豪殿、そのまなじりが鋭くも素早く立ち上がったが、

 「…。」
 「久蔵?」

 勘兵衛には拾えなかった、若しくは意に介すほどではないとした気配。さしたる強さではないのは、それだけ消気の術に長けてのことか、それともさしたる邪気ではないからか。それともそれとも、せっかくの甘い和みに水を差された格好だったゆえ、久蔵には殊に忌々しい存在として癇に障ってしまったものか。

  ―― 誰ぞが、見ている?

 何しろ双方とも男ぶりのいい二人連れなだけに、注視注目ならばどこででも受けている身。片やは、伸ばした蓬髪も雄々しい野性味としていや映える、いかにも鍛え抜かれた屈強な体躯をし、男臭くて精悍で頼もしく。だのに、年経て得たそれだろう、懐ろ深くも粛然と落ち着き払った存在感のある、重厚な渋みが知的な壮年殿と。
それへと添うたる うら若き剣豪は、そんな壮年殿とは正反対の、玲瓏にして妖冶な風貌。金絲の髪に白磁の肌をし、切れ長の双眸は朱に冴えて。真っ赤な衣紋が吸いついた、薄い肩に細い腕。かいがら骨の陰が立つほども華奢な背中をしながらも。幽玄とは此を言うかと一見しただけで得心がゆくほどに、挑発も威嚇もないまま、だというのに…その刃からは逃れ得ぬとの、絶望にも似た冷たい恐懼をまといし存在。この若さで、先の大戦では“死を呼ぶ紅胡蝶”と囁かれたほどもの練達でもあり。そんな偉丈夫と美丈夫の二人連れだよって、人目を引くといや引いてやまぬも致し方なく。だが、

 「久蔵?」
 「先へ。」

 余程の引っ掛かりを覚えた若いのだったか。こちらは…何をそんなに警戒の必要があるのかと、事態を呑めずに怪訝なお顔をするお連れへ。きつい眼差しだけを向けての“先へ行け”と促すばかり。何が何やら、やはり判らぬままながら。だが、一旦言い出すと聞かぬ時のお顔だと、そこはこちらも把握をしており。言われるままに、長閑な街道のやや外れへ向け、少しほど歩調を速めて歩み出せば、

 「…っ!」

 今度こそは、勘兵衛にもその気配が察せられたほどの、強くて勢いのある何物かの気配がし。一斉に飛び出して来て、連れ合いの痩躯目がけ、躍りかかって来たのが肩越しに窺えて。

「久蔵っ。」

 ハッと息を引きつつ振り返ったとほぼ同時、背後の空間が奈落にも似た深い奥行きを保っての、暗転したかのような錯覚を覚えた。またも吹き寄せたる東風が運んだ花雨の舞う中で、

  ―― 斬っっ、と。

 若木のように嫋やかな肢体をしながら、どこへどれほどのそれを秘めておるものか。その身にまとった紅蓮の衣紋の、たっぷりしていての足元まである長い裳裾を、華やかにも大きくひるがえし。鋭くも俊敏な体さばきをもってして、いかにもザッとの右へ左へ。白昼の明るさを、それ以上の鮮やかさで閃いた刃の軌跡、凶悪な銀線が豪と走っての分断する。
素人目には、それは無造作に振り抜いただけの太刀筋に見えたことだろが。背に負うた双刀を、上から下から、一気に引き抜いたそのまんま。鋼の重さを物ともしないで、それぞれ片手のみにて制しつつ、力をためもしないでの無造作に振り抜くこと自体が、そりゃあ凄まじい力とコツの要る一仕事。柄の糸巻きがきちぎちと軋むほどもの握力で絞り上げるよにして握り込まねば、失速した刃が切っ先をどこへ運ぶか判らない。
そうまで厄介で我儘極まりない得物であるというのに…そこまでの力技に慣れているとは到底思えぬ、拳の節々の骨も立たぬほど、綺麗ですんなりした白い手が、だからこそ恐ろしい奇跡を見せた訳であり。しかも、

 「ぐあっ!」
 「がはぁっ!」
 「ぎゃあっ!」

 その一閃には無駄な空振りもない。掴み掛かって来たのは4人の男で、そのどれへも不公平なくの二太刀ずつ。手元を叩き、返した切っ先か若しくは柄の先にての殴打にて、脾腹か背の真ん中を、どんと打っての叩き伏せており。これこの通りという解説に要した数秒さえ尺がはみ出すほどの、瞬殺の太刀一閃。疾風のように通り過ぎたは、ほんの刹那のことであり。ちょいと体を伸ばしてみましたと言わんばかりの呆気なさにて、得物の双刀、再び鞘へと戻した彼へ、

 「…久蔵。」

 向こうから無法にも掴み掛かって来た…とはいっても、どう見たって素人だと判る相手なだけに。本気の刀にて薙ぎ払うのは大人げがなさすぎると言いたいか。渋いお顔になった勘兵衛に窘められるまでもなく、

 「大事ない。峰打ちだ。」

 さしもの久蔵でもそのくらいは察していたらしい。単に峰を返していたのみならず、打ち払った一撃一撃自体へも、力を抜いての気を遣ってやったらしく。下手を打てば肋骨の2、3本も折れていたかも知れない、ああまで咄嗟の空撃ちが、無傷で済んだはこれもまた、彼が途轍もない練達なればこその妙技というもので。確かに斬られたはずなのに、どこにも怪我はないと来て。あたふたしつつもぐるぐると、それぞれが自分の身を見回していた男らへ、

 「……で? お主ら、一体何者だ?」

 人騒がせにも程がある。不意打ちだけでも問題なその上、見るからに人斬り用の刀を帯びた侍相手に、素手で掴み掛かって来ようとは。無謀というより、もはや自殺行為でしかないのだと、首根っこ掴んで言い聞かせたいところの壮年殿。とはいえ、見回した顔触れは、若いのはたったの一人だけで、残りの三人は多少の上下はありそうながらも分別盛りの壮年世代。どこぞかの街の商人だろうか、身なりもそれぞれ小ぎれいで、形式から外さずのきちんと整えており。となると…悪戯っ気からこのようなことしでかしたとは、ますますのこと思えないと来て。一体どこの誰なのか、座り込んだままな彼らを見回し、勘兵衛が問い質ただしたところが、

 「お、お待ち下さいませっ。」
 「どうかどうか、お慈悲のほどをっ。」

 今度こそ斬られると思うての恐怖からか、あわわと尻込み後ずさりした面々、そのまま背後に立っていた久蔵の足元へと背中をぶつけ、飛び上がったり身を縮込めてのうずくまったりするものだから、
「何も取って食おうというのではない。」
 先程の怖いもの知らずにも飛び掛かった度胸はどうしたかと、その変わりようへこそ辟易したらしき勘兵衛の言の後を継ぎ、

 「先の宿場から尾行しておったろうが。」

 日頃 表情の薄い久蔵が、細い眉を寄せ、目許を眇めて、見るからに不愉快という顔をする。どういう企み、下心があってのことか、自分らを注視して来る彼らの小バエのように鬱陶しい気配を、だが、ずっと我慢していた彼だったらしく。いかにもな険しい顔をした彼を見て、男らはますますのこと萎縮を見せる。頭を抱え込むような格好になっての、4人揃って地べたへ這いつくばると、

 「も、申し訳ありませぬっ。」
 「そちらの御仁が…
  用心棒殿が離れたのでと、
  それでの無体ではございましたが。」
 「まさかまさか、
  若様までがあのような
  凄腕であらせられようとは。」


  「「………………。」」


 ちょぉっと待って下さいませな。勘兵衛が久蔵が、揃って絶句しかかったのは、彼らの言いようの中にちょっぴり飲み込みづらい単語があったから。

 ―― 用心棒殿?
    若様って
    一体誰のことですか?





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