■千紫万紅 〜賞金稼ぎ篇 2


□ほろ酔いにて候
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この広い広い大陸でも
ちょいと知られた虹雅渓という街の、
その最下層には
“癒しの里”と呼ばれる歓楽街がある。
戦乱困窮、どんな時勢へでも
欠かせぬものとされながら、
それでも今日びの安寧には、
やはり一段と
艶やかに映えてのにぎわって。
不夜城とは如くのごとしかと見紛うほどに、
燈台行灯、明々灯され。
脂粉の香りも妖冶な美々人、
太夫に天神、打ち揃いての、
訪のう人らを一夜の夢へと誘い惑わす。
そんな妓楼や遊郭などなどが
華々しくも居並ぶ中に、
料理や趣向が小粋と名高い
『蛍屋』というお座敷料亭がある。
元は売れっ子の花魁だったという、
うら若き女将が切り盛りする、
自慢の料理や座敷の趣向で客を呼ぶ店。
太夫を一人も
置いていない訳ではないけれど、
彼女らにしても…
その身を売るより芸事を
見て楽しんで頂くことが至上と、
玄人の粋を叩き込まれている
達者な顔触れぞろい。
口の利きようからさりげなく、
その才気の奥深さを感じ取れなきゃ
とんだ野暮…と。
旦那衆から笑われるよな、
至ってお行儀のいい大店で。



そんな店を支える、
こちらもまだまだお若い男主人との
お知り合い。
久々に訪のうて下さった、
昔馴染みの方々があって。
いづれも個性豊かな皆々様が、
つい最近のすったもんだから、
昔懐かしのあれやこれやまで。
よもやま話にひとしきり花が咲いてののち、
よう食べた呑んだと
小さな宴がお開きとなりて。
遠い座敷の喧噪が、
遠いからこそ寂しく聞こえる、
ふっと静かな宵の中。
有明の柔らかな灯火のみとした
離れの座敷には、
湯上がりの御主のためにと新たに据えた、
米処の生一本の熱燗と
通をうならす肴の膳が待っており。
奥向きの寝間へと寝かされた
お連れの青年は、
早ように潰れての白河夜船。
その枕元から
ついと立って来た色白な美丈夫が、
襖は閉めずに見やった肩越し、
しみじみとした声で言う。

 「それにしても、
  久蔵殿が呑めるように
  なっていようとはねぇ。」

何度もくどいが、
舐めただけで昏倒していたほどに
下戸だったお人。
それが…
何合とまではさすがにゆかぬが、
それでも一応は
盃を空けてのほろ酔い気分、
ほわほわと上機嫌でいたのだから。
これを進歩と言わずしてどうするかと。
母親代わりのようなもの、
日頃からもいろいろと
案じていた七郎次にしてみれば、
感慨も深いところであるらしく。
そんなご意見を垂れつつも、
きゅうと束ねてまとめられた金の髪を
つややかに光らせた頭を回し、
こちらを向いた彼へと向けて、

 「大してすごせる
  それでもないのだがの。」

そんな一言を返されたは壮年の御主。
伏し目がちになってのくつくつと、
小さな笑声、
喉奥でお立てになるのがまた、
惚れ惚れするほど男臭くて精悍重厚。
壮年となられての落ち着きようが、
存在感に深みを与え、
その男ぶりをますますのこと
上げているのが いっそ面憎いほどで。
とはいえ、ぼんやり見とれてはおらず、
ゆったりと大あぐらをかかれたそのまんま、
重たげな手で持ち上げた盃へ
手酌でそそごうと仕掛かるところへ
手を延べて、
ささどうぞと
優美な所作にて丁寧に満たして差し上げ、

 「そうは言っても、
  まるきり呑めぬよりは
  場も弾みましょうよ。」

眠ってしまっているご当人になり代わり、
そんな弁明、七郎次が立てて差し上げる。
下戸の身に酒の席ほど退屈な場はなくて、
ましてや彼らはどちらもが、
何でもない時ほど
あまり口が達者なほうではない。
勘兵衛が寝酒にと ささを嗜む間は、
手持ち無沙汰なそのまんま、
きっと無聊をかこっていた
久蔵だったに違いなく。
そうという想いが容易に至るほど、
かく言う七郎次とて、
さほどに強い訳ではない。
戦さ場には命の洗濯として
酒のからむ場も多かったが、
口が達者で愛想もよかったことが
功を奏しての、
場を盛り上げるという方向で、
何とか過ごさぬように済ませる術を
身につけたまで。
そんな七郎次と違い、
久蔵は余りにも若すぎて、

 “恐らくは、
  大戦終盤の最も苛烈な時期に
  投入されたお人だろから…。”

酒どころか人とさえ、
膝を交える機会はなかったのやもしれず。
あそこまで特化された身でよくもまあ、
戦後十年、
安寧が過ぎての爛熟の世に置かれ、
破綻もないまま永らえたものと、
そっちへ感心してしまう。
その腕のほど、
錆びさせも腐らせもしないまま、
自分を揺り起こすような存在が
やって来るのを、
ただただじっと、
息を詰めて待っていた彼だったのだろうか。

 “あんな凄まじい太刀さばき、
  戦さの間だって
  見たことがなかった。”




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