■千紫万紅 〜賞金稼ぎ篇 4

□逢魔舊森深淵 (おうま ふるもりのふかま)
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濃密な闇がわだかまり、
まるで刻が止まっているかのような、
そんな錯覚を齎すほど。
随分と古い屋敷ゆえ、
柱も傾き、壁も落ち、
あちこちに隙間も生じており、
よって ぴちりと密閉されているでもないはずなのだが。
敷地があるのが鬱蒼とした森の中であり、
かつては栄えていた名残り、
建物の造りも入り組んでいるがため、
崩れかけていても重なり合う部分はまだ多く。
奥向きへ入ればその重なりも増してのこと、
幅の足らない暗幕でも、
互い違いに重ね合えば
それなり闇を生み出せるように、
暗がりは深まり、ますます人を寄せつけぬ。

 「………。」

陽の中にあれば、何とも奇抜と人目を引く風体、
くるぶしまであろうかという深紅の長衣紋も、
背中に
交差させて一つ鞘にて負うた細身の双刀も、
そしてそして、
凍っているかのような無表情も。
この暗がりの中では
他との区別さえ無いも同然の拵えのはずが、

 《 よう来やしゃりましたなぁ、
   お武家様。》

頭上からとも足元からともつかぬ声がした。
明らかにこちらを把握している存在が、
言葉づら通りの挨拶か、
いやさ隠れても無駄だと言いたいか、
そんな言いようを降らせて来たのへと。

 「…。」

返事の必要はないとしたか無言のまま、
だが、歩みは止めて、
多少は暗さにも慣れて来た眸で、
少し先の鴨居辺りを見上げてみる。
この廃屋は、
元は東方の権門が別邸として
使っていたという曰くのある建物で。
床を高く作り、
土や埃を入れぬために土足厳禁とした、
東方にはよくある古風な仕立てで。
ワラをぎっちりと圧縮した厚手の板の表に、
丁寧に編み上げた葦草を張るという、
何とも手間暇をかけた床材を敷き詰めた部屋は、
何層にも重ねた和紙を張られた
引き戸で区分けされていて。
個室や作業用の空間は別として、
奥向きの主人の居室も兼ねられた大広間は、
その周辺の空間を
まるで打ち掛けの裾を広げるように
四方八方へと連ねており。
仕切りの“襖”と呼ばれる板戸を開放することで、
いかような広さにも出来る仕様。
大人数を招いた宴ではすべてを開放して広間とし、
用心しいしい休む折は、
全てを閉ざしてところどこに用心棒を配置すれば、
仰々しい構えをせずとも、
単なる目隠し以上の要衝になる仕組みだそうだが、

 “消気の…?”

薄べり一枚隔てただけという隠れ簑は、
気配を読むに長けた相手には効果がない。
よって、伏せさせる駒には消気の術も必要となり、
そんな一族だったからか、
暗殺や陽動、諜報を専門とする存在も
世に多数輩出したとか訊いてはいたが。

 「……。」

用心のためというよりも、正確を期したいがため、
相手の居場所を探って立ち止まったは、
絞り上げたような痩躯の剣士であり。
切れ長の双眸はさして動かさぬまま、
だが、確かに何かしらの感応でもって、
周囲の気配をまさぐっておいで。
彼もまた幾多の修羅場を踏み越えて来た練達であり、
あの大戦を経験したお人の大半が、
生き延びるため已なく身につけただけというその才や技を、
求道のためでもなく、修養のためでもなく、
強いて言やあ 生きていることへの証明、
手ごたえとして、
大戦が終わってもなお、
鋭くあれよと磨き続けた 異才の君であり。
もはや斬り裂く甲斐ある相手もない
ご時勢となる中にあっては、
戦さ終焉の混乱に乗じて
無体を繰り返していた野伏せりを狩る、
名うての賞金稼ぎとして日々を送っており。

 「……っ。」

昔は張りもあったのだろう畳も、
今や単なる腐れ床に過ぎず。
さほど気張らず降ろした足の下で、
その下の床板ごと軋んでの、
ぎちりという重々しくも湿った唸りを、
不平のように上げてくれた、正にその刹那、

  ― ひょうひゅい
    ひゅんっ、と

幾重にも重なった風きりの唸りが宙を舞う。
様々な方向から方向へ、
それぞれが侭に飛び交った何かがあって。
剣士殿にも油断は無かったろうけれど、
さりとて、
速さも手段も生身の人の為せる仕儀でない攻勢。
この先の、
最深部へは踏み込ませぬとする仕掛けか何か、
予測のつけられぬ暗闇から一斉に飛び掛かり、
踏み込んだ存在を
ぎちぎちと搦め捕っている…はずが。

 「……なっ?!」

お互いにぶつかり絡まり合った、
丈夫そうな捕縄のような仕立ての紐が、
塊となって足元へ落ちているだけであり。
手持ちの龕灯(がんどう)で
それを照らし出しての確かめた存在が、
うっと息を引いたところへと、

  正しく、疾風のような一閃で

衣紋の裾とて、その端がひらりと揺れただけ。
ぶつかりもせずにすれ違っただけのよな、
そんな音なしの通過を為した、
紅蓮の衣紋をまといし青年が通ったその後へ、

 「う。」


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