ビター×スイート
□甘くない現実。
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ふんわりとした甘く香ばしい匂いが鼻を掠める。
俺はその匂いでふと瞳を開けた。
「…寝てた、のか」
どうやら、色々考え事をしているうちにうたた寝していたようだ。
脳裏にはお菓子の家を描いてはしゃいでいる幼い冬麻の顔がちらつく。ああ…俺は、あの頃の夢を見ていたのか。
しかし顔を上げてから、はっとする。
―…此処は、厨房である。俺と父さんがいつも働いている店の厨房。店は厨房と一体になっていて表は店舗である。
今日は父さんが材料の発注のために出払っているから俺一人だ。
そして…オーブンの中でそろそろシュークリームが焼き上がる頃だということを思い出す。
そう。俺は菓子が焼き上がる合間、不覚にも調理台の上で肘を付いてうたた寝していたのだ。
「いっけね…ッ」
俺は慌てて立ち上がると、壁際のオーブン釜を振り返る。
「…あれ?」
しかし、オーブンのタイマーは点灯していない。
釜の扉を覗くと、中身は無かった。俺は確かに釜に入れてスイッチを入れたのだが。
「やっと、起きたかよ。居眠り野郎〜」
と背後から声がした。
「冬麻…」
振り向くと、そこには水色のエプロンを身に付けた冬麻がにやりと笑っていた。
冬麻の髪の色は蜂蜜に近い。耳がかかるくらいの長さで、今は細いヘアバンドで額まで上げている。
髪の色と似た、色素の薄い二重瞼の瞳が爛々としている。二十歳を過ぎても童顔で子供っぽさを残した雰囲気は変わりない。