GX

□それはある夜のことでした
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町の明かりが完全に落ちた深夜。俺はひとり、酔いを醒ますために公園を歩いていた。先程まで友達の家で飲み会をしていたのだ。あの講義はツマラナイ、あの先生は贔屓をするなどの愚痴から始まり、なぜ彼女ができないのか、お前は女から人気があって羨ましいなどの嘆きが大半を占めるようになった頃にようやく抜け出せ、今に至る。


正直人付き合いは苦手だ。他人に気を遣うのは面倒の一言に限る。ではなぜ、飲み会に参加したのか。……ただの気まぐれだ。繋がりは多いに越したことはない。何かあれば利用できる、そんな打算があったのかもしれない。


まだ夏が本格的に始まってはいないとはいえ、夜でも暑いはずなのだが、なぜか寒い。いや、空気が違うと言ったほうが正しいのかもしれない。早く帰ろうと、自然と早足になっていた。

「ねぇ、そこの人」

真夜中に聞くには似つかわしくない、少年の声。迷子か、家出かのどちらかかと思い振り返る。そこにいたのは齢16・7ほどの青年。鳶色の瞳でチョコレート色の髪は盛大に撥ねていた。

「どうしたんだ、迷子か?」

そう問うと首をゆるゆると左右に振る。それもそうか、高校生くらいのやつがよっぽどのことがない限り、迷子になるはずがない

「じゃあ、家出か」

半ば決めつけたように聞くとそれも違うらしい。

「なんなんだよ」

苛立ちながら、このあとをどうするか考えて、警察に連れて行こうかと考えた時、相手が口を開いた。

「お前が欲しい」

先程までは甘い色をしていた瞳はいつの間にか黄金に輝いており、猫の目のようにキュッと細められていた。口元からは異様に伸びた犬歯が窺える。

明らかに人間ではないその様子にじり、と後ずさる。手には大量の汗をかいていた。頭の奥で逃げろと警鐘が鳴り響いているが、思うように足を動かすことができない。
 男が、まるでワルツでも踊っているかような優雅さで一歩踏みだす。
 からからに渇いた喉からは引き攣った声が漏れた。

「逃げるな」

たったその一言で体の自由が一切利かなくなった。足が氷漬けにされてしまったようだ。
また一歩青年が歩を進めた。ふわりと薔薇の香りが辺りに満ちる。
カツンカツンと高らかに靴底を鳴らす。わざとらしいその所作は、しかし全く皮肉気に見えない。
いつの間にか目の前にまで近付いてきていた青年が口元をつい、と持ち上げた。

「イタダキマス」

首筋に犬歯が突き立てられる。苦痛に思わず顔をしかめた。時折ぴちゃりと厭らしい水音が響く。初めは只々痛いだけの行為だったが、慣れてきたのか、はたまたこの青年のせいなのか、快楽を感じるようになってきた。空中を漂っているような心地だ。真っ白な頭は、もっと欲しい、という事以外考えられない。ひたすらに行為の中にある快感を追い求める。


不意に青年が行為を止めた。血を吸われたせいか、少しぼやけた意識の中で間近に見た青年の瞳はどこまでも冷たく、感情が一切窺えない。しかし恐ろしいというよりも美しいと思った。気高く高慢な夜の獣。魅入られるというのはこういう事なのだろう。
 一度瞬きをすると、最初に見たあの鳶色に変わっていた。

「ゴチソウサマ。ありがとう」

にんまりと満足げに青年は言った。

「っつ!」

 意識がはっきりした俺は、とっさに首筋を庇う。犬歯が刺さっていたところは痛くも痒くもない。ほんの数秒前のことが全て無かったことのようだ。

聞かなくてもわかる。こいつはヴァンパイアだ。空想上の生き物としてさまざまな物語に、時に悪役、時に味方として登場する西洋のモンスター。それが今目の前にいる。

「俺は十代っていうんだ。お前は?」
「……ヨハン」

ヴァンパイアに名を名乗る日が来るとは思ってもみなかった。青年改め十代は何かを思案するしぐさを見せた。が直ぐに悪戯っ子が何かを企んだ時の表情をする。

「お前の血、気にいった」

先ほどまでの艶やかな雰囲気はどこへ消えたのか、一転して十代は無邪気な笑顔を向けてくる。

「また来るな!」

すっと暗闇に溶けるように消えていった。
後に残された俺は呆然と立ち尽くす。脳裏に浮かぶのは黄金の瞳と甘い鳶色の瞳、薔薇の香り、そしてあの幼い笑い顔だった。






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