彼方戦記U


□平日のような休日と休日のような平日
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「はうあ?!」

朝から鎮守府に響いたのは、どこか幼い叫び声と、何かが階段を転がり落ちる音。ついで、一拍置いて何かが床に叩きつけられる音。

周囲にいた者が何事かと慌てて駆けつけてみれば、目に入ったのは大階段の下でひくひくと痙攣する男と散らばった書類、紅茶の乗った盆を持って固まる伊一六八、それを庇うようにしている伊一七一。

「あうあ、陸奥中将、大丈夫でありますか?」
「陸奥さん、無事ですか」

自体が飲み込めずきょとんとしている伊一六八と、極めて義務的に問いかける伊一七一。
先程の異音――階段を転がり落ちる音を立てた張本人である陸奥は、苦笑しながら起き上がる。
鼻血が出ている程度で、大きな怪我はない。

「いやー大丈夫大丈夫。いつものことさ。長門が厳しくって仕事が嫌になってねぇ」

ケタケタと笑う陸奥の様子は実際に慣れたもので、周囲の反応もやっぱりかといったものだ。
それどころか、心配して損したとでもいいたげな顔をして自分の作業に戻る者も多い。
おそらくはいつもどおりに部屋から蹴りだされたのだろう。何をしたのか、普段より勢いがつきすぎて階段に到達しただけで。

「ですよね。行こうか、いろは。紅茶が冷める」

いつもどおりだと確認した伊一七一はため息をついた後、その場を立ち去ろうとした。が。

「待ってよ、ひなひちゃん」

陸奥呼び止められ、歩みが止まる。
振り返ったその目は、早くも静かな怒りに燃えていた。
原因は、先ほど述べた陸奥の「通常運転」であり、彼らは知らないが、それこそが陸奥が階段をダイナミックに転げ落ちた理由だった。
ともかくそれを差し引いても明らかに上官に向ける視線ではない。伊一六八のほうは、おろおろするばかりだ。

「なんでしょうか?」
「ちょっと俺とお茶でもどうだい?」

仕方ないから反応だけは返そうという態度を全く意に介さず、笑顔の陸奥から放たれたのは、どう考えても意味ありげな――ありていに言えば、ナンパそのものだった。

「は?」

外見は比較的幼く、ともすればかわいらしい印象を与えるような見た目の彼から発せられた苛立ち、もっと言えば殺意を隠そうとすらしない低い声。

「私は伊一七ではありませんが」
「うん、知ってるよ。間違えるわけないじゃないか」

ちゃんと“ひなひ”と呼んだろう?と陸奥は笑顔のまま、反省も一切見せずに答える。それどころかウインクを追加する始末。
会話はかみ合う気配を見せない。

「ひなひ、落ち着くであります……」

二人に挟まれ、会話には置いていかれた伊一六八は、とりあえず親友を落ち着かせようと、盆を持ったまま間に入る。
が、火花は結局、伊一六八の頭上でばちばちとぶつかった。

「いやー、ひなひちゃんかわいいからさー」
「可哀想な人ですね相変わらず、町で探せばどうです? 馴染みのエスくらいいるでしょう」

極めて混沌とした状態にあるが、何度でも言おう、これが彼の通常営業だ。
ちょっかいの相手がたまたま伊一七一だっただけで、別に誰が相手だろうと関係はない。

「嫌だなぁ。そんなの君だって」
「やめてくれませんか」

最後まで言わせてたまるかと言わんばかりに遮り、もはや相手するのが嫌だと、首を振る。

「やはり時間の無駄でしたね。いろは、そ……?」

いつの間にやらいなくなっている友人の姿に、伊一七一は熱くなりすぎたと反省する。が。

「痛!」
「え」

伊一七一の反省の最中、衝撃音とともにぐらりと揺れ、倒れる陸奥。
誰かに支えられることはなく、そのまま床に倒れたその頭には見事なたんこぶができている。
その横にあるのは、訓練用の模擬砲弾。

「いい加減にしろっつーの」

ため息と共に現れたのは榛名だ。
象徴と謳われた大戦艦である陸奥をなんの躊躇いもなく「砲撃」した榛名は、傍らの伊一六八に、全くだよなーと視線を送った。ためらいがちに、しかし何度も頷く伊一六八。

「ひなひ、ホーネットがくるっつったのに遅いから迎えにいったれ。くだらない理由だったら沈めてもいいぞ」

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