彼方戦記U


□海の見える街、桜の国。
1ページ/9ページ

 空は澄み渡り、海は蒼く広がっている。
その青に映える桜の薄紅は、美しい風景画を見ているような錯覚さえ覚えた。

 実際はといえば、普段となんら変わらない、毎年見かけるいつもの景色。
それなのになぜ特別に感じたかといえば、おそらくハレと呼ばれる特別な日、祭りという雰囲気による補正作用だろう。

 国旗にも帽章にも描かれ、大日桜帝国の象徴として親しまれる桜の、満開に咲き誇る季節。
その名所中の名所とされる桜木神宮で開かれている花見の祭りはもはや宴と呼べる大盛り上がりで、ほとんどがはめをはずして日常と非日常の狭間を楽しんでいる。

 春とは冬との対比もあり、元来にぎやかな季節ではあるが、そこに桜の魔力のようなものが上乗せされているのかのようだ。
ということは、桜を別に嫌いでも好きでもないと思っている榛名も、きっと無意識のうちに好いているのかもわからない。

無意識とは恐ろしいものだ。慣習となったものはこの無意識の下に組み込まれる。
あるいは精神的なものもそうだろう。精神に刻まれた日桜帝国への帰属意識が、無意識のうちに存在し、その一端が桜への特別な思い入れを持たせるのかもしれないのだ。なんとなく、そんな考察をしてみる。

なんとなく考え、なんとなく思い、なんとなく想像するというなんとなく思考は榛名の趣味だ。
生産性とは無縁の実に無意味な考え事ではあるが、その無意味さと気ままさが榛名は好きだった。

そんな非生産的で気まぐれな趣味は春の陽気と相性がいいらしく、思考の種に溢れた非日常である祭も、当然のごとくそれに一味加えている。
いや、祭自体は由緒あるもので意味もあるだろう。しかし神を信じていなければ宗教にも興味のない者にとって、その本来の意味というものは雑学的なものでしかない。
記憶が正しければ、この神社の祭りは有史以来ほぼ絶えることなく続いていようが、考えようによっては“ただの盛大に開かれた花見”だ。

海軍も陸軍も、広報及び資金調達の一環として この祭を利用している。その段階で、既に本来の神聖なる儀式からは、遠く離れてきているのも間違いではないだろう。

もっとも、そうやって利用しているからこそ、雑学的知識は増えてゆく。
桜木神宮の祭神や、境内にある世界最古とされる桜の大木の正式名称などは、そうでもしなければ記憶すらしなかったであろう。いや、流石に日桜帝国において普遍的に知られる「日桜様」が祭神である事くらいは、流石に知っていただろうが。

曖昧に、なんとなく知っている。というだけの物であったそれらの知識は、いつの間にか由来や伝説をその場で簡潔に説明し、紹介出来る程度にまで強化されていた。大して興味もない事柄をそこまで記憶出来たのだから、反復による学習には驚かされる。
 
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ