黎明

□梅雨漏る宵に
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馬屋古が我に返った時には押し込められて腹のあたりに溜まっていた汗が自分の足を伝い落ちていた。
ぽたり、床を濡らす。
震える右手には血のついた花かんざし。
肩口を押さえて呻く叔父。
叔母は引き裂かれた衣を掻き合わせるようにして壁際で震えている。
白く豊かな乳房には赤い跡がつけられていた。
舌の根が渇く。震えが止まらない。
「こんな、こんなの…こんなの…」
「畜生、貴様、三輪姫か?大姫か!?」
「きゃ…ッ!!」
馬屋古の足首に節張った硬い手がかかる。
引摺り倒されて頭を床に打ち付ける。
馬屋古の裾に煽られた燭台がかき消え、あたりは闇で満たされる。
息が詰まり、目の前が一瞬白くなり、全身が痺れる。
「あ、あ…」
「やめて!その娘には手を出さないで!!」
「安心しろよ炊屋姫、お前も今日俺の妃となるんだ…先にこの餓鬼を黙らせてからな」
力任せに衣が剥がれる。
「嫌!いや、いやぁああぁッ!!!」
力の入らない腕で必死に抵抗するが、岩か鋼のように動かない男の胸板。
腕を一纏めに掴まれ、軋むほどに締め上げられる。
「痛い、いた…離せッ!!」
「やめて穴穂部ッ!誰か!逆(さかう)ッ!!」
取り縋る炊屋姫も振り払われ床に叩き付けられる。
腰を強く打ち付け短い悲鳴を上げて炊屋姫は崩れた。


馬屋古と会うため人払いした寝所の近くには臣下の三輪逆が控えているのみ。
先程外で声を上げたのが逆だろう。
馬屋古の胸に腰に武骨な手がはい回る。
あまりの不快感に悲鳴をあげるが、自分の上にいる男の息が荒くなるばかり。
やかてすぐにその指がまだ毛も生え揃わぬ、未開の部分をぐ、と押さえ付けた。
馬屋古の背が跳ねる。
自分ですらほとんど触れた事のない女の部分。
固く閉じたそこを指先が無理矢理に左右に開こうとする。
指の腹がそこを掠めながら擦る。

あまりに非力な己に絶望し、はじめて目にする雄という生き物に戦慄する。

助けて、助けて、助けて助けてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけ

「いやぁあぁぁああッ!!!」

力の限りの叫び。

鈍い音。

自分の上の体重が急になくなった。混乱しながらも馬屋古は炊屋姫に駆け寄る。
部屋に駆け込んでくる灯。
炊屋姫は咄嗟に馬屋古の頭から掛け衣をかぶせ、顔を隠した。

「姫様、遅くなり申し訳ございません」
初老の男。
頭からだくだくと血を流しながらも舎人を引き連れて現れたのは三輪逆であった。
「ええ。ありがとう、逆」
「皇子といえどこのような無体は許しませぬぞ、穴穂部様!」
「逆…貴様など先に殺しておけば良かった…」
刀の柄で打たれ、割れた額を押さえて穴穂部は立ち上がる。


「殺してやる、貴様らなど!死せる王に仕えたくば、貴様らもまた死ぬがいい!!」


呪詛を吐き穴穂部は唸りながら立ち上がった。
踵を返して穴穂部は乱暴に部屋を出て行った。


馬屋古を抱き締める炊屋姫の腕が弛緩する。

「申し訳ございません。このような無礼を許し、駆け付けるのもこのように遅れて…」
逆がその場に跪く。
奥歯を噛み締める音。逆は悔しさと己の不甲斐なさを責め立てる。
渡り廊下で穴穂部を止めることができたら、あるいは。
ぽたりと逆の頭からまた血が滴った。
「逆…面を上げよ」
「は…」
炊屋姫は逆の前に歩み寄った。
覚悟を決めたように逆は炊屋姫を見据える。

「傷は痛みますか?」

「…は、あ、いえ」
「嘘おっしゃい」
逆は口を噤むと罰が悪そうに答える。
「…気を…失っておりました」
「……ありがとう」
呆気に取られたように炊屋姫を見上げた。
「貴方のお陰で私も私の客人も無事で済みました」
「しかし…」
「穴穂部に狙われている事を知っていながら油断した私の落ち度ですわ。ありがとう、逆。
下がって手当てなさい」
「……はっ」


舎人達を引き連れて逆は退室する。じりじりと焦げる灯の下、流れた血だけが点々と黒い。
「馬屋古、怪我は…」
腕の中、未だに小刻みに震えている。
「馬屋古……ごめんなさい、馬屋古、巻き込んでしまって…」
「おば、さま…」
涙をいっぱいに貯めた瞳が炊屋姫を見上げた。
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