黎明
□大王の孫
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厩戸は寝起きのままぼんやりと視線を泳がせる。
「兄上が…お亡くなりになった」
愕然とした様子で、父は言う。
「やはり、お兄様…」
涙を零しながら母は言う。
あぁそれならさっき舎人から聞いたぞ、と厩戸は思う。
この兄妹夫婦の更に兄、つまり今生帝が明朝、崩御したのだ。
病床に臥して以来呆気ない最期であった。
厩戸は眼を擦りながら嘆く両親を見る。
(ほらみろ)
厩戸はぼんやりと思う。
多くの民が死んだ。
皇族の白く滑らかな肌だろうが、民の赤銅色の硬い肌だろうが病魔には関係ないのだ。
発熱と共に肌が一斉に盛り上がり、高熱と全身の痒みにもんどおりうって、死んでいく。
道端にはあばたに覆われた屍が溢れ返り、腐臭が満ちる頃、その魔手は朝廷の中枢にまで及ぶ。
馬子が、倒れた。
『見た事か…ッ』
あの時の大王の形相を、厩戸は忘れない。
『大連を呼べ!!今、直ぐにだ!!!!』
蘇我の皇子らはその場に取り残され、厩戸は恐怖に蒼白となる大王と、物部、三輪、石上等の一派の背を見送る。
父が呟いた。
嗚呼証明が、はじまる
厩戸にとって、それは非常に興味深い関心ごとであった。
神々の国に降り立ったばかりの異国の神々。
その名を仏という。
厩戸は山河草木八百万の神々は当然の如く『いる』と判っていた。
砂粒の如き種から萌え出る芽、それはやがて草木となり、花々を咲かせ、実を結ぶ。
それらは恵みとなり、人を育む。
火も水もまた人を生かし、血肉となる。
これらを神々の所業とせずして何とするべきか。
ただ、神は祟り、怒る。
ちっぽけな人間など神々の前には無力。
怒りに触れ、現にこうして人は死んでいく。
外来の神々を受け入れようとしたことに神々が怒り、祟るのか。
神々の怒りは民を滅ぼし、邪教徒たる馬子にもまた天罰を下さんとする。
『あれ程止めよと申したのに…』
大王の怒りと恐怖は物部氏率いる神官の一族への依存へと変わった。
隔離された寝所で未だ馬子は生死の境を彷徨い続けている。
厩戸は、思う。
馬子が死ねば、物部政権となるであろう。
つまり、厩戸が大王になる可能性は激減するであろう。
つまり、そう。
用無し、だ。
母にとって厩戸は用無しとなる。
仏として母に宿り、大王となると予言を下された女児など、仏の世でなくば何の意味があろうか。
それならば馬屋古として大王に娶られ皇子を生む方が有用であろう。
厩戸としての10年は完全に無駄であったことになる。
どちらが幸せであるか、厩戸にはわからない。
ただ、母は馬子が生きている方が幸せだと思う。
仏の世となり自分が大王になる事で母が笑ってくれるならば、自分を愛してくれるならば、厩戸にとっても幸せな事ではないだろうか。
それに、他の神を信じる程度で祟る神々は狭量だと思った。
仏を奉ろうと、花は咲き、自然は恵み、また荒れ狂う。
淘汰されようもない摂理なのに、同時に異国の神々を想うことにすら嫉妬するか。