手向けの花

□あとがき
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終戦記念日企画作品・『手向けの花』、これにて閉幕でございます。

―――冗談です。『終戦記念日企画』なんて、自分で勝手に言っているだけです。七月の中頃、一人で飯を食ってる最中にネタを思い付きましてね。『コレだ!』と思い、筆を執った訳です。

今年の八月十五日、皆様、如何お過ごしになりましたか?ワタクシは、見事にスルーしました。気が付いたら十二時を過ぎておりました。因みに、長崎の方もそうでした。広島の方はちゃんとやったんですがね……(;ω;)


一応、作品としてこれを選んだは良いのですが……正直、ビクビクしながら書いております。

何故なら、ワタクシは戦争を経験した事の無い、平和ボケした世の中しか知らない人間ですから。

両親の血縁者は、空襲が酷かった地域に住んでいた訳ではありませんでしたので、福山市の空襲の話をほんの少し聞いた程度で、戦時中の事など、広島の平和記念資料館とか、大和ミュージアムとか、戦争を知らない時代の教師がやる、「戦争はダメなんですよ〜」としか言わない生温い平和学習でしか知った事がありません(しかも、最近はやっている学校がめっきり減っていると聞きます)。

ですから、時代考証以外は、全くの憶測で書いております。罰が当たるかもしれん……(((゜Д゜;)))

特攻隊員達の手記である『きけ、わだつみのこえ』とか読めば良かった……。


とりあえず、この作品で言いたかったことは、『この戦争で亡くなった方達と、貴方はどう向き合っていますか?』という事です。

瑞秀は、死者と向き合うには優し過ぎたんでしょう。他人の痛みをさも自分の痛みであるかのように扱った結果、再び沈みかけていました。でも、向き合わない訳にはいきません。


皆さんは、広島の平和記念公園の『原爆死没者慰霊碑』に刻まれた言葉をご存知ですか?『覚えていますか?』と聞けない辺りが辛い所ですが……。

そこには、『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』と刻まれています。私は、「可哀想」と思うより、「繰り返しませんから」と誓う方が、遥かに重要だと考えています。

作中で団三郎も言っていました。「『可哀想に』なんて憐れんでいないだろうな?『弔い』を何だと思っているのか」と。確かに、戦時中の暮らしは、今と比べると、物質的に不自由も多かったですし、命だって理不尽に奪われました。

だからと言って、「可哀想」と思っていては、何も変わりません。

誓って、動く。出来ればいいのですが、人間は…身勝手なんですよね。誓ったとしても、一晩寝ればすぐ忘れる。御都合な生き物です。

「そんなご立派な事なんて出来ないよ」と思っているそこの貴方!

そう思うなら、辛いと思っても、戦禍を潜り抜けた方々のお話を、真面目に聞きましょう。これは知らなければならない事なのです。

「日本史嫌い」、「グロいのヤダ」なんて、言ってられませんよ!
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