手向けの花

□プロローグ:出航
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日本のある港に停泊する戦艦(形状は、沈んだ筈の大戦時の戦艦・『長門(ながと)』に似ていた)の甲板に、一人の男・村沙瑞秀(むらさみずひで)が立っていた。齢は四十代後半程度といった所か。

纏っている紺青色(プルシアンブルー)のロングコートタイプの軍服の上から黒いマントを羽織り、頭には揃いの制帽を被り、腰には軍刀を差している。見た所、彼は軍人の様だった。

制帽の鍔で隠れているが、すっきりとした眦(まなじり)を持つ琥珀色(こはくいろ)の瞳は真っ直ぐに、これから向かう先の水平線上を射抜く。その先には何もない。

いや、何も無いといえば嘘になるだろう。その海の底には、本来ならばある筈の無い戦艦の残骸や、人間の骸(むくろ)が沈んでいるのだ。

そう、“本来ならばこの場所で沈む筈の無い者達”だ。

トルペード型の葉巻を燻らせていると、瑞秀は“ある気配”を感じ取り、その気配に顔を向けずに尋ねる。


「……何故お前が此処にいる?お前の名は乗員名簿には無いぞ。―――『二ッ岩団三郎(ふたついわだんざぶろう)』」


「よお。気配だけで分かっちまうたァ流石だな、瑞秀(みずひで)」

瑞秀が人気のする方角を振り向くと、着崩した着流しの肩に濃紺の羽織を掛け、腰には帳簿と思しき紙の束、手には信楽の狸が持っている紐を括り付けた白い陶器の徳利を持った三十代程の男が、甲板の縁に設置された転落防止用の柵に背を預け、傲岸不遜な笑みを浮かべていた。

無精髭にほつれて落ちかかった前髪という、だらしないその格好以上に目に付くのは、時代錯誤もいい所な髷(まげ)だろう。

彼の風体を一言で表すならば、『遊び人風情』という言葉が似つかわしい。

団三郎は左腕を懐手の状態で隠したまま、瑞秀の隣へと歩いて行く。

「『化け狸』のお前がこんな所へ何の用だ?此処は佐渡(ふるさと)の海では無いが?」

「俺は悪五郎様の“お使い”さ。お前さんに、ちと用があってな」

「第一……船内に“どうやって入った”?」

「ん〜?ちょちょっと―――」

「狐を虐めるのを止めてやれ」

「やってねーよ。鳥に化けてきただけだっての」

団三郎は着流しの懐から煙管を取り出し、刻み煙草を火皿に詰め出した。その否定の言葉はどこか投げやりだった。―――十中八九、嘘を吐いている。この狸め。

今でこそ『二ッ岩大明神(ふたついわだいみょうじん)』と“神格”まで与えられているが、元々『佐渡の団三郎狸』は金山で盗みを働いたり、採掘作業で稼いだ金を元手に、身分・職種を問わず、且つ無利子という良心的な金貸し業を営んでいたと同時に、人を騙す事が多かったと聞いている。

―――『狐』を酷く憎悪していたとも。

「で……お前さんこそ、このに何の用があるってんだ?」

「話す必要があるとでも?」

瑞秀はいつもの鋭い視線で制する。いつもの事と分かっていたが、団三郎は『おお、こわいこわい』と棒読みの台詞を吐き、わざと身震いしてみせるが、瑞秀はそれきり何もしなかった。

『これは好機』と考えた団三郎は、続きの言葉を瑞秀に投げ掛ける。今が好機なのだ。これを逃せば、次はほぼ無いだろう。

「お前さん、何時もなら何て事ぁ無いが……この時期に限っては、隠し事が些(いささ)か多過ぎるぜ。らしくも無ぇ」

「話す必要性があるとは思えん」

「何か言えば、すぐソレだ。じゃあこう言えば言ってくれるのかね?『“悪五郎様”から聞き出して来いと言われたので、手ブラじゃ帰れません』ってな」

『悪五郎』という名を出された途端、瑞秀は僅かながらに表情を曇らせた。彼にとって、『悪五郎』という名は、絶対的な意味を持つからだ。

「……話せば長い。狸のお前に聞かせられるものかどうか……」

「だったら、腰据えて話そうじゃねーか」

団三郎の策に乗った形で、瑞秀は口を開く事を了承した。

何番煎じとも知れない狡(こす)い手だが、今回も彼が乗って来た事に、団三郎は小さく手応えを感じていた。
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