手向けの花

□第二章:見ている先、立っている場所
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部下との船橋でのやり取りを終え、瑞秀は再び司令室へと戻って来た。

妙に重たい感情を躯から切り離すようにロングコートタイプの軍服の上着を脱ぎ、室内の壁に掛けられているハンガーに掛ける。そして、胃に詰まった石でも吐き出す様な重たい溜め息を漏らす。

紺青色の軍服以上に姿を見せない白いカッターシャツ姿になった瑞秀は、司令室にしぶとく居座っている男の姿を捉え、眉を顰(しか)める。

「……まだいたのか、狸」

司令室の窓の前に設えられた事務机の椅子に座る為に、そこへ向かいながら、自らの手を被隠している白い手袋を外し、今まで以上にぞんざいな口調で団三郎に話しかける。まさかとは思っていたが、本当に残っているとは。

「お前さんが『帰れ』っつってねぇからな」

「『帰れ』と言われていないから帰らなかった、だと?飼い犬の様に『待て』をしていたとは、随分と殊勝な真似をしたものだな」

「それに…まだ解せねぇ」

「『解せない』?理解する必要はないだろう。如何思っているかなど、話しちゃいない。第一、どういう心算だ?」

「―――今…目、伏せたろ?」

「!?」

そこまで言うと、つい先程まで飄々とした掴み所の無い態度を一変させる。

その急激な変化に、数刻前から遠慮無しに抱えている『矛盾』を指摘され続けて精神的に疲弊しかけていたのもあって、瑞秀はまたも動揺を誘われ、普段は絶対に生まれない筈の隙が生まれてしまった。

「お前さん、普段は殆ど嘘吐かねぇから、尚の事目立つんだよなー。ソレ」

ゆらりと座っていたソファから立ち上がり、団三郎は瑞秀に向かって歩いて行く。

「……根拠は?」

「『狸』は人間騙すのが仕事だからな。そりゃ、周りにいる奴のクセ位、頭に入ってるっての」

あと二、三歩程の距離まで近づいた所で、瑞秀の肩を掴もうと左手を勢い任せに伸ばす。

肉弾戦に長けた自分に対して、そのように素人丸出しの攻撃を仕掛ける事がどれほど無謀であるのか、この男は分からないのか。

当然の如く、向かってきた腕の手首を掴み、そのまま足払いの一つでも掛けてやろうとしたが、掴んでいた腕が、いや団三郎自体が突然、“形を崩した”。

「―――!」

大真面目に相手を倒そうとした瑞秀を嘲笑うかのように形を崩し、はらはらと散ったそれは、玉章(たまずさ)の葉(カラスウリの葉)だった。

団三郎お得意の『神通力』だ。無論、そこには隙が生じる。

それを団三郎が見逃す筈が無い。その隙に乗じた団三郎は、散りゆく玉章の葉に紛れ、今度こそ瑞秀の肩を掴み、力任せに壁へと叩き付ける。

今まで飄然とした態度で苛立ちを抑え込んでいたが―――もう限界だ。

当の瑞秀はというと、強かに背中を打ち付けたおかげで肺が圧迫され、上手い事呼吸が出来なくなっていた。この男の目の前で、壁を背にして話していたのが失敗だった。

無論、抗議の声を上げようとしても、言葉は浮かぶが声を発する事は出来ず、せめてもの抵抗として、反抗心を目で訴える事しか出来ない。不利である。

「騙くらかされたからってそんな目をされてもなァ……。俺にとっちゃ、一種の『サービス』に過ぎねぇよ。―――捕まえたぜ?舟幽霊の瑞秀さんよ」

「『捕まえた』?―――寝言は寝てから言うんだな」

団三郎に肩を掴まれ壁に縫い止められていたが、その腕を振り解き、向かい合った二人掛けのソファの間の机の上に置かれたある物に手を伸ばす。机の上に置かれた漆塗りの盆の上に、水の入った江戸切子の水差しが載せられていた。

『水』が舟幽霊である彼にとって、どういう意味を持つか、想像すれば分かるだろう。

先程の恨みも込めて、瑞秀は水差しの中身を団三郎の顔に向かってぶちまけてやった。

「口や鼻を塞ぐ具合に顔に掛かりさえすれば、これだけの水で充分『溺死』させられる。俺は『舟幽霊』だぞ?相手が悪かったな」

奴には悪いが、こうでもしないと黙りはしないだろう。そう言い聞かせながら、その場を離れ部屋を出て行こうと緩慢な歩調で数歩歩いた。だが―――

「ホント、相手が悪いわな。―――だが、お前さんも相手が悪かったな」

ソファの近くまで歩いた所で背後から声がし、肩越しに目だけで後ろを見ると、軽く溺れさせようと水を掛けた筈の団三郎が何事も無かったかの様に自分の真後ろに立っていた。完全に振り返ると、手を拳銃のジェスチャーの形にし、人差し指を「バン」の一声と共に、銃の反動の様に軽く跳ね上げる。

視界が一瞬眩むが、それは一瞬だった。それ以外の感覚もだ。瑞秀はハッタリかと思ったが……四肢の踏ん張りの利かなささ振りだけは、一瞬では無かった。

団三郎は床に屈しかけた瑞秀の二の腕を掴み、ぐいと引き上げると、そのままの勢いで彼の両腕を取り、後ろ手に拘束した。

「お前さんが溺れさせようとしたのは『俺』じゃない。ただの葉っぱのカタマリさね。二度も同じ失敗をするたァ、お生憎様」

益々不利な状況に追い込まれ、歯噛みする瑞秀の顎を団三郎のもう一本の腕が下から掴み、彼を見下ろす自分の視線と合わさせる。

「おっと。これしきで屈するとは、随分ヤワだねぇ。有象無象の妖怪達を、一騎当千の勢いで始末していくお前さんらしからんリアクションだ」

「己の好奇心の為に、此処までするとはな……。尋問…じゃないな。最早『拷問』だぞ」

「ああそうさ、『拷問』だよ。此処まで来りゃあな。だが、そうさせてんのは何処の誰だよ?」

苦し紛れの瑞秀の言葉に、団三郎は鼻で笑って答える。

「こんな事をしたからと言って、俺が口を割るとは限らん。拷問などナンセンスだ。今の時代に合わんぞ」

そう強気な口調で言い切った瑞秀を、無言でソファにうつ伏せで押し倒した。まともに受け身も取れない状態で押し付けられ、思わず呻き声が漏れる。

「じゃあ、古い方法だが…『体に聞いてみる』ってのをすりゃあ…お前さんは口を開くのかね?」

あくまで強硬な態度を崩さない瑞秀に、業腹を煮やしたのだろう。

いつもは浮かべない酷薄な笑みを浮かべ、ソファの座面に押さえ付けている瑞秀の項(うなじ)に舌を這わせ、残酷に囁いた。
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