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□あおあらし
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「あ、」

ふと顔を上げた新八が、ため息のような声を出した。つられて高杉もひょいと頭を持ち上げてみれば、新八はじっと窓の外を凝視している。

眼鏡の奥にある丸い瞳は、レンズを透かしていてもその大きさを主張しているようだ。


「どうした」

呟くなり、計ったようなタイミングで雷鳴が轟いた。どうりで、と高杉は思う。新八が空をつぶさに見ていた理由をようやく悟った。

雷は音が鳴るより早く、稲光が光るものだからだ。


「わっ」

前触れもなく鼓膜を直撃されたからか、新八が一瞬肩をびくりと揺らした。同時に、右手に握ったペンの軸もぶれている。窓の外、先程まで遥かかなたにあった筈の雲は、今や低く垂れ込めていた。すぐさま、ばらばらと米粒を撒くような派手な雨音が雷鳴の後に続く。
嵐になりそうな豪雨が、窓ガラスをまともに直撃し始める。

その頃にはもう高杉の視線は完全に机の上の参考書を外れ、新八をじっと射抜いていた。


「お前、帰れんのか」

そのまま勢いよく鳴り響く雷の音に被せ、からかうようにつぶやく。一応は受験生らしく、先程まで二人で勉強していたことなどはもうすっかり忘れている。
口の端を上げて頬杖をつくと、真向かいに座っている新八に人の悪い笑みを送った。


「帰るよ。だって姉さんが待ってるもん。昨日も晋助と遊んじゃったから、今日は早く帰る」

だが彼はからかわれたことなど気付いていないのか、律儀に返事をする。にべもない、とはこのことだろう。姉が待っているからとは、何とも新八らしい言い草だ。それにさも鼻白んだ様子の高杉のことなど全く気にかけず、新八はがちゃがちゃと音を立てながら、机の上に散らばった筆記用具を片していた。

どうやら彼は本当に帰るつもりらしい。


「…おい、」

しかしそれを制するつもりで高杉が口を開きかけた途端、天を割るような雷鳴が鳴り響いた。カーテンも閉めていない窓の外では、巨大なカメラでフラッシュをたいたような光。先程までの穏やかな夏の暮れない空が、まるで嘘のような光景だ。

その音に、新八の肩が再びぴくりと震える。いちいち反応するところが小動物じみて面白いと高杉などは思うが、これは言ってもただ怒らせるだけだろう。


「…やっぱり、もうちょっと雨宿りしていこうかな」

その計らいが巧を成したのか否か、大きな音に眉をひそめつつ、新八がぽつりと言い訳のように囁いた。それに高杉が思わず微かに笑うと、慌ててぷいと顎を反らす仕種もやはり面白い。

くつくつと喉を鳴らしていると、新八も手持ち無沙汰に頬杖をついた。ふう、とため息をつく音が重なる。そのまま二人で何ともなしに窓の外を見遣ると、夜を割く稲妻の閃光が見えた。


おそらく、この星で太古の昔から変わらない営みの、数少ない一つなのだろう。自然に抱く畏れと、ざわざわと高揚する胸の高なりは、現代に生きる人間の遺伝子にも確実に刻まれている。

大地に恵みをもたらし、同時に、全ての豊饒を奪おうとする嵐。


だけれど、ふと思いを馳せていた沈黙もつかの間だった。つけていた筈の電気が突如として消えたからだ。唐突に降りた闇に、新八と高杉、二人揃って固まってしまう。

「…えっ?」

一瞬後に、新八の慌てた声が暗闇の中で響いた。しかし停電だろうと二人が理解するより早く、闇に目は慣れてきている。元より、停電を引き起こした原因であろう稲妻のせいで外は十分に明るいのだから、慣れるも何もないのかもしれない。

ブレーカーが落ちたかとも考えはするが、いつもなら見える筈の街の明かりも消えて、街は闇に沈んでいる。雷のおかげで真の暗闇とはならないことはありがたいが、停電を誘発したのも間違いなく雷なので、何とも皮肉な事態であった。

しかしこういう事象自体は、高杉は決して嫌いではない。物事の通りが遮断された時でさえ、そこにひそやかな愉しみを見つけられるからだ。

往々にして、新八は正反対の場合が多いけれども(元より性質が真逆の二人だ)。



「…晋助、これ停電なの?」

不意に向かいから聞こえた声の主を高杉が視線で辿ると、新八が何かを確かめるようにして机の上を探っているのが見て取れた。やはり、その声には不安が滲んでいる。

「だろうなァ」

ゆるりと息を吐き出して立ち上がり、高杉は窓辺に歩み寄った。雨の勢いは激しさを増したように感じる。暗くなっては明るく弾ける空を見つめた後、唐突に振り返って薄く笑った。

「停電しても変わらねぇよ。雷のせいでな」

稲光の逆光に照らされていつものように笑う高杉の姿に、新八が呆れる。

「そりゃそうだけどさ。でも、晋助は不安にならないの?」

「何がだ」

「…ごめん、晋助に人並みの感想を求めたのが間違ってた」

唇を尖らせて前を向くと、外を見上げている高杉の横顔がまともに照らされているのが分かった。ネガとポジが激しいからなのか、濃く影が差して表情は見えない。だいたい表情はおろか、感情さえも読み取りにくい男だ。稲光とあいまってか、その傾向も顕著なのだろう。
それだけだ。

ただ、それだけ。


だが『それだけ』と思う筈なのに、新八は座ったままの姿勢で無意識に後ずさっていた。家具などは必要不可欠なものしかないとは言え、所詮はマンションの一室だ。離れるにしても限度がある。それでも、新八にとっては“自分で高杉から距離を取った”という事実が必要だったのかもしれない。不思議と脈拍が早くなり、胸が高鳴るのを感じた。

雷に感じる畏れと高揚。それはそのまま、自分が高杉に対して抱いている感情にリンクしているような気がしたから。


黙りこくっている新八に興味が沸いたのか、高杉はこちらの意図に反して無造作に近付くなり、ひょいと屈んだ。ぱっと顔の前に手を翳される。

「何」

胡散臭そうに目を細めると、高杉の唇が笑みの形に緩むのが分かった。稲光に照らされて、その右目も三日月のように細まっていることに気付く。新八が不機嫌になるのと比例して、上機嫌になるようなところがあるのだ(何て男だろう)。後ずさりしたのもとっくに気付いているだろうに、彼はあえて何も言おうとしない。

そのかわり、机の上に所在なげにほうり出していた手をぎゅっと握られた。


「っ、」

びくんと、三度体を揺らした。途端、ざわりと駆け上がる感情は高揚か、畏れか。新八には分からない。わからないが、新八は握られたその手をただ見つめた。渇いた喉から、無理矢理言葉を押し出す。

「晋助?」

ごくんと唾を飲んだ。それでも高杉はなにも言わない。急激に喉がからからと渇いていくような錯覚に陥る。

「なに考えてるんだよ」

ぽつんと吐いた言葉は至極素直な気持ちだったが、幾分拗ねたようなニュアンスになった。高杉が首を傾げるのが分かる。長い前髪がかかる横顔が、稲光に照らされている。続いて、その前髪をゆっくりとかきあげる気配。

知りたいか、と問われたので、新八は一つだけ頷いた。高杉の唇がゆっくりと開いていく。


「“いつになったら、お前が俺のものになるか”」

言った後、高杉は人差し指で新八の指先をなぞった。するりと手首まで這うと、舌で辿られたような感覚に陥る。そんな筈はない、それなのに。
しかしそれはどんな雷より、新八の頭の中心を直撃した。


以前同じことを、放課後の教室で言われたことがある。それでも、あの時よりずっと強く。二人の距離が近くなっているように感じる分だけ、強く胸がえぐられる気さえする。

「何言って…だって僕らは、友達なのに」


『友達』。呟いた言葉は、随分と言い訳めいて聞こえた。高杉がゆるりと皮肉げに唇を歪める。

「“友達”なら、こういうことしねえのか」

「そうだよ。だって、変だ。僕も、晋助も」

ゆっくりと頬を撫でられて、頭を軽く抱き寄せられる。それにされるがままになりながらも、新八は震える声で言った。

「てめーがそうやって線引きしてェだけだろう。“友達”で」

だけれど、高杉は容赦ない。ひどく冷たい声が、じんじんと熱い体に冷却水のように降り注いだ。

「だって、」

だって、ともう一回繰り返すが言葉にはならなかった。

“だって”


こんな感情、知らない。
今まで持ったこともない。感じたことすら。
それなのに、痛いぐらいに体の中で何かが暴れている。縦横無尽に。
まるで、嵐のように。


「もう逃げんじゃねぇよ」

反射的に反らした顎をぐいと捕らえられて、高杉とまともに視線がかちあう。宣戦布告のようなその言葉は、もう逃げられると思うな、と同義語だ。どきどきと鳴る心臓が、雷の音に煽られて限界まで早鐘を打っている。


遠くで雷が鳴っている。雲の切れ間を白く弾けさせて。この嵐はいつ終わるのだろう。
終わりなど、あるのだろうか。


「晋助…、僕、」

全身がじんと痺れたようになって動けない。暴かないで欲しいと願う気持ちと、暴いて欲しいと願う気持ちが体の内側で激しくぶつかっているのを感じる。

知りたい、知りたくない、知りたい、知りたくない。知りたい。


『この気持ちを知りたい』。

知らず、新八はそう呟いていたようだ。ふと、高杉の指先がもう一回手首に触れた。そこから一気に体の細胞がほどけるようにして、鳥肌が立つ。雷鳴の中で小さく笑う気配がして、

「面白ェ奴」

と心底愉快そうに呟く高杉の声が聞こえた。ゆっくりと押し倒されたフローリングの上、痛いぐらいに指を絡めながら、互いの体を確認する。基本的にはそっけなく固い互いの体の中で、口付けに絡める舌はひどく柔らかい。そのことに、体が溶かされるようにすら感じた。

「…多分晋助だけだと思うよ、こんな時に面白いっていうの」



進むと戻れなくなりそうな畏れと、言いようのない胸の高鳴り。裏表にぴたりと張り合わされたその矛盾した感情が“恋”だと言うなら、人は何て厄介で難儀なことを経験する生き物なのだろう。

だけれどきっとそれも、太古の昔からこの星で繰り返されてきた、変わらない営みの一つに違いない。


遠くで雷鳴が轟いている。青嵐と言うには少々季節が過ぎただろうか。それでも嵐のような感情を降り続く雨の音に紛らせて、新八はぎゅっと高杉の首に腕を回した。
その体勢のまま、高杉が低く囁く声を聞く。

「分かったのか」

お前の気持ち、と問われ、新八は緩慢に瞼を閉じた。


その不躾な問いに何と返したかは、二人だけの秘密だ。





end.


2010/08/11

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