Text 1


□Nothing without you
1ページ/1ページ



…―――


「“I love you.”の一番最初の和訳、知ってる?」

昼下がりの午後、いつものように掃除に精を出していた新八は、もうすっかり耳に馴染んだその声に顔を上げた。

聞こえた方向にふと視線を下げると、ソファにごろりと寝そべったままでいるこの家の主と目が合う。愛読書の少年誌を顔の上に広げ、そこからちらりと目だけ出している男は、名を坂田銀時と言った。廃刀令の時世には珍しく、木刀を腰にぶら下げて己の信念に従って生きる男である。
そんな銀時に人心から失われつつあった『侍』の気概を感じ、新八は彼についてきた。

だが、普段は『怠惰』という名の服を着て歩いているが如しの銀時の行動に、新八が首を捻ってしまう事が多いのもまた事実であり。この上司の元に通うようになってから少し経つものの、その頃の少年には未だに悩む事も多かった。


「知りませんよ。“愛してる”じゃないんですか?」

はたきを持った手を休めず、新八は銀時の質問に答える。質問をした当の本人を見ると、のんびりとあくびをしていた。仕事もないのにこのていたらく、やはり銀時と自分は別物の人間なのだと思う。


洗うがごとき赤貧とまではいかないが、新八は決して裕福な家庭で育った訳ではなかった。何より、父親がお人よしなくせに豪胆な性格だった為か信じた人間に借金まで背負い込まされ、姉と二人散々な目に遭ってきた。天人の借金取りに異国へ売り飛ばされそうになったり、現に借金のかたに風俗に沈められる寸前だった姉を奪還したりなど、その内容だってなかなかに濃いものがある。
齢十六にしては人よりせちがらい世の中を見てきた少年が、昼間からごろごろと怠惰を極めている男の心中など察することなど当然できる筈もなかった。

新八は自分では常に現実主義者のつもりである。父親譲りの『侍』気質と、お人よしな性格ではあるけども。だからこそ仕事がない状況でも、銀時のようにだらだらとはしていられない。とりあえず体を動かして不安を払拭し続けていなければ、立っている地面が砂地に変わり、砂時計のようにさらさらと地面が無くなって行ってしまうような気がしていた。
ずっと昔から姉と二人で生きていた少年は、何故か常にそんな一抹の焦燥を感じていた。

銀時を見遣れば、まだけだるげにあくびを繰り返している。見渡した部屋はソファーが一対に机が一組という、本来ならば“応接室“と呼ぶべき場所の筈だ。そしてこの万事屋自体も、“家”と言うよりは職場なのだが、生憎この男のせいでここは本来の意味とはすっかり掛け離れて、随分と所帯じみているのだった。


そんな新八の内心のため息には気付かずに、銀時がひょいと顔をこちらに向ける。彼は淡々と語り出した。

「違ェよ。“愛”って言う概念は元々日本にはねーんだって。言わば輸入文化な、コレ。バレンタインとかクリスマスと一緒だよ、作られたモンなんだよ。奴らが輸入してきた文化なの。だからこその一番最初の和訳な訳だよ。はい、ではこれは何でしょうか、新八くん」

「もう、知りませんってば。大体奴らって誰だよ、知り合いなんスか」

「残念、不正解。罰としてお前今日は飯当番な」

「ちょ、僕は一言も聞いてませんよ!?それにあんた、何だかんだ言ってここ一週間丸々僕に食事当番押し付けてんじゃねーかァァァ!!!!」

段々と板についてきたボケツッコミの応酬を繰り返しながらも、あまりに理不尽な銀時の言動に渾身の力を込めて新八がツッコむ。それに品のない顔でしてやったりと笑う銀時に、新八は掃除も忘れて目を吊り上げていた。


…それは、宇宙最強と言われる戦闘種族・夜兎の少女をスクーターではねる件の事件まで、あと一週間と迫った午後の事である。


――…


あれから時間は流れ、今や銀時は満身創痍の勢いでひたすらに路傍を歩いていた。右手には神楽、左肩には新八を背負っている。

「…あークソ重てェなこりゃ…やっぱり置いてきた方が良かったな」

心にもないことを言い、呑気に眠り込んでしまった右手の神楽を抱き直した。よっ、と一声入れて抱え上げると、左肩に背負った新八がくすくすと笑う声が聞こえてくる。

「何だ、起きてんのか」

呟いて、銀時が後方を振り返る。左肩に掴まっている新八は、銀時の顔を認めると僅かに口元を緩めた。
夕闇迫るこんな時間にどこぞの宇宙海賊のような珍奇な恰好をして、全身傷だらけになりながらも銀時が新八と神楽を抱えているのには訳がある。


―“転生郷”

宇宙海賊『春雨』の手引により、江戸市中にばら撒かれていた非合法薬物だ。依頼人の行方不明の娘を探す道すがらに事件に巻き込まれた万事屋トリオではあったが、桂の助けを借りて春雨にはきっちり借りを返してきていた。だからこそ、今彼等はこうして帰路についている訳だが…

「あーもう、重てェんだよクソガキどもがァァァ!!!!」

ついつい大声で叫んでしまう銀時である。


「ちょっと、銀さん!神楽ちゃんが起きちゃうでしょ」

咎めるように銀時を叱責し、新八は彼の腕に抱えられた神楽をちらりと見遣った。幸い神楽はあれ程の怒声だったにも関わらず、すやすやと呑気に眠り込んでいる。先程までは余程気が張っていたのか、まるで緊張の糸が切れたかのようだった。しかし、いついかなる時においても発揮される彼女の神経の太さには、ちょっとした感動すら覚える新八である。

「オイ、俺が悪いみてーに言うけどな、銀さんだって怪我してんだよ?しかも二日酔いなんだよ、マジこの苦しみハンパねーよ」

言いながらも銀時が仕方なく足を踏み出す。事件の最中に転生郷をかがされてしまった新八と神楽の為に負傷を押してまで彼等を背負っている銀時ではあるが、ついダラダラと愚痴をこぼしてしまう性分故にいまいち恰好がつかない。

しかし愚痴を吐きつつもしっかりと自分と神楽を抱き抱えたままの彼に、新八はまた静かに笑った。今回の事件の全容を思い起こし、春雨に拉致されてしまった自分達を銀時が助けに来てくれた時の事を思い出す。

あの時も、銀時の剣にはやはり侍の魂が見えた。彼と一番最初に出会った時に、新八がそう感じたように。


そういえばと、新八にはふと感じる事があった。近頃は不思議とあの“砂時計”の不安はない。

何かしていないと立って居られなくなりそうな程の不安も、押し潰されそうだった孤独も、最近は不思議なくらいに全く感じなくなっていた。銀時や神楽と一緒に居る時間に比例するように、不安や孤独は新八の中から姿を消していた。


掴まった銀時の背中は大きく、温かだった。その左腕の感触に大好きだった父を思い出し、やはり彼についてきて良かったのだと思う。

知らず知らずのうちに微笑んでいたのだろうか、銀時がまたこちらを振り返った。

「何が面白いんだよ、お前は」

脂汗を流しつつも歩みを止めずに、男がぽつりと呟く。彼が決して歩みを止めないのは、止めたら何か大切なものを零してしまうことを恐れているのかもしれない。だからこそ傷だらけになっても尚、足を止める事なく新八と神楽を救出した銀時なのだが、肝心のその心の在り方を彼自身は全く理解していなかった。
新八と神楽が居ないと分かった時には、もう銀時の体は動いていたからだ。


ただ、無意識に。
もう大事なものを無くしたくないから。

(とんでもねーモン背負っちまったな)

その意味、その存在。心の内でそれらを反芻させながら、銀時は一歩ずつ歩いていた。
そして、背中に背負った少年の重みに『仲間』としてだけでは感じ得ない思いを重ねながら。


「じゃあ、銀さん。こんな傷だらけなのに、何で僕らを助けてくれたんですか」

背負われたまま、新八がぽつりと質問する。その質問に、銀時はいつかの質問で少年に返答する事にした。

「…最初の和訳、」

「え?」

小さな声で話した銀時の言葉が聞こえず、新八が首を捻る。構わずに男は続けた。

「あのさ、“I love you.”の最初の和訳の話、覚えてるか?お前が万事屋来たばっかりの頃した話」

「…覚えてますけど、それが?」

神楽にもまだ出会って居なかった頃の話を振られて、新八の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。何故銀時がそんな話を今するのかも、少年は分からなかった。

銀時が新八を振り返って微かに笑う。


今なら、言ってもいいだろうか。あの日から感じていた思い、そして、『仲間』だけでは説明のできない気持ち。

銀時は僅かに息をのんだ。乱れる心拍は決して怪我のせいだけではないだろう。

「…あれなァ、一番最初に訳した奴はな、『お前の為なら命を懸けられる』って訳したんだってよ。すげーロマンチックだろうが」

“命を懸けられる”。

そう聞いて一瞬、新八の胸には迫るものがあった。


ただ純粋に、ただただ、ひたすらに。
その生命を賭する程に、想う事。

一番最初に『I love you.』を和訳した人物はきっと燃えるような恋をしていたに違いないと考えて、新八の頬は一気に赤くなった。体感温度が一気に上昇したような気がした。
何故かは分からない。だが今、新八の体はひたすらに熱かった。

正確に言えば、銀時に触れている皮膚の表面がちりちりと音をたてそうなくらいに。


「…物凄いロマンチックですね」

「だろ。銀さんは博識だろ?つまり、そういう事」

「悔しいけど、銀さんはいつも基本はマダオだけど、マダオじゃない時もたまにありますよね」

「おいおい、落としていこうか新八くん」

本気でそう思っている筈がないのにあまのじゃくな口を聞く銀時に再び笑い、新八はぎゅっと彼の背中にしがみついた。不思議なくらい暖かい気持ちが胸に満ちてくる。

だけれど銀時がこの話題を持ち出した意味だけはどうしても分からず、新八は不思議そうに疑問を口にしていた。

「でも銀さん、何で今その話なんです?関係なくないですか?」

「…え、ちょ、分かってねーの?…もういいわ」

先程までの会話の流れを全く汲んでいない新八に、銀時はがっくりと肩を落とした。
だが新八の鈍感ぶりをひどく恨めしく思う反面、いつでも時間はあるかと珍しくもポジティブに思い直す。

背負った重さの分だけ、共に歩んで行く時間も長いのだから。


「あ、銀さん、星ですよ!」

ふと気付けば、背中の新八が少しはしゃいだような声を上げていた。上を見上げてみると、遠くの空に一番星が煌めいているのがはっきりと見える。ちかちかと瞬く星の下にある、恋しい恋しい我が家まではあともう一息というところだろうか。

少しだけ気合いを入れ直し、銀時は急に走り出した。驚いたのは背中の新八である。銀時は歩くのすらやっとな状態の筈なのに。

「ちょっ、銀さん、怪我は!?」

「ハンパなく痛ェっつーの!でも早く“家”帰りてーから!!」

叫ぶように返された言葉にまた微笑んで、新八は振り落とされないように銀時の背中にぎゅっとしがみついた。

職場が“家”に格上げされるのも、そう悪いものではない。


昔々、日本にまだ愛の概念がない頃に、誰かが伝えた『愛してる』の和訳。それが、その時の銀時の精一杯の告白だったことを新八が知るのは、もっともっと先の話である。


…“I love you.”?


end.


.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ