Under

□OUT OF THE WORLD
3ページ/11ページ



「…!!」

新八はきゅっと口をつぐんだまま、黙って男を睨んだ。怒りをきつく滲ませたその瞳に、絶望や悲しみの気配は感じない。ただ自分をこんな目にあわせた男に対する怒りと、自分を助けに来てくれるだろう仲間への絶対的な信頼が透けて見えている。


どこまでも真っ直ぐな少年の瞳を皮肉ったように微かに笑い、その男、高杉はすいと彼の前に歩を進めた。途端、それまでの疲れきっていた様子とはまるで違う勢いで新八が首を振る。

「近付かないで下さい!」

凛とした瞳は何ら恐れを知らず、高杉をじっと見つめ返してくる。それを半ば嘲るようにして見据え、男の口元は緩やかに孤を描いた。その笑みがこの場にひどく似合わないものであるように感じ、新八が心底不快そうに眉をひそめる。しかし新八を捕え拘束したのは他の誰でもない、この男であることも間違いのない事実だった。


だが捕まえて尋問するでも拷問するでもなく、ただ篭の鳥のようにいつまでも閉じ込めている理由だけはいまだに分からない。何を考えているかはおろか、何ら実態の掴めない男が恐ろしく、新八は更に強く体が震えるのを抑えることができなかった。

「そう慌てんじゃねーよ。…随分と活きがいいな」

高杉は喉奥で低く笑い、新八の前に無造作に屈み込む。闇を思わせる右の独眼にはどんな感情も読み取れない。ただ新八を、その瞳でじろりと見下ろしただけだ。

それなのに、ただそれだけなのに、新八は麻酔を打たれたかのように突然動けなくなってしまった。


(嫌だ…!)

叫んだつもりだが、言葉にならない。捕らえられていない左の拳を翳したいのに、体が動かない。
そんな自分は認めたくないと思うだけ、余計に。

余計に体が痺れ、どうしようもなくなってしまう。


だが高杉はそんな新八の意識などにはついぞ興味がない様子だった。ただ愉快そうに、唇の端に笑みを乗せるだけである。自分を馬鹿にするような男のその態度に酷く腹が立ち、新八は震える喉からようやく言葉を押し出した。

「一体何がしたいんですか。…僕を使って銀さんを釣ろうとしたって、無駄です」

恐怖に引き攣る声音と激情を隠し、精一杯の冷静な声で吐き捨てる。しかし高杉はまた低い声でくつくつと笑ったのみだ。

「何がおかしいんですか!?」

その様子にやはり怒りを感じ、新八は今度こそ激情に駆られるままに叫んでしまった。だがその途端高杉によって顎を捕らえられ、ぐっと声を詰まらせる。

その指の掛かるままに上を向かせられ、反射的に見合った男の右の瞳は三日月のように薄く細められていた。そこにはやはり、感情の類は一切読み取れない。そのことにひどくぞっとしながらも、新八は男から目を逸らす事が出来ないでいる。

「…クク、たかがガキ一匹で釣れるたァ酔狂な話じゃねーか。あのバカが」

にやりと口元を歪めた高杉がひそやかに話し出す。だがその内容は、てっきり自分を使って銀時を誘い出すのだと思っていた新八の考えを覆すものだった。

それならば何故、と少年が疑問を呟くより先に、男は言葉を紡いでいく。

「ただ、テメーをなくした銀時がどうなるかには興味があるがな…」

言うと同時に、高杉は腰に帯刀していた刀を新八に翳した。よく使い込まれた長刀の鍔にもう一方の指を掛け、軽く鞘を抜いてみせる。すらりと抜かれた刀が、銀色に鈍く光った。

その刀身が成す意味に心底怯え、新八は小さく首を振った。恐怖が渦巻き、耐えられなかったからだ。

「いや…!」

無意識に呟き、顎に掛けられたままの高杉の指先から逃れようとする。だが逃れきれる訳もなく、またぐいと顔を引き戻された。男の顔半面を覆った包帯から覗く隻眼の奥に、自分の怯える顔が写り込んでいる。



この男に、自分は殺されるのか。
自分が死んだ時の銀時の反応が見たい、ただそれだけの為に。


だが高杉なら、この男ならそれは十分に有り得ることだった。しかしそう考えて不安と恐怖で倒れ込みそうになっても、不思議と新八はどこかに少しの安堵を感じている。その犠牲になるのが自分で良かったと感じざるを得ないからだ。死ぬのが銀時や神楽でなくて、本当に良かったと。

それはもはや、新八の本能のようなものだった。

それとも、今の彼はそんな事を考え出す程に追い詰められているのだろうか。


そんな一抹の安堵が浮かんだのだろうか、高杉は刀を翳されてなお正気でいる新八を興味深そうに一瞥した。しかし男が次に言い放った一言に、少年の中で唯一保たれていた均衡が音を立てて崩れ始める。

「…俺がテメーに興味があるって事ァ、考えねーのか?」

そう言って愉快そうに喉を鳴らした男は、新八の顎に掛けていた指をするりと首筋に滑らせる。冷たいその感触に、少年はびくりと肩を竦めた。だが高杉はそれだけで不意に立ち上がり、何かを思い出したかのようにくるりと踵を返してしまう。

男はそのまま、来た時と同様にゆっくりと部屋を後にした。



「…?」

高杉の行動が全く読めないながらも、残された新八が僅かな安堵と共にほっと息を吐き出す。しかし次に開いたドアの隙間から覗いた“それ”には、大きく目を見開かざるを得なかった。
辿る視線の先では、数歩しか離れていない床の上、蛸のような形をした不可解な生物が体を動かし、部屋の中に滑り込んでくる様子を捉えていた。


「っ…!!」

叫んだ言葉が恐怖に引き攣り、何の言語にもならない。少年の目は驚きと恐れをないまぜにしたような感情で彩られている。繋がれていなかったら、真っ先に駆けて逃げ出していただろう。


しかし“蛸”と形容したそれは、地球に生息している蛸とは決定的に違う点があった。ぶよぶよと醜い体から伸びる脚が何本もあるからだ。それこそ大なり小なり、短いものから長いものまで、それは何本もの触手を有していた。その醜悪な姿は気味が悪いのに、どうしても目が離せない。

いくら国際都市である江戸に住み、珍奇な生物を見慣れている新八だとて、こんな生き物を見るのは生まれて始めてだった。

驚きに瞠目する新八を尻目に、再び高杉が笑う声が聞こえる。

「コイツを何だと思う?」

問われても新八に分かる訳がない。新八はただ首を振り、近付いてくるその生物から距離を取ろうと立ち上がった。だがその瞬間に壁と鎖によって繋がれた拘束具によって手首が引き攣れ、痛みに顔をしかめる。

鎖が鳴るガチャガチャと心ない音は、呆気ない程簡単に少年の逃げ場を奪う音だった。その間も、不思議な生物は新八の元へと確実に近付いてきている。


.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ