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□Bittersweet Melancholic 2
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_メランコリック【melancholic】

物思いに沈むさま。憂鬱であるさま。



低空飛行する、気持ち。








夢には温度がある。


土方は浅い眠りの中で、夢の温度を感じていた。

江戸とは違う武州の空気が、澄んだ夜空を浸している。木々がざわざわとざわめき、春の宵特有の暖かな風を運んでくる。


そんな夜の底で、男は一人佇んでいた。否、背後にもう一人の見知った顔が居ることを土方は知っている。

彼女が消えそうに小さな声で、次に何と呟くかさえも。



『みんな、江戸で一旗あげるって本当…?』


その声に、夢の中の土方は「誰から聞いた」とだけぽつりと答える。今とは違って髪を長く伸ばしていたのに、今と同様に配慮のかけらもない不躾な切り替えしだ。

それでも彼女は怒りもしない。自分の背後でいつもながらの困ったような笑顔を浮かべ、少しだけはにかんでいるのだろう。


そして、不意にこう囁くのだ。


『…私も…連れていって。私、みんなの…十四郎さんの側にいたい…』


絞り出すような声で紡がれた、彼女の言の葉。

事実、彼女の声音は微かに震えている。ずっと胸に秘めていた想いを男に告げたのだから。

それでも土方は首を縦に振らない。夢だと分かっているのに、彼女がどんな思いでそれを口にしたかも知っているのに、夢の中の自分はいつも頑なだった。


その時、男と言うにはまだ幼い己の唇がゆっくりと開いた。

この先に続く言葉を言ってはいけない。土方は夢の中の少し幼い自分に叫ぼうとする。だが全ては無駄だ。
夢は夢を見ている人間のものではない。


『…知ったこっちゃねーんだよ、お前のことなんざ』


そう呟いた瞬間、後ろに居る彼女がハッと顔を上げる気配を感じた。
とめどない悲しみの雨に打たれながら、涙をこぼす気配すらも。


このまま自分が立ち去れば、彼女とは二度と故郷で会えなくなるだろう。江戸に経つ前夜に見た姿が、武州で見る彼女の最後の姿になる。
次に会う時は、彼女の命のともしびが既に消えかかった頃だ。



それなのに何故だ。


何故自分は、言えない。

たった一声でいい、何故自分は『連れて行く』の一言すら言えないのか。

何故自分は、夢の中ですら彼女をいつまでも悲しませ続けるのか。


それでも夢の中の土方は一回も振り返ることなく、その場を立ち去っていく。
止まることなく、故郷を旅立っていく。

彼女の落涙を背中にひりひりと感じながらも。


もう何度も繰り返し見た夢なのに、夢の中の感情はいつも切り付けられたように鮮やかだった。



―――…


唐突に土方は目を覚ました。
まぶたを開けた瞬間に見た光景は武州の夜空ではなく、見慣れたいつもの天井だ。その眺めに、ここは真選組の屯所であるという事実が男の思考をひたしていく。

ゆっくりと起き上がり、土方はじっと己の掌を見詰めた。



「…ミツバ…」

声に出して、今しがたまで自分が夢に見ていた女性の名前をぽつりと囁く。

先程まで土方が漂っていたのは、彼が頻繁に見る夢だった。江戸に発つ前日、ミツバと交わした会話を繰り返す夢。

ただの一度すら、違った結末を見せてくれない夢。


だがふと、随分と久方ぶりにあの夢を見ていたことに土方は気が付いた。特に新八と会うようになってからあの夢を見た事は、初めてかもしれない。

そう思い付いた途端、この前見た少年の落涙が唐突に頭を過ぎっていった。ずきりと胸が痛くなる。雫を一滴落としたかのように、微かな痛みが心に広がっていく。

緩やかに、だが確実に大きくなる痛みは、水の波紋が広がる様子に似ていた。


見つめた掌をぎゅっと握り締める。強く、瞼を閉じた。


(俺は、何て自分勝手な野郎なんだ)

変わっていない、と思う。武州に居た頃から、何一つ自分は変われていない。

誰より大切に感じたからこそ、誰より護りたいからこそ、一人ぼっちにするなんて。



その現実に憤り、土方は軽く頭を振った。この掌に抱えるものは刀以外もう何も持たないと自分に誓った筈だ。だからこそ、少年と最後に会ったあの夜だって、彼に己の気持ちを告げなかった。
否、告げる事ができなかったと言うべきか。


ふと、頭の中で似たような感情がリンクする。切り付けられたように鮮やかな悲しみの記憶。
その色。

それは、“あの時”にひどく似ていた。


(…同じだ)


彼女を、ミツバを故郷に残した時と。


誰より大切だったのに、一人にした。
自分から、手を離した。


(…それでも俺には剣しか、ない)


過去を振り返ることが弱さに繋がると、土方は自ら隊士達に説いたこともある。だから自分は前しか見ない、後ろは振り返らない、土方はそう己に決めている。
自分が斬り捨てたものに捕われれば、それは即弱さに直結する。

真選組の副長としてある男にとって、それは“死”を意味するからだ。

侍としての魂の死。




それなのに、

(何でなんだ)


何故、自分は同じ夢を繰り返し見る。
何故、新八の涙が頭を離れない。


何故と繰り返し自分に問う毎に、感情は薄れるどころかどんどん鮮やかになっていく。
傷は塞がることなく、鮮血を流し続ける。

それを己の弱さだと斬り捨てるには、あまりにこの感情は色鮮やかで、まばゆい。

ぬばたまの闇で輝く、一筋の光のように。



(…新八、)

閉じた瞼の裏に、眼鏡の少年の笑顔が見えた。その笑顔を奪ったのは当の自分なのだから、何ともご都合主義な想像だ。空想と言ってもいい。土方は唇に微かに自嘲めいた笑みを浮かべた。

それでもまだ心のどこかで迷っている自分に、新八をあれだけ傷付けて尚迷う自分に、心底怒りを感じる。爪が食い込むほど強く自分の腕を握った。
まるで、己の心を戒めるように。


それなのに、少年へと向かう思考を止める事はできなかった。

(俺は、お前が…)






だが唐突に襖の向こうから聞こえてきた声に、土方の思考は一瞬で現実に引き戻された。襖を隔て、山崎の切羽詰まった声が聞こえてきたからである。

「副長、起きていますか!?」

「…何だ、」

割合はっきりとした土方の声が意外だったのか、山崎は慌てたように会話を続けた。

「テロです!攘夷浪士の集団が、ビルの一部を占拠しています。人質もいます。要求は真選組の解散と、局長、副長、両名の首だそうです。沖田隊長の一番隊はもう現場に向かいました」

報告と言うには多大なる危うさを含んだ山崎の話に軽く舌打ちをする。反射的に枕元にある刀を取った。鞘の中に納めた刀身が、かたん、と小さな音を立てる。
もう何度も聞いた音だった。


状況を細かく伝える山崎の話を聞きつつ、寝巻きの浴衣の帯を素早く紐解く。戒めを解かれた布が、音も立てずにするりと畳に滑り落ちた。

そのまま素肌の上にシャツを羽織りながら、苦々しい声で呟く。


「こりねェ連中だ。この間の一斉検挙の仕返しのつもりか。こっちの首が要求なら、連中も同じモンを差し出すつもりで居るんだろう。…一人残らず斬る」

その強い声に、はい、と返事をした山崎が顔を上げる気配を感じた。上司の絶対なる命令を受けてか、彼がそのまま素早く廊下を駆けて行く音がする。

先程までざわざわと波打っていた筈の土方の心は、今不思議と静かに落ち着きを取り戻していた。

握った剣のおかげかもしれない。


隊士達がどよめく声を襖越しに聞きつつ、慣れた動作で男は手早く首にスカーフを巻いた。



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