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□もしこれが、恋ならば
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―――…
「はい、どうぞ」
縁側に座り、見るともなしに庭の木々を見ていた土方の横に新八が座り込む。掛けられた声の方向を見遣れば、小さな盆に湯呑みを二つ載せたものをこちらに差し出す少年の姿があった。
「ああ、すまねぇな」
男にしては素直に礼を述べ、一口茶を啜る。新八はまだ先程の姿のままだった。突然の来訪だった為、着替える時間もなかったのだろう。
庭に向けて足を投げる土方に対して、少年は礼儀正しく正座している。ぴんと張った背筋はやはり剣を握る人間のそれだ。
視線を空に向けると、どこかでうぐいすが鳴いている声が聞こえてきた。こんなに穏やかな気分になったのは久しぶりだった。常に剣呑としている身分からすると、そんな己は到底信じられない事である。
しかし、近藤や万事屋一行が頻繁にこの家を訪れる理由を土方はようやく納得する事ができた。この家は姉弟二人で住むにしては広すぎるが、隅々まで姉弟の手がかけられている。
在るべきものを在るべき姿で留める事は実はひどく難しい。だからこそか、姉弟の気配りが家の端々で感じられる。
それが来訪者をひどく温かな気持ちにさせるからだろう。
襖が開け放たれた部屋に少年が掃除しただろう痕跡を発見し、それはやはり土方に一抹の安堵をもたらした。軽く息を吐き、少年に目を向ける。
「…お前、いつも一人で鍛練してんのか?」
湯呑みを盆に置き、土方はじっと少年を見詰めた。
先程見た後ろ姿が、まだ忘れられなかった。
(いつもあんな風に、たった一人で竹刀を振るっているのか)
喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。
新八は土方の言葉に僅かに目を見開き、突然切り出された会話にゴホゴホとむせた。男と同様に茶を啜ろうとしていた為、おかしな気管にでも入ったのかもしれない。
「げほっ、…は、はい。ちょっと恥ずかしいですけど」
よほど苦しかったのか、新八は微かに涙目になっていた。そんな彼に緩く笑い、土方がポケットの中にある煙草を探る。一本抜き出してくわえた。
カチリ、ライターを鳴らす。
「鍛練のどこが恥ずかしいんだ?」
問い掛けて息を吸った。肺に煙がゆっくりと満たされていく。白い煙が緩やかに空気にたなびいた。その煙越しに少年が困ったような顔をしているのが見える。
彼はきょろきょろと落ち着かない視線を庭先に投げていた。
春の風がやんわりと舞い、二人の頬をそっと撫でていく。
「だって…僕の剣って我流もいいとこなんです。そういうものを土方さんみたいな人に見られたって言うのが、恥ずかしいんです。でも銀さんにいくら言ってもふざけてばっかりで稽古付けてもらえないし。…父上は僕が小さい頃に亡くなりましたから」
最後の言葉は半ば独り言のように呟き、新八が湯呑みにじっと視線を落とす。胴着に包まれた薄い肩が脱力したように下がっているのが分かった。
「俺の剣も半分は我流みてェなもんだろうな」
「本当ですか!?」
だが土方が言った瞬間、当の少年の瞳はもう輝きを取り戻していた。信じられない、と幾度となく呟いている。
本当も何も、と土方は続けた。
「故郷に居た頃は悪さしてたからな。喧嘩で鍛えたようなもんだ」
そのまま目をすがめて煙を吐き出す男を、新八がじっと見詰める。少年のその視線があまりにも邪気がなく、ただただ好奇心に満ち溢れたものだったので、土方はつい思いがけない言葉を吐いていた。
「…俺が見てやろうか」
無意識だった。
それなのに言った瞬間、しまったと感じる。こんな風に特定の個人と関わるような人間ではないことは土方自身が一番よく知っていた。分別している、と言うべきか。
それが真選組ではない人間に対してなら、尚更だった。
だが新八の目が殊更嬉しそうに輝くのを見た途端、土方は何も言えなくなってしまった。
「あ…、ありがとうございますっ!本当にありがとうございます!土方さん、早く!」
またしても凄い勢いで礼を言われ、縁側に座ったのもつかの間に、立たせられる。一足先に立ち上がった新八が男の手をぐいと引いたからだ。
「オイ待て、何も今日とは、」
文句を言いかけた土方だが、少年があまりに嬉しそうな顔をしているので思わず吹き出してしまった。自分の腕を掴んだ新八の手から、彼の嬉しさがはじけるように伝わってくる。
(侍のわりに妙なガキだ)
自分より随分と小さい手に引かれるまま、土方はひっそりと笑った。
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