Under
□君という花
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街の明かりを背景に見上げる男の横顔は、いつもの不機嫌を薄く滲ませていた。口の端についた薄い血を乱暴に手の甲で拭っている。
「……もう“お食事”は済みましたか?」
新八は静かに問い掛ける。それにも男は低く笑うだけで、答えることはしてくれなかった。
けれども、その口の端に薄くついた血。それを見ただけで、更に言えばそこから香る血液のほんの微かな甘い芳香を嗅いだだけで、新八はクラクラとしてしまう。
人間が嗅げば不快感や不安感を煽られるに違いない血の匂いも、新八の嗅覚には甘美なまでに甘く芳しい香りとなる。無意識に犬歯がキリキリと尖り、瞳の瞳孔は人間の比ではないほど狭くなる。知らず喉が渇き、ゴクリと生唾を飲み込むのを止められない。
特に空腹時などはその現象は顕著に見られ、ハッハッと浅ましく呼吸が乱れてしまうほどだ。
まるで──獲物を狙う獣のように。
「……!」
知らず知らずのうちに高杉の唇をつぶさに見つめていた自分に気付き、新八は慌てて膝の上に置いていた学生鞄の蓋を開けた。パチリと留め具を外すと、中からは輸血用の血液パックが一つ出てくる。
少年は慣れた動作でその口を噛みちぎると、驚くことに、何のためらいもなく急いで唇をつけた。喉をゴクゴクと鳴らして、半分ほどの血液を一気に飲み干す。
そして、吸血の効果で赤く染まった瞳をゆっくりと傍らの男へ向けた。
左目を覆う眼帯から覗く右目が、今の新八のように赤く輝いている高杉へと。
「はー……おいし」
先ほどの高杉よろしく、一息ついた新八も手の甲で唇についた血をグイと拭う。無意識に呟いて残りの血液も飲み干そうとパックを傾けると、いかにも小馬鹿にしきったように笑う声が聞こえてきた。
「……テメェはまだそんなモンを喰ってんのか?成長期のガキのくせによォ」
「そんなモンじゃないですよ、このレトルトもなかなかに美味しいんです。特に近年のは真空パックですから、肝心の鮮度もまずまずです。高杉さんは偏食家だから、絶対飲まないだろうけど」
くっくっと喉奥で笑う男を睨んで、パックに残った血液をちびちびと飲む。積極的に“狩り”をする事を好む高杉とは違い、この手の輸血用の血液パックが今の新八の生きる糧なのだから、そうも馬鹿にしないで欲しいものである。
少年は『レトルト』と称したが、其の実はもちろん本物のレトルト食品などではない。何故ならばそれは間違いなく人間の血液をパウチしてある一品であり、医療の現場では欠かせないものだからだ。普通の人間の食すようなカレーや即席麺などのレトルトとは、根本的な違いがある。
……だがしかし、何故この少年はそれを欲するのか。そしてそれを飲み干す姿を男に見られても、全く動揺しないのは何故か。
吸血により赤く染まる瞳、立ち入り禁止のビルの屋上看板の上にも軽々と登れる身体能力の高さ、そして本能に突き動かされると鋭く尖る犬歯。それらの全ては、少年と男がある一つの生き物である事態を示唆している。
人間と同じ形を有しながらも、人間とは全く異なる生き物。生物と呼ばれながらも正確には心臓すら動いておらず、ヒトからの血液でしか活動源を得られない異形の存在。かつては人間を脅かし、恐怖に陥れた、夜を跋扈する獣。
ヒトに紛れながらもヒトとは決して交われない、哀しい闇の住人。
──新八と高杉は、現代の日本を生きる吸血鬼だった。
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