Under

□君という花
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【 episode:0 Prologue 】




 眼下に見える夜の光景は、まるで宝石箱をひっくり返したような眩さと煌めきに満ちていた。色とりどりのネオンが光り街を照らす様子はさながら真昼のようで、大通りを闊歩する人々の姿は引きも切らず、数多の喧騒と高揚を孕み澱んだ空気が生温い夏の夜に溶けている。
 この狭い街には老いも若きも、男も女も、実にたくさんの人間達が常時ひしめいている。とりわけ土曜の今夜はひときわ騒がしく、どこを取っても人、人、人の波でむせ返りそうな眺めだった。
 眠らない街の夜はまだ浅く、朝まで果てなく続く饗宴はつい今し方始まったばかりなのだ。


 そんな、ここ東京で一番の歓楽街を見下ろす位置にあるビルの屋上──その更に上にある屋上看板の端にちょこんと腰を下ろし、先ほどからずっと飽きもせずに街を眺めている少年の姿がある。
 年の頃は十五、六だろうか。白い半袖ワイシャツを律儀に着込み、その下には折り目正しい学生ズボンをこれまたきちんと履いている姿はどこからどう見ても真面目な学生にしか見えない。

 無垢な稜線を描く柔らかな頬には夜風に撫でられる漆黒の髪がかかり、時折、それを邪魔そうにかきあげる指はまだ細い。その身体の線の細さと言い、どこか中性的な印象の少年である。看板から突き出た足をぶらぶらと無邪気に遊ばせつつ、尚も街を見下ろす様子もひどくいとけないものだった。
 街を見下ろす両の瞳はやさしい琥珀色に澄んで、あどけなく大きい。当の少年はそれを覆うように眼鏡を掛けているのだが、彼本人の瑞々しい輝きのようなものは少しも失われてはいないのだ。

 少年は少しだけ寂しそうに、だけど穏やかな表情で街を行き交う人々の波を見つめている。
 思春期の年頃に見合わない不思議と穏やかな面相は、けれど少年が生来持つ雰囲気にはよく似合っていた。微かに笑んだような形を保っている唇は可憐に膨れて、いかにも柔らかそうである。


 けれど、これはあくまでも少年の外見のみに的を絞った話だ。彼の見た目。容姿、その姿形、エトセトラ。
 事実、ただ彼を一瞥しただけでは、ありふれた、どこにでもいる普通の少年としか思えないだろう。この眼下の街に投じでもすればたちまちにネオンの華やかさに呑まれ、彼本来の輝きはくすんでしまうかもしれない。他大勢の派手な若者達から見れば、彼は取るに足らない地味な出で立ちの少年でしかないのだから。
 そう、いわばこの街を引き立てる通行人──ただのいち脇役として。


 だけど、そうやって少年に脇役のラベルを貼り付ける人間達は誰も知らない。誰も彼もが、自分達と彼が違うことを知らない。知ろうともしない。本当の意味で、この少年が自分達とは異なるモノであることを。

 そう、何百何千の群衆が居ようとも彼が決して他と交わらない異彩を放つのは、少年の中身故なのだ。
 彼が彼である所以──言わば少年の“成り立ち”そのものが、他の人間とは圧倒的に違うからだった。



+




 「──まだここに居たのか、新八」

 独特な癖のある男の声が、背後から低く響いた。
 新八、と名を呼ばれた黒髪の少年はそっと後ろを振り返る。そこには少年と同じく黒い髪を夜風に遊ばせて屋上看板の上に立つ、隻眼の青年の姿があった。
 こちらは新八とは大分異なり、三十代も間近の年頃のようである。左目を黒衣の眼帯で覆っている様子が印象的な男だった。そこから覗く右目の眼光は鋭く尖り、こんなにも夜の明るい街なのにその瞳孔は限りなく細い。

 錆びない鋭さを纏った顔立ちは端整に整って、尖った刃のように研ぎ澄まされた美しさを有している。怜悧にも見える横顔は冷たく冴え渡り、本来ならば蒼い月光こそが似合うような美貌だった。
 つまりこれまた外見上の判断のみで言うならば、こちらは少年とは全く異質の雰囲気を放つ青年ということだ。


「あ、高杉さん。早かったんですね、おかえりなさい」

 だが、別に少年は気負う姿勢もない。男をにこやかに見上げて、人なっこいような、愛らしい笑みを顔いっぱいに浮かべているだけである。ニコニコと屈託なく笑っている。
 しかし『高杉さん』と呼ばれた男の方はと言うと、新八に笑顔を返すわけでもなく、ドサッとことも無げに少年の隣に腰を下ろしてきた。そのまま片膝を立てて座り込む。いかにも横柄なその態度は誰にも懐かない野良猫のようにも見えて、少年はひっそりと苦笑を洩らした。
 だけど、隣に座る男の肩に頭をもたせ掛けるのだけは忘れない。



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