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□薬指にくちづけを
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 頬に置かれていたままの手を取り、己の指先を絡めてみると、眼鏡の奥、少年の目が少しだけ笑みに緩んだ。印象的な、二重の大きな瞳。派手さはないが、端整にととのった顔は、品の良さと育ちの良さが滲み出ている。ほんとうの意味での知性を感じさせる顔立ち、と言えばいいのか。たまによくよく見てみると、惹かれてやまない自分に気付く。

その凛としたうつくしさと――共存する、どこか危うげな幼さに。


絡めた指の爪先をずらして、小さな手のひらの曲線を悪戯になぞった。膝枕の主である新八は、それがくすぐったいのか、高杉の頭上で鈴を転がすような声で笑う。
その笑顔に暫しじっと見入っていると、不意に、やわらかい仕草で視界を覆い隠された。もう片方の手の仕業だろう。


「やだ。まじまじ見ないでください」

「何でだ?」

「何でって……何となく?」

あたたかく凪いだ手のひらの闇が、右目を覆っている。細い指の隙間からは、とろけるような金色の陽射し。

新八の、戸惑うような、はにかんだような声がそこに降ってくるのは、何とも言えずに快いものだった。どことなく、懐かしくも不思議な感慨を男に思い起こさせる。過去に置いてきたとばかり思っていた、その感情。

あまやかでやさしい、夏の木漏れ日によく似たそれを。


「理由になってねえ。……俺が見てェ時によく見せろ」

白い手の作る心地好い影を、己の左手で遮った。

「あ……」

途端に開けた視界の中で、逆さまの新八が困ったように笑う。薄い唇の隙間から、かたちよく並んだ小粒の歯が見えた。

しぶとく頭は浮かせないまま、もう好き勝手をさせないように新八の手首をとらえる。成長期にある骨はまだ細い。簡単に握り込むと、もう、と小さな声が聞こえた。

高杉の無遠慮を非難するような口調とは裏腹に、どこかあまい声音で。

「……あの、起きてるんなら、そろそろどいてくれませんか?」

「それは俺が決める」

「やだなあ。晋助さんのせいで、また何もできないや」

くすくすと忍び笑いをこぼしながら、新八が続ける。清廉な表情は穏やかに澄んで、やはりまだ少し幼い。
このまま肌を重ねてもいいが、もうしばらく見ていたかった。




 高杉は理解している。

否、感覚的に知っている、と言った方が近いかもしれない。己の“この”気持ちは、きっともう新八の中にしか存在しないこと。誰に言われた訳でもなく、はっきりと意識した訳でもないけれども。
こんな気持ちを誰かに向けるのは、今生では最後に違いないと。

だからこそ、生きている今はただ、誰より何より近くに居たい。


「……新八」

囁くような声で名を呼ぶと、はい、と真っ直ぐな返事が返ってきた。じっと見下ろしてくる瞳は、人懐っこく、いつものやさしい光に満ちている。変わらない新八の光だ。昼も夜も、夏も、冬も。いつでも。
男があいして止まない、光。

――自分にはもうない、この目映さ。


何とはなしに吐息だけでふっと笑い、高杉は言葉を紡ぐ。

「お前の欲しいものは、俺が全部くれてやる。物でも、何でもな……世界でも構わねえ」

唐突に放たれた傲慢なせりふに、新八は一拍置いてから、男とは対照的に朗らかに笑んだ。

「いきなりですね。物騒な口説き文句……あなたらしいけど。でも、こわいです」

「こわい?」

新八の放った言葉を、高杉は緩慢に復唱する。口の端に乗せた笑みは、崩さず。
とらえた細い手首に、悪戯に唇を這わせながら。

緩やかなその愛撫に、少年の眉が僅かに寄せられる。きゅっと噛んだ唇の隙間から、少しかすれた声が押し出された。

「ん………だって僕、あなたの愛で、いつか死んじゃうかもしれません。この気持ちに押し潰されちゃいそうで……こわい、です」

「そりゃテメーの本望じゃねえか?」

くっく、と低い笑い声を洩らした男を、新八が軽く睨んでくる。ほんのりと赤らんだまなじりが、ひどく扇情的だった。

「……酸欠になっちゃうかも、」

「なっちまえよ」

言の接穂を与えず言い放ち、新八の手首から指先の稜線を舌先で辿る。繊細で慈しむようなその愛撫が、少年の身体に官能を植え付けるのにそう時間はかからない。

「っ……もう、ひどい人」

抗議する声も、甘い喘ぎに蕩けていく。

「それに惚れてんのは誰だ?」

高杉は、ぐいと引き寄せた手首ごと、少年の身体を組み敷いた。するりと形勢を覆されて、新八が潤んだ瞳で見上げてくる。
もう、と拗ねたように唇を尖らせて。

「嫌いになっちゃいますよ、そんな意地悪だと。……なっても、いいんですか?」

あまえたような言葉は、どことなく舌っ足ずに響いた。まるで、閨での睦言を彷彿とさせるように。
男は喉を鳴らし、わがままにもならない、新八の小さな抵抗をせせら笑う。

「今度は分かりきったことを聞く遊びか?くだらねえことを聞くんじゃねェよ……テメーは俺のもんだ。心も身体もな」

「……ぜんぶ?」

「当たり前だ」

絶対的な肯定に安心したのか、それとも軽い諦感か、顔の真横につかれた腕の囲いの中から、少年はうっとりと高杉を見上げてきた。ほう、とため息に似た吐息をこぼしながら。

畳の上に投げ出された黒髪が、こんな昼の陽光の中でもひどく艶かしい。

「じゃあ……晋助さんは、僕のものになってくれます?」

「それがお前の“欲しいもの”か?」

重ねられた問いに、新八は真摯な瞳で大きく頷く。

「はい。他には何にもいりません。あなたの側に居られたら、それだけでいいから。……あなたが、僕だけを愛してくれたら」

「まだそんなことを抜かしやがるのか。テメーらしいなァ」

「だって。晋助さんは分かってないんです、僕がどんな気持ちか」

はっ、と皮肉げな笑いを焚き付けられても、少年はまだ真剣な表情を崩しそうにない。いっそ愚直なほど、眼差しは真っ直ぐに男を射抜く。それに返すように、高杉の右目が新八を見下ろしてきた。

その瞳の熱を感じながら、このまま見つめられ続けたらなすすべもなく動けなくなるのではないか、と新八はふと思う。いつでも、そう思うのだ。

――いとしさで、身動きが取れなくなって。


真剣な少年の視線を受けてか、高杉が薄く笑った。それからふと顔を下げ、その耳に唇を寄せる。

「何も分かってねえのはお前だ。……分かるぐらいに、愛してやらァな」

死んでもな、と。
低い囁きが耳朶をかすめて、その熱さに新八がまた甘く息を洩らした。高杉の首に両腕を回すと、瞳を覆う眼鏡を剥ぎ取られる。そのまま、赤くなった目尻にもキスを贈られた。

「ねえ……晋助さんは、何が欲しいんですか?」

くすぐったさに肩を震わせた少年は、小首を傾げ、男の耳に質問を吹き込むようにする。それでも、僕にあげられるものですよ、と律儀に釘を刺すのは忘れない。

そんな新八らしさに、高杉がふっと唇を緩めた。その頭を撫で、黒髪を一房掬ってからくちづける。

ちゅ、と微かに湿った音。

「お前しかいらねえよ。……他に欲しいものは、全部自分で手に入れる」

続けられた言葉は、耐えがたいほど甘く、官能的に新八の鼓膜を震わせた。

「……そういう人ですね、あなたは」

「そうだ。悪かねえだろう」


高杉の腕が、陶然とした表情で頷く少年の腰を引き寄せる。抱く腕に、力を込めて。その額に、頬に、鼻先に、唇に、無数のくちづけの雨を降らせながら。
表情をゆるりと笑みに緩ませる少年の身を、高杉は全力で捉えていた。

「……晋助さん、」

小さな声を震わせた唇に、そっとくちづける。まだ薄い身体を抱いた手は、そのままに。囁く。

おまえをあいしている、と。

罪深き己が発するにしては、いたくあまやかな言葉だ。めまいさえ覚える。夏の陽と、この業の深さに。
それでも放したくなかった。


視線で返事を促すと、少年は、柔和なその顔に微苦笑を浮かべていた。

「もう。何でいつも先に、言っちゃうんですか?」

「お前の考えてることなんざァ、全部分かってんだよ」

いやか、と問えば、新八はゆるゆると首を振る。

「……うれしい、です」

こちらを窺う、期待と歓喜が入り交じったような眼差しが、金色の陽射しに溶けていく。溶け落ちて、この世界で自分を唯一甘やかす。

また唇を寄せながら耳をすませば、先程は大きく聞こえていた蝉の鳴き声は、今はもう遠かった。じきに夏も終わる。そしてもう、この夏は二度と巡ってこない。
また新たな夏が巡る頃には、幾度の罪を重ねているのだろう。

けれど、いかなる咎に苛まれ、裁きを下されようとも構わない。
そう思えるほど、溺れるほどに――こんなにも今、いとおしいから。




しんすけさん、と新八の薄い唇が動いた。声はほとんど発していないけれど、その動きで言葉が読める。

「ちゃんと分かるぐらいに、愛して下さい」

ようやく小さな願いごとを紡いだ少年の唇に、高杉は誓いのくちづけをそっと落とした。吐息が幾重にも重なってこぼれ落ちていく。

「いつだってそうしてんじゃねえか」

陽に褪せた畳の上、痛いくらいに指を絡めながら、何度も繰り返しくちづけをかわした。ほとんど唇を触れ合わせながら、かすれた声で少年が呟く。

「……これから先もです」

「お安い御用だ」

そのこめかみに唇を落とし、高杉はひそやかに笑った。そして、また一つ理解する。

 今この腕に抱いているものが己のすべてだ、と。




――たとえこの先に、どんな罪と罰が待ち受けようとも。








end.




20130812*




(こんなにも、ただ、あいしてる)





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