・短編H・
□恋は急発進
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きっかけは些細なことだった。
怪我をしたかりんの代わりにJuice=JuiceのMVに登場したあゆみんをなんとなく見てたのだ。
あゆみんは撮影の休憩中にスマホの画面を見てて、その表情がとても柔らかいものだったのが印象深くて。
画面をちらっと覗いて見た。
そこには、鞘師さんとあゆみんの楽しそうなツーショットがあった。
『…好きなんですか?』
思わず聞いてしまった。
あゆみんは慌てて画面を隠したけど、もう遅いことを悟って大きくため息をついてたっけ。
『内緒、ですよ…?』
でも、真っ赤な顔でそう言ったあゆみんは、間違いなく恋する乙女だった。
―――――
時は流れ、あの日以来秘密を共有するようになったかりんとあゆみんは、結構仲良くなった。
お互い敬語もなくなり、佳林ちゃん、あゆみんと呼び合う仲にもなった。
そして時間が合えばあゆみんの鞘師さん話に付き合ったり、相談を受けたりなんかもした。
今日はハロステダンス部のレッスン日。
たくさんのメンバーがいる中で、かりんは自然と鞘師さんを目で追っていた。
「鞘師さん、タオル落としましたよ」
「ウソ、全然気づかなかった。ありがと亜佑美ちゃん」
そして、必ず一緒に視界に入るのはあゆみん。
なんとなく羨ましいなと思って、そう思ったことに驚く。
この羨望は何に対するものだろう。
かりんも、鞘師さんと話してみたい、のかな?
「あ、佳林ちゃん」
二人を見たまま考え込んでいたら、あゆみんがかりんの視線に気付いた。
こっちに向かってくる二人に、なんだかドキドキ。
「亜佑美ちゃんと佳林ちゃんさんって仲良かったの?」
「最近よく話すんですよー、ね?」
鞘師さんがかりんたちの関係に驚いてることよりも、あゆみんがかりんに同意を求めてることよりも、他のどんな何よりも、鞘師さんの口から出た『佳林ちゃんさん』という呼び名に心が震えた。
まだそう呼んでくれてたんだと。
2年も前の舞台の時の関係が、鞘師さんの中で残ってたんだと。
そんな感動と、今まであゆみんから散々聞いてきた鞘師さんの良いところが混じる。
「佳林ちゃん?」
「あっ…うん!」
「なにその遅れた反応は!」
「亜佑美ちゃんの思い違いなんじゃない?」
怒ったふりをするあゆみんと、そんなあゆみんをからかう鞘師さん。
思わず鞘師さんの手を取る。
「か、佳林ちゃんさん…?」
「喉乾いたんですけど、一緒にジュース買いに行きませんか?」
「あ、うん、別にいいけど…」
「というわけであゆみん、鞘師さんちょっと借りるね?」
速すぎる流れに二人がついていけてないうちに自分のペースに持ち込む。
あゆみんが押されるように頷いたのを確認して鞘師さんと手を繋いだ。
あゆみんから聞いてた通りだった。
あったかくて、柔らかくて、かりんより少し大きい手。
さっき芽生えた感情が、急激に成長していく。
「きゅ、急にどうしたの?」
「えっとぉ、鞘師さんと話してみたくて」
手を繋いだままにっこりと微笑む。
かりんが引っ張るように歩いてたので当然振り向く形になった。
「な、なるほど…ていうか前見ないとあぶ、ぅわっ!」
そう注意したのは鞘師さんなのに。
ちゃんと前を向いて歩いてたはずの鞘師さんが転けそうになる。
そしてかりんもつられて転けそうになる。
どこでも転けるって本当なんだ。
と変なところで感心してると、そのまま二人で床に崩れてしまった。
「ご、ごごごごめん!」
「あたた……いえ、だいじょ…」
鞘師さんがかりんを押し倒してるような状態。
そして予想以上に近い距離。
もう10cm顔を近づければ、くっついてしまいそうな距離。
「うわっ、あ、ご、ごめっ…ん!?」
その距離に気付いた鞘師さんが赤くなりながらすぐに離れようとする。
あぁ、もう、だめだ。
そう思って鞘師さんの腕を掴む。
ぐっと顔を伸ばしてその距離をゼロにした。
「…先、戻ってます」
一瞬だったと思う。
一瞬だけ、鞘師さんの薄い唇に触れた。
そして、すぐにこのきっかけを作った人を思い出して、鞘師さんの下から抜け出してレッスン室に戻る。
ジュースを買ってないとか、どうでもよかった。
「あれっ?鞘師さんは?」
さっきと変わらない場所にいたあゆみんに当たり前にそう聞かれる。
かりんは何も答えずにあゆみんと向き合った。
「え、どうしたの?ジュースもないし…佳林ちゃん?」
言わないこともできる。
でも、この気持ちをないことにはできない。
それなら、この気持ちを、この気持ちが芽生えるきっかけになったあゆみんに言わないっていうのは、なんだかずるいんじゃないのか。
鞘師さんはあゆみんの好きな人。
だけど。
「あゆみん、ごめん」
「えっ、な、なに?」
「かりん、鞘師さんのこと好きになっちゃったみたい」
end