・短編I・

□正夢
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いつものように、夢にあの人が出てきた。

いつもあたしの隣の人の髪の毛を切っている美容師さん。

その人があたしの髪を切っている夢。

その人に切られた髪は、まるで美しく舞っているようだった。

いつか現実になればいいなと思いながらも、あたしは二週間ぶりに美容室に足を向けた。



―――――



「いつもの担当さんいなくてごめんねぇ」

「あ…いえ…だ、大丈夫です!」

いつか、はまさに今日現実に。
心臓の音が聞こえてしまいそうなくらいに高鳴る。
すごい、すごい、とただただ興奮。
トリートメントしかしない予定だったのが悔やまれる。

「いつも来てくれてるよねぇ?」

「あ、はいっ!」

「綺麗だなぁって見てたの!」

「へぇっ!?」

「髪の毛がね、なんかぁ、すごい触りたくなるくらい綺麗で…」

「わ、は!」

「今日触れてラッキーだなぁ」

上手いこと話せない。
こんなに嬉しいこと言われてるのに、驚きの声と返事しかできないなんて。
お礼、そうだ、お礼くらいしないと。

「あっ、あわ!あぁぁりがとうございます!」

落ち着いて話せない。
恥ずかしくなって顔をふせると少し笑われた気がした。

「やっぱり、綺麗だなぁ」

あたしの行き着けの美容室のお姉さん、亀井さんは、そう言って優しく髪を撫でてくれる。
この日が来たら、どんな話をしようかなんてたくさん考えていたはずなのに。
頭の中が真っ白でなにも考えられない。

「……舞美ちゃん、緊張してる?」

聞こえてきた言葉を理解するまでにとても時間がかかるくらいには。
違和感を感じて、考えて、その正体に気づいた時には、ななめになった亀井さんの顔が目の前にあった。

「まーいーみーちゃーん?」

「名前!!」

あたしのいきなりの大声にびっくりした様子の亀井さんに悪い気はしながらも、次に続く言葉は止められず。
たぶん赤い耳のまま、テンパってますって顔に書いたまま、あたしは口を開く。

「なんであたしの名前知ってるんですかっ」

「常連さんの名前くらい絵里だって覚えるよぉ!」

けらけらっと笑われて、頭を抱えたくなる。
そりゃそうだ。
あたしの名前なんて、言ってしまえば住所だって電話番号だってお店に知られてるんだ。
いくら担当さんじゃなくたって少しくらい目に入ることだってあるだろう。
何を浮かれてるんだあたしは…。

「あのねぇ…恥ずかしいんだけど、初めて見た時に名前調べちゃったの」

「へっ」

「しょっけんらんよーってやつ?ごめんねぇ」

うん?
また、理解に時間がかかることを言われた気がする。
沈黙が少し続いて、声が出た。

「か!亀井さん!」

「ほい?」

「い、や、あの、あ、あたしも、名前…知ってます…」

謝らないでくださいって続けたいのに、口がパクパク動くだけ。
それでも亀井さんは読み取ってくれたみたいで、小さな声でありがとうと言ってくれた。



「……舞美ちゃん」

「へい!?」

会話が途切れて、トリートメントが終わったあと、あたしの髪を撫でながら亀井さんがあたしを呼んだ。
たぶんもう会話はほとんどなく帰ることになるんだろうな、なんて思ってたあたしは咄嗟に反応できずにまた変な声をあげてしまった。

「なにそれぇ!へいっ!」

あたしの返事が気に入ったのか笑いながら繰り返される。
それに恥ずかしい思いをしながら続きを促す。

「な、なんです?」

「へい!」

「やっ、やめてくださいよー!」

余程気に入ったのか。
こっちは恥ずかしいだけであるというのに、本題を忘れたかのようにひたすら繰り返されて、耳まで真っ赤になってしまった。
しばらくしてようやく落ち着いて話してくれそうな雰囲気になる。

「やぁ、あのさぁ……」

「はい」

「お金いらないから髪切らせてくれない?」

もごもご、言いにくそうにしてた口から出てきた言葉。
あたしは純粋に意味がわからなくて首を傾げる。

「あー…のね?髪の毛、切ってる時初めて見たの。そんで、舞美ちゃんて『美しく舞う』で舞美ちゃんでしょ?なんか、髪の毛がね、本当に美しく舞ってて、絵里、いつか舞美ちゃんの髪の毛を切りたいなぁって…思ってたの!」

なんだか恥ずかしそうにされた告白。
胸が高鳴るのを止められない。

だって、あたしだって、夢に見るくらい亀井さんに髪の毛を切ってほしいと思ってた。

「お、お願いします!」

「だよねぇ…やっぱダメ……へ?」

「あたしも!夢に見てたんです!亀井さんに髪の毛切ってもらうの!」

恥ずかしさなんて忘れて。
ただ嬉しくて、ドキドキして、すぐに伝えたいって思いに従って。

亀井さんは、何も言わずに嬉しそうにふんわり微笑んだ。
その笑顔は夢の中で見る笑顔と同じで。

数分後、あたしの3cmくらいの髪の毛は、亀井さんの手によって美しく舞った。



あたしの夢が正夢になった瞬間だった。



end

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