・短編G・
□圧倒的な出会い
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県大会ベスト4決定戦。
試合が始まる前、座っているだけの姿でさえ圧倒的だった。
この場の雰囲気は完全にあの人に呑み込まれていた。
私のチームは負けたんだと、試合が始まる前に思ってしまった。
―――――
結果は完敗。
いや、うちの学校はこれでも結構な強豪校らしい。
戦績的には2対3。
接戦と言ってもいいだろう。
だけど、大将戦を2対2の状態で臨んだ時点で負けたも同然だった。
相手の大将は、なにもかもが圧倒的。
力強さ、技術、キレ、美しさ。
対戦校のマネージャー、ましてや剣道初心者の私でさえそうだったのだから、その場にいた誰しもが見とれていたと思う。
私はその人を間近で感じたかった。
対峙して呑み込まれたかった。
だから追った。
自分の学校のミーティングも放って。
「いた…!」
後ろ姿さえ圧倒的。
すぐにわかった。
高鳴る鼓動を抑えながら近づく。
声をかけようとした時だった。
「こんにちは!」
その人はくるっと回って私に向き合った。
そしてそんな挨拶。
驚いて固まる。
しばらく黙ったまま対峙していると、その人は焦ったような顔して口を開いた。
「も、もしかして…用があるの、あたしじゃない…?」
「ぷっ…!」
思わず吹き出してしまった。
だって、ついさっき、後ろ姿でさえ圧倒的だったこの人が。
向き合った瞬間、その片鱗さえ見えないほどに柔らかな雰囲気。
そしてオロオロ。
人違いかと疑ってしまうほど別人。
だけど間違ってなんかいない。
ちゃんとそこには『矢島』と、さっきしっかり確認した名前が書かれている。
「用があるの、矢島さんで合ってます」
ようやくクスクス笑いから立ち直って微笑む。
あぁ良かった、と胸を撫で下ろした矢島さんもにっこり笑ってくれた。
それにしても、なんで私が追いかけていたことに気付いたんだろう。
その疑問を解決しようと口を開きかけた時だった。
「なにか用でしょうか」
呑み込まれた。
一気にその場の雰囲気が変わる。
息苦しくなって、一度大きく息を吸ってからゆっくり吐き出す。
そして、吐き出しながら矢島さんの表情を確認。
私じゃない。
私の後方。
向けられている視線の先を確認するために振り返る。
誰もいない、と思ったのも束の間。
曲がり角から二人、マスクをして竹刀を持った女の子が出てきた。
「……不慮の事故で、怪我してもらう」
「それが嫌だったら棄権してください」
こんなことが実際にあるのか。
まるで物語の中のような事態。
予想するに、この後、次ではないにせよ結果的に矢島さんのチームとあたるところの子なんだろう。
普通にあたれば勝てないと踏み、こんな行動に移ったとみる。
どうしよう。
誰か呼ばなきゃ。
「怪我はしたくないなぁ」
焦りがどんどん強くなってきたところでそんなのんびりとした言葉が聞こえる。
『怪我はしたくない』ということは、つまり、『棄権する』ってこと?
そんなの許せない。
この人がこんなところで挫折していいわけがない。
全国優勝でもしてもらわないと。
こんなズルに構ってもらっちゃ困るんだ。
「帰ってください…!」
怖かったけど、三歩進んだ。
そして睨む。
「誰こいつ」
「さっき負けてたとこのマネだと思う」
「あぁ…あんたに構ってられないの、退いて」
「退きません!」
強く言う。
そんな私に苛立ったのか、一人がもういいと言うように首を振って、私に竹刀を向ける。
「敗戦校の生意気マネはお仕置きが必要みたいだね…ふんっ!」
一人が近づいてきて竹刀を振り上げる。
怖くなって目を瞑る。
と同時に後ろに引っ張られた。
そして誰かに抱き止められる。
ドンって音が聞こえて、でも痛くなくて、目を開けた。
「矢島さん…?」
矢島さんの左腕に支えられてる私。
慌てて自分の足でちゃんと立つ。
そこで初めて、私に襲いかかってきた人が仰向けに倒れてるのに気付いた。
「え…?」
「くそっ」
「ちょっと5mくらい下がっててね」
矢島さんはそう言うと、襲いかかってきたもう一人から守るように私を背中に隠してくれた。
私は急いで距離を取る。
竹刀が矢島さんに向けて振り下ろされる。
あっ、と思った。
矢島さんは結構なスピードで下ろされた竹刀をかいくぐって、相手の片腕を掴み、懐に入り込んで下から肩を押し入れて、相手の腕を自分側に引っ張り、一本背負いのように相手の体をひっくり返した。
竹刀は廊下に叩きつけられ、二人は完全にのびきってる。
「棄権もしたくないので、のしちゃいました」
へへっと悪戯っ子みたいに笑う矢島さん。
だけど、すぐ不満そうな顔になる。
「負けたくないならちゃんと練習してください。こんなずるいことしないで。今のあなたたちは、うちの中等部の子にも勝てない。すごい子が一人いるんですよ、あたしもうかうかしてられないくらいの」
最初は不満そうだったけど、中等部の子の話になってから誇らしげな表情になった。
楽しそうな、嬉しそうな、でも負けてはあげない、というような。
「くっ…!」
「覚えてろっ!」
THE悪役、な台詞を残して二人は去っていった。
私は無意識に拍手。
「すごいです…」
「よくあるんだよねぇ」
「えっ」
こんなことがよくある?
だから私が声かける前に気付いたのか、じゃなくて。
それって運営の人とかに言った方がいいんじゃないのか。
むしろ誰にも言わないから多発してるんじゃないのか。
「大人に言わないんですか?」
「言わないよ」
「なんで…」
「ここであたしが誰かに言いつけたら、あの子たちの剣道がなくなっちゃう。人の剣道は奪いたくないんだよね。幸いにもまだ怪我とか棄権、したことないし、いいかなぁって」
なんだこの人は、っていうのが率直な感想だった。
自分の身より他人の剣道。
剣道への愛がこれでもかってくらいに伝わってくる。
「そんなの…甘いですよ…」
「うーん…よく言われる!でも曲げるつもりはない」
そう言い切った矢島さんは格好良かった。
こういう人なんだ、と初めて話したのにわかってしまうくらいに。
「ところで、あなたの用は?というか名前聞いてもいいかな?」
「あっ、さっき矢島さんのところと対戦した高校の剣道部のマネージャー、1年の鈴木愛理です。えっと、用は……」
何て言おうか。
素直に『矢島さんを間近で感じたかった』なんて言ったら変に思われる。
「えっと…話したかった、んです…矢島さん強くて、すごくて、こんな人初めて見て、話してみたいって…」
「えっ、そうなの!?嬉しい!」
手をとられてぶんぶん振られる。
そんなに喜ぶことかってくらいに。
だってたぶん、この人のことだから私の他にもこうやって声をかけてくる人がいるだろう。
「あのね!鈴木さんさっきの試合中ずっとあたしのこと見てくれてたでしょ?」
「…ふぇっ?」
「対戦校のマネージャーさんだから、その、あんまりよくない視線かなぁと思ってたの!でも良い意味での視線だったんだね!嬉しい!」
……恥ずかしすぎる。
ずっと見てたこと本人にバレてたなんて。
しかもそれを本人に言われる。
こんな恥ずかしいことが今まであっただろうか。
「可愛い子に恨まれるの、嫌だなぁと思ってたから本当によかった」
恥ずかしくて俯いてた顔をバッとあげる。
他意も悪意もない爽やかな笑顔。
ありがとうございます、としか言えなくて。
そろそろ行くね、と走り去っていった後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
次に会った時、メールアドレスと携帯番号を二人ともが紙に書いて、お互いに渡し合った時にはおかしくて堪らなかった。
end