・短編G・

□可愛さ変化球
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『え、えりちゃんっ!あ、あしょぼ…!』



とてとて、と走ってくる姿。

きらきら、と輝いてる瞳。

ぽわぽわ、と笑ってる顔。



思い出した。



――――――



「ねぇ雅、いつからそんな感じになっちゃったの?」



「は?」



当たり前のように絵里の部屋でくつろいでた雅に、仕事から帰ってきた途端そう聞く。
当の雅はなにを言ってるんだこいつ、と言いたげな視線を寄越してくるけど。



「今日仕事中お昼寝してたら夢に幼少期の雅が出てきたの!」



「ちゃんと仕事しなよ」



「めちゃくちゃ可愛かった!」



「聞いてないし…」



はいはい、とでも言うように一応絵里のために中断していた雑誌を再び読み始める。
雅の中で早々にこの話題は終わってしまったらしいが、終わらせるつもりなんて毛頭ない。
バッグをおいて上着を脱いで、ベッドに座ってる雅の後ろに回る。



「そんな冷たい態度じゃなかった!可愛いぽわぽわ笑顔向けてきてた!」



「こんなんになっちゃってすいませんね」



「そんな謝罪がほしいわけじゃなーい!!」



「はぁ…じゃあかめーさんの望みはなに」



「それ!」



「はぁ?」



「『えりちゃん』って呼んでたの!」



『かめーさん』っていうのは、なんだか雅がハマってるあだ名みたいなもので。
それがいつから呼ばれてるのか思い出せないけど、思い出せないくらいには前だ。

おかしいよね。
だって、恋人同士って間柄に囚われて忘れがちだけど、絵里って雅にとって『小さい頃からお世話してもらってる近所のお姉さん』的なポジションじゃん?
絵里お姉ちゃん、みたいな可愛い呼び方とかしてもいいじゃん?
ていうか恋人同士でも呼ぶなら下の名前じゃん?
なんで、あだ名だとしても、名字から来るものなの?



「どうでもいいけど暑い、離れて」



「よくないよ!」



腰に回した腕をがっしり組む。
少しの間もぞもぞしていた雅も、諦めたように落ち着く。



「呼び方ってすごい大事なものでしょ!」



「そう?」



後ろから表情は見えないけど、どうせめんどくさそうな顔してるんだ。
真面目に聞けーって背中におでこをぐりぐりするけど、くすぐったいの一言と頭突きをくらって大人しくなる。

しばらくの沈黙のあと、雅がため息をついてから呆れたように話し出す。



「…なに、呼び方変えなきゃだめなの?」



「だめ」



「変えなかったらどうなんの?」



「…嫌いになる」



「帰ってきた途端いつもこの体勢になる人がよく言うよ…」



「これはじゅーでんだもん」



苦笑をおでこで感じながら目をつむる。
どうせはぐらかされた。
今の呼び方なんていつか飽きてくれるものだと信じて、一眠りしようか。



「寝んの?」



「ちょっとだけ」



「先に風呂…ってかバッグと上着片付けなよ」



「あとで」



「やんないでしょ」



「やるもん」



「やるわけないよ、絵里ちゃんだもん」



「やるっ………………うへぇ!?」



尖り始めてた唇が上下に開く。
ガバッと顔をあげて、雅の後頭部を見つめる。
平然と雑誌を読んでるつもりだろうけど、絵里には見えてしまった。

赤い耳が。



「うぅぅ…」



「…なに」



「可愛すぎて困るぅ…」



「呼べって言ったの自分じゃん…」



どうせ読まれてないであろう雑誌没収。
手を伸ばしてそれを掴んでポイっと後ろに投げる。
投げるな、って声が聞こえたけど無視無視。
あれ絵里のだし。



「好きぃ」



「…知ってる」



「たぶん雅が思ってる何倍も好き」



そう告げてから未だに赤いままの雅の耳に口付ける。
密着した体から、驚いたような反応をしてることが伝わってきた。

手持ち無沙汰になってる雅の右手を握って、今度はうなじに口付けようとした瞬間。

雅の体が、まるで磁石でも入ってるかのように勢いよく向きを変えた。
つまり、向かい合った。



「言っとくけど!あたしも相当絵里ちゃんのこと好きだから!」



赤い顔のままで、眉をつり上げて、怒ってるみたいに。
恥ずかしいだけとわかってるから一層愛しい。



「絵里には勝てないよーう」



「そんなんわかんないじゃん…」



拗ねたように絵里を睨んでくる雅の顔に優しくキスを落とす。
不満そうにしながらも受け入れてる姿はまた可愛い。



幼少期の雅は確かにとんでもなく可愛かった。
だけど、それとはまた違う可愛さが雅にはあるのだ。
少なくとも絵里にとっては。
それで充分なんじゃないか。



ふてぶてしく座ってる姿。

冷めたような視線を向けてくる瞳。

呆れてることがよくわかる苦笑。



充分可愛い。
いや、じゅーぶんすぎる。



「可愛いなぁ、雅は」



「あー…うるさいなぁ…」



どこかに閉じ込めて絵里だけのものにしたいくらい愛しい雅を、自分の腕の中に閉じ込めるように抱き締める。

大人しく閉じ込められてくれた雅に、絵里の愛は更に大きくなった気がした。



end

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