作品展示場

□短文
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きみはしらない







「Mr.ドン、それ…」


ふと練習後の着替えの手を止めて、タタンカは視界の端に入った物を「信じられない」といった目で見つめた。

呼び掛けた相手の指先には、綺麗に塗られた真っ黒い爪がきちんと10枚。
あるはずだった。

「ああ…これか?ロッカーで擦ったのだ。気にすることではない」

左手の人差し指の黒が、一部剥げている。
艶やかな色をした他の爪とは違い、輝きが失われている。

タタンカは、ドナルドのその綺麗に整えられた指先がとても好きだった。
威厳に満ちた風格と体格に似つかわしく無いその彼の遊び心が、何故だか身近に感じられたからだ。
以前マニキュアの理由を聞いた時は「割れ爪防止の為だ」とあっさり返された。
色に深い意味は無いと言う事も、その時に。
「Mr.ドンも爪が割れるんですね」と思ったまま口に出したら、
少し驚いたような顔をされて「当たり前だ」と笑って返された。
それからタタンカは、いつもは雲の上の人のようなのに、Mr.ドンのその指先を見る度に彼も地に足を着けた一人の人間だと思えるのだ。

「あーあー、どうやったらこんなに擦れるんだよ。タタンカもそりゃ心配するわ」

ドナルドの後ろからひょい、と身仕度を済ませたバッドが話題の手を掴んで覗き込む。
つられてクリフォードやパンサーも寄ってきて、ドナルドの周りは一気に密度が上がった。

「わ、珍し〜!Mr.ドンの爪にロッカーが勝ったんだ」

「パァ〜ンサァ〜、お前は俺を何だと思ってるんだ。それに爪では無くマニキュアだ」

以前の自分のような疑問を口にするパンサーに呆れた口調で返すドナルドはやはり笑っていた。

「バッドが除光液持っていたから、この際全部落として帰ったらどうだ」

横からキラキラと輝く髪を揺らめかせながらクリフォードが意外な事実を口にする。

「何でそんなもの持っておるのだバッド…」

思わず誰よりも早くバッドに問い掛けた自分の目は、「どうせやましい事でしょう?」という意志が含まれていたのだろう。
上からじろりと見られたバッドは、少しだけタタンカからの冷たい視線にビクッと肩を竦ませた後
いつもの茶化す癖でチュッと口を尖らせた。

「俺だって仕事で割れ爪防止に塗る時あるし、クリフォードも透明の塗ってるでしょ?」

だから持ってるんだよ、と言ったバッドの言葉が少し浮ついていて、
パンサーもタタンカも「これは女の子絡みで何かあるな」と直感的に思ったが、話がややこしくなると思って口にはしなかった。

「おお…なら落とさせて貰おうかな。幸い後は帰宅するだけだ」

話が先に進みそうな雰囲気を見逃さず、ドナルドが素早く言葉を放つ。

「だが、その前に着替えだな。タタンカも」

そう笑みを作ってこちらを向いたドナルドに、そう言えばまだ練習着のままだったとタタンカは慌てて服を脱ぎ捨てた。



 ‐ ‐ ‐



着替えを済ませたドナルドがベンチに座って、ロッカーを漁るバッドを待っている。
そのドナルドを中心に半円を描くように、他の面子もバッドを待っていた。
丁度ドナルドの真正面にパイプ椅子を持ってきて座ったタタンカは
「気になって仕方がない」と言った様子でチラチラとドナルドの指先を見ていた。
それに気付いたのか、片眉を上げてドナルドが「見たいのか?」と言って自らの手をズイッとタタンカの前に差し出した。
まさか本当に見せてくれるなんて思ってもおらず、タタンカはその逞しい手とにこやかな笑みに変わった顔を交互に見やった。
相も変わらず差し出される手にごくりと喉を鳴らし、そっと手のひらを取る。
自分の体温より少しだけ暖かいドナルドの手が、ずっしりと乗る。
その分厚さと重さにまず驚いたタタンカだが、その大きさにも驚きを隠せずにはいられなかった。

「俺の手の方が大きい?」

思わずドナルドの片方の手首を掴んで、持ち上げた。
力なくうなだれる指を下から自分の指で持ち上げて、手のひらをぴったりと合わす。
手首の終わりの少し出張った骨同士を合わせてみれば、タタンカの手の方がほんの5ミリ程ドナルドよりも大きかった。

「あ、ほんとだ」

横から見ていたパンサーが「わータタンカすげー」ともらす。
クリフォードはつまらない物を見る目でフン、と鼻を鳴らすと

「タタンカのが身長が高いしボールを掴む頻度が高いんだ。驚く事じゃねぇ」

と言い放って、未だ目的の物を見つけられないバッドの加勢にか、席を立っていった。

「でも、全然違うものだね。厚みも間接も」

そう言いながら、タタンカは指をずらしてドナルドの指の間にその長い指を滑り込ませてキュッと握る。
もう手首を掴む手は放していて、なんの気無しに空いた方のドナルドの手に重ねるように置いていた。
そのまま握った方の手をにぎにぎとしていると、少し困った顔のドナルドと目が合った。
タタンカとしては太さや感触の違うドナルドの手が楽しくて好きに触ってしまっていたのだが、
当初ドナルドから差し出された手は、違う意味だった事を思い出し慌てて握っていた手を離す。

「うわ!ごめんなさいMr.ドン!!」

意図せず両手を上げた「降参」のポーズを取っていて、それがおかしかったのかドナルドが少しふきだした。

「哀しいなぁタタンカ。俺は哀しい。何をそんなに怯える事があるというのだ」

そのままクスクスと笑って上げられた両手を優しく下ろさせるドナルドに申し訳なくなって、タタンカはしゅんと下を向いた。

「だってMr.ドン、困った顔をしていたから…迷惑かなって…」

「迷惑なわけ無いだろう」

じゃあなんで、と問い掛けようとした所で「この馬鹿バッド!!」と言うクリフォードの声と共に、
見事なミドルキックがバッドの太ももを蹴りぬく音が室内に響いた。
何事も無かったかのようにスタスタとこちらへ向かってくるクリフォードに、ドナルドが何事か、と問い掛ける。

「あいついつまでロッカー探してんのかと思ったら鞄に入ってやがった」

イライラはバッドを蹴った事で少し解消されたのだろうが、名残で眉間に皺が寄ったままだ。
ふらふらと除光液とコットンを持ったバッドがこちらへ向かって来るのと
「いつまで待たせんだよ」とクリフォードがバッドへ野次と共に、
ベンチに置いてあった誰のものともわからないタオルを投げ掛けるのは同時だった。
パンサーの後ろに居た事が幸いして、タオルはバッドに到達する前に
自分にぶつかると判断したパンサーが上手くキャッチしていた。
それに軽くお礼を言って、バッドがドナルドの指先に視線を移す。

「ごめんごめん、どこに入れたかわかんなくなっちゃってさ…って、タタンカ?Mr.ドンのマニキュア落としたいの?」

会話の途中でバッドとクリフォードの行動にあっけに取られていて、
ドナルドと合わさった手は二人の膝の上でそのままになっていた。
それがたまたま最初に差し出されたようにドナルドの手がタタンカの手の上にあったものだから、バッドもそう口にしたのだろう。

「え…?えええ?!」

いきなりの言葉に慌てたタタンカは、思わずまたドナルドの手から逃れようと腕を引いたが
何故かドナルドの手に捕まれて、ぴくりとも動かすことが出来なかった。

「それはいい。自分で落とすのも面倒だと思っていた所だ」

にこにこと何故か底意地の悪さが見え隠れする満面の笑みをタタンカに向けて、
ドナルドはあっさりとバッドの提案を受け入れた。

「えええ!Mr.ドン無理だよ!俺マニキュアなんて触った事無いし、ましてや落とすなんて!」

「塗るよりは簡単だ」

「タタンカ頑張って〜」

あたふたと他の二人に救いの目を向けると、クリフォードにはあっさりと切り捨てられ
パンサーは「俺じゃなくてよかった!」とはっきりと顔に出して、心ない応援を送られた。
まさかの展開に泣きそうになりながら元凶のバッドを振り向くと、
いかにも楽しいイベントを待ちわびる子供のような笑顔で除光液とコットンを渡され、

「コットンに染み込ませて拭うだけだから」

と、世界中のファンを虜にする人懐こい笑顔を浮かべて「大丈夫大丈夫!」と肩を叩かれた。

未だ信じられないと言った顔でタタンカがドナルドを見ると、こちらも楽しいイベントを待ちわびる子供のような笑顔を浮かべていて
その笑顔の余りの意外さと絶対的に逃れられない運命にタタンカは肩を落とした。

「やります…」

「タタンカよ、何事も経験だ」

ニヤリと笑ったドナルドに少しばかり引きつった笑顔を向けて、
タタンカは除光液の蓋を開けて恐る恐るコットンを手に取るのだった。



 ‐ ‐ ‐



翌日、朝の練習の時間にはタタンカが苦労して綺麗に全て拭き取ったドナルドの黒いマニキュアは
何事も無かったかのように10枚綺麗にその輝きを取り戻していた。
朝一番にドナルドと顔を合わせたバッドは、まじまじとドナルドの爪と顔を見て口を開く。

「健気、だよねぇ…色を変えたいとか無いわけ?Mr.ドンは」

「願掛けとは願いが成就するまで継続するのが当たり前だろう?」

肩をすくめて、バッドの疑問を受けとめて流すドナルドの瞳は至極真面目で、
その思いの強さにバッドも手を広げて呆れ返る。

「ま、俺も一緒に選んだ色だからいいけどね」

そう言って、他のメンバーを見かけたのだろうバッドはどこかへ行ってしまった。
ドナルドはゆっくりと自分の指先を視界へと持ち上げて
昔、色を付け始めた頃に「深い意味は無い」と嘘を振りまいたその色をじっと見つめた。


黒い。とても黒い。
その癖、心を掴んで離さない、まるで吸い込まれる夜空のような。

たった一つのものを連想して、思わず目尻が弛む。
今はこうしてじっくりと見つめる事なんて出来ないだろうから、せめてこの手に欲しいと思った。
そしていつかその瞳に見つめてもらう為に、己を奮い立たす一因として。


「おはよう、Mr.ドン」

後ろから聞き慣れた声がする。振り向くと想像通りの姿と笑顔で、タタンカが「やぁ」と手を上げていた。

「…おはよう、タタンカ」

ドナルドがちらりと見つめる先の瞳は黒い。

「爪、綺麗に戻ったみたいでよかった。気になっていて」

「別に怪我ではないのだから気にするなと昨日も言っただろう?」

「そうだったね」

にこにこと笑い合って、朝の挨拶が終わる。






10本一揃い。
きらきらと輝く君の瞳。
黒々と渦巻く我が心。


きみは、しらない。









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オトメンなドン。うちのドンはとてもオトメンです。
タタンカの瞳の色は、黒と橙で世界観が違う話だったりします。どうでもいい。





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