文1
□雨がくれた時間
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仕事が終わってさあ帰ろうと思って外に出ると、なんだか嫌な予感がした。
まだ夕方なのに薄暗くなった灰色の空を恐る恐る見上げてみる。
「・・・げ」
最悪。予感的中じゃん。
ぽつりぽつりと道路の色を変えた水滴は徐々にその数を増していた。
「さっむ・・・」
冷たくて嫌いな冬の雨。
あっという間に雨足は強くなった。
ズボラなあたしは傘なんてもちろん持ってきてない。
「あー・・・」
マフラーに顔を埋める。
どうしようか。
コンビニまで走って傘を買う?
でももう雨は土砂降りと言ってもいいくらいになっている。
・・・こういう時ミク姉だったら。
思い浮かぶのは今日に限って休みな我が家の几帳面担当のこと。
仕事に関しては自分にも他人にも厳しいあの人はもし雨に濡れて風邪を引いたらいけないと折りたたみ傘を欠かさずに持ち歩いている。
「・・・風邪引いたら怒んだろうな」
自己管理がなってないとかだから傘持ち歩きなさいって言ってるでしょうとか口煩く言うんだろうな。
「当たり前でしょ」
後ろからふわりと温かい何かに包まれた。
頬にあたるさらっとした感触と甘い香り。
「まったくリンは自己管理がなってないのよ。だから傘持ち歩きなさいって言ってるでしょう」
声が顔のすぐ横から聞こえる。
「・・・ミク姉」
近いよ。
どうやらあたしに巻き付いている温かいものはミク姉の腕で、さらさらは髪であるらしい。
香りは・・・ああこれ葱の匂いか。
「・・・ところでここはスタジオで周りに人もいっぱいなんだけど」
「姉妹がじゃれあってて何かおかしいの」
そう見えるか。
「それとも何、離してほしい?」
「・・・このままでいい」
けど。
「ミク姉、傘持ってきてくれたの?」
珍しい。
いつも誰が困ってても自己責任って言って手なんか絶対貸してくれないのに。
「馬鹿言わないで。ほら」
ミク姉があたしの体に回している手に持っていた箱を示す。
「この辺にあるケーキ屋さんのケーキ。新作が出たから買いに来たの」
「と、ゆー口実で照れ隠しをするミク姉であった」
ごすっという鈍い音がしてミク姉の顎があたしの頭にヒットした。
「いったぁー・・・」
「あほなこと言うからでしょ」
ミク姉はぐりぐりと顎をあたしの頭にこすりつける。
「だってミク姉後ろから抱き着いたのだって赤くなった顔見られたくなくぐえー・・・」
「締め落とすわよ」
ぐりぐり継続な上に二本の腕が首を締めにかかってきやがった。
「ケーキ買いに来たら自分の準備不足のせいで無様に途方に暮れてるリンを見つけたのっ!オッケー?」
「さーせんオッケーですさーせん苦しい苦しいマジ苦しい」
「よろしい」
ぱっと解放されたあたしは酸欠気味で少し咳込む。
「容赦ねー」
「リンが変なこと言うからよ」
・・・ツンデレめ。手加減を知らないツンデレほどタチ悪いもんもない。
恨めしげなあたしの視線を無視してミク姉は近くの柱に立てかけていた自分の傘を広げた。
「じゃ、帰りましょうか」
「はーい・・・ってちょいミク姉」
「なによ」
「あたしの傘は?」
ミク姉の手にはケーキの箱と自分の傘があるだけ。
・・・もしかしてこのツンデレマジでケーキ食いたかっただけですか。
「ないわよ。ケーキ買いにきただけなんだから」
マジだった!
えー何このはずした感。恥ずかしい上に微妙に悲しいんだけど。
ずーんと落ち込みかけるあたし。
「ちょっと、リン?」
「なんどすかー・・・今あたしちょっとナーバスなんですけどー」
拗ねてやる拗ねてやる、とあからさまに肩を落としてみせる。
ミク姉はほっぺをかきながら目を反らしてしかたないからごにょごにょ・・・となんか言っている。何?聞こえないんだけど。
「・・・だからその、ほら。入りなさいよ」
さっと傘をあたしにさしかけながらぼそぼそとツンデレが言った。
え、あ。
「・・・お」
最初からそう言ってよツンデレ。
世間のツンデレと違って恋人になるまでただのツンツンな仕事の鬼だったミク姉のデレのタイミングなんてイマイチつかめないんだから。
恋人になる前だったら確実に置いてく所だっただけにこの待遇にあたしたかなり戸惑った。
「何よその顔!い、いやなら別に・・・」
「あ、違う違う!びっくりしたから。ありがたく入らせていただきますって」
・・・そーいえば傘、カイ兄のでっかいやつ。
なんだあたしの読み、はずれてないじゃん。ひやひやさせやがってからに。
「わかりにくいデレかますなーミク姉は」
「今すぐ傘から出してもいいのよ」
「なんでもないっすさーせん」
わかりやすいのにすげーわかりにくいうちの姉兼マイラバーはまったくなんというか・・・ああもう、勘弁してほしい。
あたしもあたしの感情の波がこの人と付き合う前と違って来ているらしい。
面倒臭いとしか思わなかったこの人のこれが、まさかこんなにも愛しくなるとか、ねえ?がらじゃないんだけど。
恋ってこえー、と今更なことをあたしはしみじみ思ったのだった。
ま、悪かないんだけどさ。
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