作品置き場。

□短編集。
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蝉。
「蝉の鳴き声ってさ、人間の魂の叫び声みたいにも思えるんだよな」
ある日の大学からの帰り道。
そんなことをあいつは言った。
俺は思わず面食らって隣を歩くあいつをまじまじと見た。
確か俺達は今試験が終わって、やっと休暇だみたいな話しをしていて。
しかも、夏の暑さに拍車をかけるような蝉の鳴き声にあーうっとおしいと叫んだばっかなのに。
「え、おまえ意外に詩的なこと言うんだな」
びっくりしすぎてついからかうようなことを言ってしまった。
「いいや、別に俺詩的な意味で言ったんじゃないし……」
はあ。それじゃ本気で思ってるのかよそれ。
逆にそこに驚いて俺は思ったことを口にする。
「蝉の鳴き声が魂の叫びっていうのはあんま思わねーけどなあ……ミンミン鳴いてるだけだし」
「まあな。ツクツクボーシとか最高に意味わかんねえし」
「それは人間が勝手にそう思ってるだけだろうし、蝉からしたらほっとけって感じだろうよ……」
なんで鳴き声談義になってるんだ。
俺はそういうことが聞きたいんじゃない。
「じゃあ、なんでおまえ蝉の声が魂の叫び声とか思うんだよ?」
「うーん」
あいつは一瞬考えこむような顔をした。
うだるような暑さ。木々の間を通り抜けているのだから少しぐらいは涼しくてもいいとか思ってみても無理だろう。その木の上にでもいるのだろうか、蝉が大合唱していた。それが急にぴたりと止まる。
「まあ一人の人がいたんだわ」
「ほう」
「その人はこんな夏の日に入院してそのまま亡くなってさ」
「…ほう」
「俺達はその人が病に罹ってたこととかもう余命僅かだったとか全く知らなかったの。急にお別れされて入院して。一ヶ月もしないうちにこの世を去ったんだ。」
「……。」
「それを俺達が知ったのがまたその人の葬式とか何もかもが済んでから。笑っちゃうよな。ほんと何もできないまま終わったんだ」
「そう、なんだ」
「その日はもう9月の半ばだっていうのに、急に蝉が鳴いてさ。まるでまだここにいるっていうみたいに。生きていたっていうみたいに。それも一瞬で終わっちゃったけど」
「そうか……」
まるで世間話でもするみたいに淡々とそいつは語った。
結構前の話なんだろうか。
そこまで悲しそうな素振りも見せない。
まさかこんな重い話だなんて思ってなかった。どうすればいいかわからずばかみたいな相槌しかうてない。
「蝉って一週間しか生きられないんだよな」
みんなが知ってる当たり前のこと。それなのに急にそれがどうしようもなく悲しいことのように感じられた。
「そうだな。昔はそんなこと知らずよく蝉取りしたっけ」
「無邪気だよなあ子供って。一週間しか生きられないのにそのうちの何日間をあんなところに閉じ込めてさ。」
「子供は無邪気だからこそ残酷だからな」
「でもそれが子供なんだろうな。そういうことをしなくなった時から大人に近づくんだよ。今は希少だからな虫取り網持った子供なんて。」
「じゃあ子供とかが虫取り網持ってたらむしろ褒めてやったほうがいいな」
「ああ。俺は自分の息子が蝉取ってきようがクワガタ取ってきようがサンショウウオ取ってきようが怒らないぜ」
「一番最後のは取ってきちゃだめだと思うぜ…」
むしろどこで手に入れるんだ。
「まあ蝉が魂の鳴き声だとしたら色々と訳わかんなくなるけどな。輪廻転生するには早すぎるし」
あいつはそういって少し立ち止まった。蝉の死骸が転がっていた。それをせつなそうに眺める。
「一年間土の中にいるんだからそりゃ計算合わないさ」
俺はそういって蝉の死骸を見た。
「まあまず俺輪廻転生とか信じてないけどな」
俺はずっこけそうになった。
「そこから否定とか意味ねーだろ、おまえ何か他に信じてるものあるのかよ」
「ねえなあ。神も仏も幽霊も占いも何もかも信じてねえ」
気を取り直して聞いてみたけどあんまりいい答えは返ってこない。
「科学的に証明できない物は嫌いなのか」
「いや俺科学で全部を証明できるとも思ってないけど」
なんだそれ。
「それでいいのかよ理系」
「だってさ理系だからって幽霊とか信じてない人ばっかじゃねえだろ?同じことさ」
「まあ確かにな……」
俺だって別にそこまで何かを信じてる訳でも信じてない訳でもないというか。
いてもいいんじゃないかなって乗りだし。
「でもそんな俺でも信じてるものはあるんだよ」
「なんだよ、それ」
意外な台詞。俺は反射的に質問していた。
「天国」
「は?」
それこそ漠然としないものだ。死後の世界は信じるなんて。
「だってそうじゃないとさ」
あいつは少し笑って俺を振り返る。
「死んだ人の幸せが願えないもの」
死んだ人の幸せ。それはどこまでも後ろ向きな感じがした。
「あんなにいい人だったのにこの世で報われないなんてあんまりだろ」
「……幸せじゃなかったかどうかなんて誰にもわからないじゃねーか」
「だからだよ。余計にあの世ってとこでは幸せになって欲しいんだ」
だから信じるのか。
そんな漠然としたものだけを。
「何も出来なかったんだからこれぐらいはさ願わさせてもらってもいいと思うよ」
「つまり天国で会えたらいいと思ってるのか…?」
「天国を信じるなら逆もあるだろ」
「地獄……」
「俺なんかは天国にはいけないさ。見送った人にひどいことしかしてねーもん」
「人の死なんて誰にもどうにも出来ないじゃないか」
思わず少し強い口調で言っていた。
別におまえ一人だけのものじゃないだろうに。その人の死は。
「そうだな。でも俺には資格ねーしな」
そういってあいつはまた歩き出した。
「逝く所は違うと思ってるさ」
「…別にそこまで深く考えなくていいじゃねえか」
「そんなこと言ってるけど別にそこまで大げさなことは思ってないさ」
あいつは楽しそうに笑った。
「この時期はそう思い出すだけ」
蝉が一斉に鳴き始める。
あいつはそうやって一生誰かの死を背負うんだろうか。それは人間一人一人がそうだということがわかっていても。
思わずそう考えた自分の思考を断ち切るように少し足早になっていたあいつの背中に言う。
「でもさ、蝉の鳴き声が誰かの魂の声だっていうなら。生きているっていう証明なら。少し好きになれそうだわ、蝉」
するとあいつは少し嬉しそうに笑った。
俺がうっとおしいと言ったことを気にしていたのだろうか。
「せっかくの夏の風物詩だもんな。嫌いになったら可哀想だろ蝉も」
「別に次に蝉に生まれ変わりたいとかは思わないけどな……」
「俺だって蝉とかそういうのにはなりたくねえよ」
俺の言葉にあいつは楽しそうに笑っていう。
「だからといってあいつらをばかにしていい訳じゃないよな。」
あいつは続けていう。
「思考能力があるからってだけで人間が他の生き物見下していい訳じゃないよな」
「……そうだな」
今日も蝉は勢いよく鳴く。まるで誰かに訴えかけるように。何かを伝えるように。

今年も夏が来た。
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