書物

□暗雲
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「…始まる…か…」

真田幸村は真田陣営の中央に座しながら静かに目を開いた。
何て事は無い。ただの小さな戦。
だが何故だ…
高ぶる心、抑える事が出来ぬ。

「佐助」

どこかにいるであろう忍の名を呼べば、やはりすぐにその姿を現す。

「お呼び??旦那」

ニヤリ…と笑いながら幸村の前へと歩み寄る。
戦の直前だと言うのに全く緊張感を感じさせ無い表情と口調。
余裕の現れか…はたまた内心を隠す鎧か…
しかしそんな事、今の幸村にとってはどちらでも良い。

「相手の動きは」

表情を動かさず、佐助を見る事もせずに要件だけを告げる主に、佐助は若干肩を竦めながらも即座に答えた。

「後半刻位でこっちとぶつかる。数はこちらの倍以上…」

「そうか…」

再び幸村は目を瞑る。
佐助は知っていた。己の主がこのような様を見せる時、彼はいつもの真田幸村では無いと言う事を。

紅蓮の鬼…

心の中で小さく呟く。
黙って目を瞑り、陣営に座している幸村の体からうっすらと紅い蒸気が立ち込めているように見える。
これが彼が発している覇気。
猛々しく、どこか禍々しい…

「…佐助、下がって良いぞ」

ぼんやりと幸村を見つめていた佐助はその言葉にハッと我に返って、御意…と小さく呟くと姿を消した。
烏の羽が音も無く地面に落ちる。








「おっかないね…」


真田の陣営が見下ろせる木の枝に佐助は立っていた。
長年付き合って来た自分すらも鳥肌が立つほど。
普段の幸村を見ているから余計にその違いを実感しているからかもしれない。

彼は闘いを…血を欲している…

己の紅い鎧をさらにどす黒く染めながら、鮮やかな紅い焔を撒き散らして闘う彼…
その顔には明らかに愉悦と呼べるものが浮かんでいるのを何度目にした事だろう。
その度に自分は不安になる。

いつかこのまま幸村が帰って来なくなるのでは無いかと…

彼は強い。
特に紅蓮の鬼と化した彼は自他共に認める日の本一の兵である。
強い事…武将としては喜ばしい事だ。
その筈なのだが…




ボオォォォー…




遠くから戦の始まりを告げる法螺貝が響き渡る。
力強く、美しい舞い…
槍をひとふりすれば、周りを取り囲んでいた敵兵が清々しい位に遠く吹き飛んでいく。
正に向かう所敵無し。

「旦那…」

溜め息と共に出た言葉。
彼は強い。
自分なんかが守る必要が無い程に…

もし彼がこのままならば、自分は幸村の傍にいる理由を失う。
あの暖かい太陽のような笑みを独占する事は叶わなくなる…

「それ以上強くなられたら…俺様が困るんだけどなー…」

1人呟く軽口。
決して幸村の耳には入らない言葉。

「もっと…あんたの傍にいさせてよ…」

どうかお願い。
俺の居場所を取り上げないで…
他にはなにも望まないから…。

あんたがいる…あんたの傍に俺がいる…


それだけで良い


その事実があれば、俺は闘える…

あんたを…守れる。


「大将、討ち取ったり!!」

幸村の朗々とした声が響く。
やはり武田の勝利。
きっと一番の功績をあげたのは幸村だろう。
佐助は溜め息をつき、少し淋しげに微笑むとその場から姿を消した。






「佐助!!」

「お疲れ、旦那」

戦前とはうって変わったにこやかな笑顔。
それを認め、佐助は少なからず安堵する。

良かった…戻ってきた…

「大将討ち取ったね。またまた大手柄じゃん」

「ああ。これでお館様に誉めて頂ける!!」

嬉しそうにそう告げる。
もう幸村の体から紅い覇気は見えない。


「じゃ、早く戻らないとね」

「うむ!!」

大きく頷くと幸村は駆けて行く。
と、幸村が徐に振り向き何気なく告げた言葉は佐助を戦慄させた。
幸村本人にそんなつもりは無かったのだろうが…

「佐助!!」

「ん??」

「俺はまだまだ強くなるぞ!!お前の手を煩わせぬようにな!!」

片手を大きくあげ、ブンブカ振りながら幸村は再び駆け出した。
もう彼が振り返る事は無い。


旦那…

佐助はグッと唇を噛み締めると幸村が向かったのとは反対の方へ歩き出す。
その姿は徐々に薄れ、いつしか完全に消えていた…


俺はあんたを守る為に生きてるんだ…

この全身全霊をかけて…


(あなたが強くなればなる程…あなたは俺から遠くなる…)


end

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