* お題他 *

□『ある夜の出来事』
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秋季大会が終わったばかりの10月のある日。


「頑張ってるね」


背中に掛かった声に俺ははっと振り返った。
暗い路地に浮かぶ小さな身体に、俺は急いで頭を下げる。


「お疲れ様っす!」

「俺はジュース買いに来ただけだから。ホラ続けて」


クス、と笑った1年上の先輩は、暗い夜道に煌々と浮かぶ自販機に小銭を入れた。

ピ、という電子音を待って細い指がボタンを押す。
ガコンと落下したジュースを拾い、小柄な身体が壁に凭れた。

一連の動きを目で追っていた俺は、やんないの?という目に促されてハッとする。

本当にジュースを買いに来ただけならば、ここを明け渡す必要もない。
俺は一礼すると促されるままに再びバットを揺らして構えた。


一振り、二振り、理想のフォームを思い描きながらコンパクトにバットを振り抜く。

自分には倉持のような足はない。
この先輩のようなミート力も守備もない。
だからと言って純さんのように、体勢を崩されながら右方向に運ぶ技術もなければ、哲さんのような勝負勘も、益子さんのようなパワーも、そして御幸のようなチャンスに強いバッターでもない。

じゃあここで這い上がる事を諦めるのか?夢を捨てて普通の高校生活を送るのか?


…いや、それは出来ない。
送り出してくれた両親や仲間がいる。何より自分が諦めたくない。

だったらガムシャラにでも頑張って這い上がるしかないじゃないか。



「――」


背後の声に、最初は全く気がつかなかった。
でも違和感を感じて振り返れば、壁に背をつけたままの小湊さんがじっと俺を見詰めていた。


「呼ばれでも全然気が付かないんだもんな。凄い集中力」

「あ…っ。スミマセン!」


その言葉に違和感の正体がはっきりする。練習中とはいえ先輩に何度も呼ばせるなんて、と焦った俺に小湊さんは小さく笑った。


「いやいいよ。それだけ集中してたってことだし」

「…はい」

「でも、ダメだね」

「え?」

「ガムシャラなだけじゃ、奪えない」


さりげなく、とんでもない事をはっきり言われた。

呆然とする俺をちらりと見て、小湊さんは壁から身体を起こし背を向ける。
軽く腕を振ると、その手の中の紙パックがゴミ箱に向かって放物線を描いた。

カコンという軽い音とゴミ箱の中で跳ねたパックを見届けて、小湊さんは静かに振り向く。

いつもの表情。いつもの笑顔。だけどその目は笑っていない。
だからより、バットを持つ手が小刻みに震えた。


「二軍の試合見たよ。二番セカンド、一緒だね」

「………」

「打撃も、守備も、一年の中では飛びぬけてた。…でも、」


いつもの表情。いつもの笑顔。だけどその顔が少し歪んだのは気のせいだろうか。
確かめる術は何もなく、小湊さんは真っ直ぐ俺の目を見据えた。


「今のままじゃ、俺の後はお前じゃない」

「…っ」

「言っときたいのはそれだけだよ」


立ち尽くす俺を残し、小湊さんは来た時と同じように闇の中に姿を消す。
でも俺にはその後ろ姿を追いかけて、意味を問う事は出来なかった。


小湊さんの言いたい事が解らない。
いやスタメンになれないって言われたのは解るけど。
解るけど、本当にそれだけなんだろうか?

よく考えれば、あの人のポジションを狙う俺に対する威嚇。
でもそれは違う気がした。

確かに「奪えない」という言葉はそう取れるけど、一年の中で飛びぬけてるなら、少なくとも「俺の後」の第一候補にしてくれたっていいじゃないか。
そして最後に掛けられた「頑張れよ」という、聞こえるか聞こえないかの小さな呟き。


「…あーー!クソッ!」


もともと自分は直情型で、あの人の謎掛けを解く方法なんて解るわけない。
でもこんな事、御幸や倉持に相談する気にもなれない。

色々考えているうちに頭がいっぱいになってきて、俺はその場にしゃがみこむと頭を掻き毟った。


「何なんだよ…」


こんな時こそ何クソと立ち上がるべきだと思うけど、正直バットを振る気力はなくなっていた。









カキーン!と爽快な音が耳に響く。

顔を向ければ地を這うような鋭い打球。
それが自然とミットに滑り込んで、小柄な身体が宙を舞った。

「ナイス、セカン!」と誰かが叫び、恥ずかしそうに小さな頭がペコリと揺れる。



小湊さんと自販機横で会ってから、約半年後。
あの時は解らなかった言葉の意味を、俺はもう、痛いほど知っている。

俺ではアイツに敵わないって、あの人には解っていたんだ。


一年対二、三年の練習試合で見せたプレー。
二軍に上がってから見せ付けられた技術、勝負勘。

どれも自分にはないもので、だからあの日、小湊さんはあんなことを口にしたんじゃないだろうか。


今思えばあれは小湊さんなりの優しさだった。

来年入ってくる新人は、俺の上をいく逸材だから。
自らの弟だからこそ、あの人はよく解っていたんだと思う。

それを証拠に前にも増して小湊さんには気迫がある。今のポジションを奪われまいと、練習に力が入っている。

俺では抱かせる事が出来なかった危機感が、あの人を強くさせている。



カキーン!とまた鋭い音が辺りに響く。
余裕を持ってあの人が飛び込み、手を上げた倉持のミットに送球が決まる。「ナイスセカン!」とまた誰かが声を上げた。

やっぱり上手い。守備も、打撃もどちらも上手い。
でも今年は総合力で、小湊さんに軍配が上がると誰もが言う。


だけど夏以降はアイツがいる。

あの人が予測したように、きっとアイツが二遊間を守るはずだ。



至るところから響く軽快な音を聞きながら、顔を上げる。
意地悪な程青い空と白い雲が、俺の頭上にも流れていた。


あと一年、もう一年。
慣れないポジションを狙うには、決して時間があるとは言えない。

でも。
あの人が守ってくれた俺の芽は、まだ潰れてはいない―――。







-オワリ-







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