* 亮春 *

□『秋風』
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血の繋がった弟に、こんな気持ちを抱く事が間違いだって気付いてた。






 * 秋風 *





少し寝坊した日曜の朝。
リビングに下りて行くと、母親が弟の為に朝食を用意しているところだった。


「おはよ〜。お兄ちゃんはパン?ご飯?」

「んー…、今日はパン。二枚でいいや」


答えると、了解!と言う明るい声の後、食パンをトースターにかける音が背後でする。
あくびを噛み殺しながら冷蔵庫の牛乳を取り出すと、


「春市の分も出してやって!」


と言われて「ハイハイ」とコップを二つ手に取った。

弟の春市は、まだ中学一年生。
何をするにも「兄貴兄貴」と亮介の後ばかりついて来る。
小学校から始めた野球もその一環で、最近では自分に倣ってセカンドを希望しているらしい。
そんな弟を、亮介は可愛いと思いながら、疎ましくて憎らしくて、そしてやっぱり愛しいと感じていた。


「おはよ!兄貴っ」


亮介の気も知らず、弟の春市が背後から元気良く飛び込んできた。


「…おはよ。こんな時間に家にいていいの?」

「今日は練習休みなんだ」

「そ」

「うん!だから…、バッティング、見て貰える?」


手渡したコップを両手で受け取り、春市は緊張しながら亮介を見上げた。
その姿にクスリと笑って、柔らかい髪を一撫でする。


「いいよ」

「やった!」

「ご飯食べて宿題終わらせたらね」

「うん!」


じゃあ宿題持って来る!とバタバタと走っていく後姿を見送って、亮介はふぅ、と息をついた。


強い日差しも物悲しい秋のそれへと変わる頃、亮介は地元のスカウトを全て蹴って、東京の高校に進学を決めた。

野球留学を積極的に行っているそこは、充実した設備、優秀な監督、意識の高い部員達がひしめく強豪校。
半端な気持ちではついて行く事も出来ないぐらい厳しい環境に身をおいて、自分は一体どこまで出来るのか。
それを試したいんだと言い続け、ようやく両親が折れたのが、先日の事だった。

『亮介は、言い出したらホントきかないんだから…』

諦めた母親の声に少し胸が痛んだけど、この機を逃すつもりはない。
だから自分は、来年の春にはここを出る。




「亮介」


不意に母親が呼びかけた。
潜めたそれに振り向くと、春市が戻らない事を目で探ってからそっと続ける。


「あの事…、言ったの?春市に」


青道に行く事を示唆されて、視線を外す。


「…今日言うよ」

「そうしてあげて」

「解ってる」


春市はお兄ちゃん子だから。と続いた言葉には敢えて触れず、亮介はコップをシンクに置いた。
蛇口を捻ると勢い良く出た水がコップに溜まり、瞬く間に溢れかえってシンクを濡らす。
ぎゅ、と締めれば水流が止まり、一滴二滴、雫が落ちた。
それを見つめながら、亮介はぼんやりと思う。

こんな風に、感情もコントロールできたら便利なのに、と。

例え一杯に溢れても、自分の指先ひとつで止める事が出来たなら。
ありえない事を考えて、亮介は唇だけで緩く笑う。


この春には、東京へ行く。
それを告げれば、弟はイヤだと泣くだろう。
でも決めたと言えば、真似するなと言えば。

二年後に、恐らく春市は追ってくる。





「兄貴、ここ教えて?」

「こら、自分でやんなさい」


いつの間にか戻ってきていた春市が、食卓に英語のプリントを散らばせていた。
本当に解らないわけではなく、亮介に構って欲しいだけ。それを知ってる母親が、キッチンからたしなめる。
見抜かれて唇を尖らせる弟に小さく笑い、亮介はお望みどおり甘やかした。


「しょうがないなぁ。少しだけだぞ」

「ほんと!?やったっ」

「でも先に食べちゃえよ。邪魔だから」


心なしかいつもより優しい亮介が嬉しくて、春市はプリントを脇にどかす。
急いで頬張る弟の正面に腰掛けて、亮介も箸をつけ始めた。

今すぐ感情を抑える事は出来ないけれど、春市が追ってくる二年の間に気持ちの整理をつければいい。それでももし、もしこの想いが消えなければ…その時はその時。
可愛くて愛しくて、だけど苦しい気持ちを抱かせる小さな手を、掴んで引き寄せてしまえばいい。



窓ガラスの向こうで、秋風が落ち葉を舞い上げる。
楽しげに、悪戯に。まるで自分の心をざわめかせる誰かのようだと思いながら、トーストを齧った。











血の繋がった弟に、こんな気持ちを抱く事が間違いだって解ってる。

でも、どうしても拭えない想いならば…。





さぁ、誘惑の準備をはじめよう。








-オワリ-







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