夢と現の狭間

□それはね、恋だよ
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それから一週間。わしはムゲンを避け続けた。
顔を見たらまた怒りに巻き込まれそうじゃったし…冷静に考える時間が必要じゃと思ったからだ。
しかし仕事は無情にもやってくる。己の副官はすべて出払い、ムゲンへ緊急に回さねばならん書類が一枚。
これは、わしが行くしかなかろう。
仕事に私情を挟むわけにはいかない。わしはさっさとムゲンの執務室を訪れた。

「――なんじゃ?おらんのか?」

しかし、結果は空振り。ムゲン本人どころか副官さえいない始末だった。
なんか任務でも入ったか、丁度いないか。
どっちにしろ、ここまで来て出直すのもめんどくさい。わしは遠慮せずにドアノブをひねった。当然、鍵はかかっていない。
そういえば、ドアノブ修理したんか…とどうでもいいことを考えた。
部屋に入れば、鼻をつくシガレットの香り。もはや染み付いてしまっている、あのヘビースモーカーの香りだ。
相変わらず、恐ろしいほど何も無い。来客用のソファはあってもテーブルはない。書類も積みあがっていないしコート掛けすらない。副官の机すらないのは、ムゲンの性格のせいだった。いくら副官といえど、同じ空間に居続けられるのは耐えられない、とわざわざ隣りの部屋に用意しているのだ。
書類はほぼムゲン本人が片付けている。副官は、だいたい使い走りに奔走しているはずだ。
いつも書類を届けて回っているのは副官だからだ。

デスクに書類を置き、その後ろにかけられている額に目を移す。

「とりあえず正義…か」

その思想は、どちらかといえばクザンよりに見えるが、その実やることなすことはわし寄りだ。己の中と、組織として悪とみなされた相手に対して、ムゲンは容赦と言う言葉を忘れる。そのときのムゲンは、非情、無情、冷酷、冷徹。地獄の色の髪と、金色の瞳を凍てつかせ、何の感情も無く、敵を葬っていく。
そこに、憐憫も、高揚感もない。苛立ちも無い。
ムゲンの戦いに、感情はない。

「――」

わしは額から目を離した。
立ち去ろうとしたわしの鼻を、コーヒーの香りが掠めた。

――コーヒー?


何故、そんなものの香りが?
ムゲンはコーヒーが嫌いで、この執務室にコーヒーはないはずじゃ。
少し興味がわいて匂いを辿ると、それは給湯室ではなくムゲンのデスクから発生していることに気づいた。
回り込んでみれば、少し開いた引き出し。そこから覗いているパックは、わしが愛飲しているブランドのものだった。

「ん?」

どういうことだろう。
パックの封は最近開けられたものではない。減り具合から見ても少なくとも三ヶ月は経っている。
わしは衝動を抑えきれずに、少しだけ引き出しを開けた。
他人の引き出しを漁るなど普段なら決してしないが、何故か今は抑え切れなかった。

「メモ?」

かさり、と手に当たったメモ用紙。開けば見慣れたわしの副官の字で「サカズキ大将好みのコーヒーの入れ方」とあった。
わし好みの淹れ方…。それにわしの好きなコーヒー。
コーヒーが嫌いなはずのムゲンが持っている、コーヒーのパック。

「――まさか…」

三ヶ月前。
手紙にはしきりにコーヒーの話題が出ていた。
全てがわしの頭の中で合致した。
わしの副官に頼み、わし好みのコーヒーの練習を、ムゲンはしておったのだ。嫌いなくせに、どれだけ飲んだのか。

「――」

わしは元通りに引き出しを閉め、口元を手で覆った。
いかん。
ぐらりと来た。

これは―

これは、ちぃっとばかし、まずいかもしれんのォ。


まだ、パックを持っているということは。メモも捨てていないということは。
そんなもの、考えずとも答えは分かりきっている。

一体どんな気持ちで、わしへ縁談を薦めたんじゃろう。
その顔を見たかった、と嗜虐的なことさえ考える。



わしは執務室を後にした。
女々しいと思う気持ちは不思議と微塵も無かった。
いつもの態度からは想像もつかないくらい、健気な努力。すべてはわしに好かれたいから?

そういえば、ムゲンはわしに「好きだから、付き合って」と言ったことは無かった。まるで愛を告げながらも手に入れることは諦めているような、望んですらいないような感じじゃった。
わしに告白して、どうしてほしいと、言ったことは無い。ただ告白するだけ。

ダメだ、最近、わしの思考はムゲンで占められている。そんな自分に嫌気が差す。

【これは諦めて受け入れればいいじゃない】

ぽんっと脳内に出てきたクザンみたいな口調のわしがひょこひょこと黒い羽を動かしながら喋りかけてきた。――ってこれ誰じゃァ!クザンみたいに喋るな気色悪いッ!

【だめだよォ〜〜もうちょっと焦らさなきゃねェ〜〜】

今度はボルサリーノ口調のわしが白い羽をパタパタ動かして出てきた。もしかしてお前らは巷で言う脳内天使と悪魔か!?天使言ってることがおかしいが。

【いやいや、もうこれ駄目でしょ、サカズキもう駄目だわ】
【そんなことないよォ〜】

段々顔までクザンとボルサリーノに変わっていく。
うぅ、同僚のこんな姿(わしの脳内妄想じゃが)を見せられても嬉しくも何とも無いわ。

【だってグラッて来たでしょ。カワイイとか思っちゃったでしょ】
【まだ時期じゃないよォ〜それに大将同士でしょォ〜せっかく終わらせたのに蒸し返してどうするんだァ〜い?】
【このままどっかの女の子と結婚するのもいやじゃない?実は結構イヤでしょ】
【家に帰んなきゃいいんだよォ〜】
【そうもいかないでしょー世間体的に】
【サカズキが言えば辻褄合わせるでしょ〜〜】

「待て、わしは縁談は断るぞ」
【ほらァ〜キミがそそのかすからァ〜】
【そそのかしてねーし。縁談断るにしても、それなりの理由いるよ?】
【そこにムゲン使うのかァ〜い?悪魔だねェ〜】

クザン悪魔とボルサリーノ天使は好き勝手言う。
しかし言葉に耳をとられ、わしはつい聞いてしまった。

【コーヒーとか健気だよねェ〜】
【それはわっしも同感だよォ〜】

うっ、それは痛い。
じゃが、わしは愛してるかと聞かれれば答えられん。

【そりゃーお前がまだ気づいてねェだけだな】
【モノにするなら既成事実作っちまえばァ〜?】
【体からかよ】

いやいやいやわしは海軍じゃぞ。
強姦は犯罪じゃ。
――というかっ、男なんぞ抱けるか!!

【あ、今ちょっと男なんか抱けねェって思った?】
【視野が狭いねェ〜いいじゃない、ムゲンって多分根っからネコだよォ〜】

「ネコって何じゃァア!!」

【受けだよ女役】
【それくらい知ってんでしょー】

「じゃああかしいわッッ!!もうどっかいかんかいっ!!」

どうなってんじゃわしの頭は!!
ぶんぶんっとクザン悪魔とボルサリーノ天使を掻き消す。

「おいおい何やってんのよ」
「黙れっちゅーたのが分からんかァア・・あ?」

あれ?
ん?これは…本物のクザン!?

わしは狼狽しながら突然怒鳴られて唖然としているクザンを睨みつけた。

「な、何の用じゃ」
「いや、海兵からサカズキが廊下でブツブツ言いながら百面相してて非情に怖いですって報告受けたから見に来たのよ。ほんとにどうしたの」
「何でもないわィ。ほれ、そこを退かんか」

取り繕えてないことは承知の上で取り繕い、わしは足早にクザンの視線から逃れた。
ああもうわしは一体何をしとるんじゃっ!!





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