PandoraHearts

□アレゴリー
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 ねえ、たとえば、たとえばですよ。机の端に腰かけていた彼が、唐突にそう呟いた。その手には、どこから持ちこんだのか、細かな黄の花と緑の葉の房がついた枝が握られている。たしか、アカシアといった植物であっただろうか。柳のように頭を垂れるその枝の房は、部屋にやわらかな自然の色を振りまいていた。それに負けず劣らず穏やかな声が、部屋に響く。
「わたしが、きみをきらいと言ったら」
 きみは、どうしますか。なんの脈絡もないその言葉に、仕事を再開しようと持ったペンが強く震えた。なにをいきなり、そんな理不尽なことを言われなければならないのか。わけのわからないまま目を上げても、彼はこちらに背を向けたまま、振り向こうともしない。それでもわたしの眉が寄った気配は伝わったのだろう、ちいさく笑った彼はその横顔を髪で隠したまま、たとえばの話ですよ、と繰り返した。
「もしわたしがそう言ったら、という話です」
 ゆさり、黄色に少しの緑が混じった房が揺れる。そうだな、とペンを置き考えるそぶりを見せながらも、わたしは立派に咲き誇っているその花ひとつひとつに目を奪われていた。
「とりあえず、もうおまえの仕事は引き受けないな」
「それは…こまりますねえ」
 うわのそらでくだらないことを言えば、肩をすくめながら彼が苦笑する。それに呼応するかのように再び揺れる花から、強引に意識を外して顔を上げると、彼もまたその黄を見つめていた。枝を持つその細い手首に、先ほどの問いが頭を駆けめぐる。もし、きらいと言われたら。彼にきらわれたとしたら。
(それが、いったいなんだというのか)
 彼に敬遠されるのは、やはりつらいことだろう。あげくの果てに否定までされるなど、考えたくもない。だが、それで自分のなにかが変わることは決してないように思えた。どんなに彼に迷惑だと思われようと、いとわしく思われようと。
「わたしがここにいるのは、変わらない」
 アカシアの花に触れていた彼の指が、ぴくりと痙攣した。そうだ、その葉のように、寄りそうだけでいい。たとえそれができなくとも、その枝のように、ひそかに支えることができれば、それでいいのだ。こんなことはただのおせっかいだ、わたしのわがままだ。ああ、彼のため、ではない。彼はその言葉をいちばんきらうのだから。
「そう、ですか」
 ぽつりとこぼされたその声からは、なんの感情も読みとれなかった。そうですか、ちいさな声音が空気を伝う。部屋に静けさが戻り、しかしその沈黙さえ今は心地よく感じた。それから、どれくらい経ったのだろう。まるで今まで呼吸を止めていたかのように、かすかな音を立てて、彼が息をついた。
「レイムさん」
 これの花言葉は、知っているかい。ペンに伸ばしかけた手を止めても、やはり彼はこちらを見ようとしなかった。そっと机に枝が置かれ、ずっと揺れていた房がようやく落ち着きを覚える。いいや、と返すと、彼はまたそうですかと呟いた。呟きながら、机から床に降り立つ。
「友情、だそうですよ」
 友情。その言葉に、思わず苦く笑ってしまった。この感情がそう定義されるとするなら、愛情はどんなものだというのか。いいや決して、友情などという言葉では足りないのだ。ああ、彼にしてみれば、きっとそれで十分であるのだろうが。扉に近づいたその彼が、でも、と振り返る。
「それ以外にも、意味があるとしたら」
 きみは、どうしますか。紅い瞳が、いつになくまっすぐに、わたしを射抜いている。それに呆然と視線を返していたわたしは、微笑みを浮かべて部屋を出ていく彼を、呼びとめることもできなかった。
 丸みを帯びたアカシアの花がひとつ、机に転がっていた。

アレゴリー
(それが、秘めた愛、であるとしたら)
(きみは、どうしますか)

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