PandoraHearts

□成長
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 老いとははたしてほんとうにおそろしいものなのであろうか。そう青年はもはや自身より年下となってしまった男を見つめながら考えた。手掴みでケーキを頬張っていたその男は、指先に残った白をすこしも余すまいと舐め取っている。だがその振る舞いに行儀がわるいと注意するには、青年の思考は老いという一種の問題に囚われすぎていた。
 朽ちる、廃れる、決して縁起がいいとは言えない意のそれは、それでいて生物界では悠久の鉄則であるのだ。老いと見ればすぐ死を連想するのが人間というものだが、はてさてそれだけであるのだろうか。成長、成熟、老いることは完成していくことでもあり、完成することはすなわち死を意味するのではないのか。後者はかなり逸脱した思想ではあるが、とにもかくにも老いとはえてしてうつくしさとなりかわるものなのだろう(と言うのも、完成したものはどんな形であれうつくしいものであるという固定概念がこの青年にはあったのだ)と青年は性急に結論づけた。男にじっと見つめられていたのに気がついたからだ。
「どうしたんです、さっきから」
 黙りこくって。そう首をかしげる男に、青年は先ほどの己の結論があながち間違ってはいないことを知った。外見こそ時が止まってはいるが、確実に男の精神は時を刻んでいるのだ。そこから醸し出されるややちぐはぐなうつくしさは、変わらないはずの凄艶な容姿にも表れている。その薄紅の唇が名を呼んでくるのに青年がなんでもないとはぐらかせば、そうですかと目に疑わしげな色を浮かべながらも男は席を立った。
「お茶、なくなりましたね」
 淹れてきます、と向けられたその背中に、青年はふと違和感を覚えた。それはたしかに見慣れたはずの背中だった。いつもの、昔から見慣れているはずの細くちいさな背中だった。
(わたしは、いつから)
 その背中を、細いと思うようになったのだろう。いつから、ちいさいと思っていたのだろう。こめかみから首を伝って血が引いていくような感覚にああ、と青年は他人事のように苦笑した。無自覚に過ごしていた時が、今になって一挙に押し寄せてきたのだ。
「なにをひとりで笑っているんです」
 ティーカップを取りに来た男は眉をひそめて尋ねてくる。いや、なんでもないと答えた青年は、しかし再び踵を返した男の背中に向かって言った。
「ちいさくなったな、おまえ」
「きみがおおきくなったんです」
 縮んでなんかいませんよ、と間髪入れず返ってきた言葉に、青年はどこかうれしそうに笑った。

成長
(まだ、置いていかれてはいなかった)

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