PandoraHearts

□巣ごもり
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 こたつというものは存在そのものが罠であると言っても過言ではない。その暖かさでひとを魅了し、一度入ったら最後、抜け出ることが困難な罠である。それはひとを怠惰にし、堕落させる。
「…ひま、だなあ…」
 そして残念ながら、わたしもその罠の餌食になったひとりであった。十分に一個くらいのペースで机の上の丸い橙色に手を伸ばす(その度に黄色い三つ編みが脳裏をかすめるのだが、それはいったい何故だろうか)。近くにごみ箱がないせいで、そこには立派な皮の山が築かれていた。見飽きたテレビはくだらない娯楽番組ばかりを映し出し、ああもう年末かと時間の早さをぼんやりと考える。しかしそれよりもなによりも頭の中を占めるのは、今自分が暇であるということだった。そうして視界に時計の文字盤を見つけ、その時間にはて、と思う。
(そろそろ、帰ってきてもいいころだろうに)
 その瞬間、アパートの狭い居住区域全体に錆びた電子音が響き渡った。噂をすればなんとやら、よしよし帰ってきたかとほくそ笑みながら入ってくるのを待つ。同居している彼のことだ、鍵くらい持っているだろうと誰にともなく言い訳がましいことを思い巡らせていると、ぴんぽーん、とまたもや電子音が鳴り響いた。
「…鍵、持っているんでしょー」
 早く入ってきなさいよ、と玄関に向かって声を張り上げる。無論、身体はこたつに入ったままだ。だが、声が聞こえたのか聞こえなかったのか、答えたのはやはり電子音だけだった。もしや、ほんとうに鍵を持っていないのか。それとも、彼ではないまったくの他人なのか。それはまずいと思いつつ、身体は出なくともいいではないかと言うこたつの誘惑に負けて動かない。出たいけれど出たくない、そんな些細すぎるジレンマに悩まされていると、手の届くところにあった携帯電話が鳴った。緩慢に開けた画面には、彼の名が表示されている。
「もしもしー?」
『もしもしー、じゃあない! 早く鍵を開けろ!』
「えっ、持っていないんですか?」
『いいから、早くしろ!』
 寒いだろう、と叫ぶその声はほんとうに寒そうに震えていた。わかりましたよ、としかたなく答えて電話を切り、のそのそとこたつから出る。まったく人使いが荒いんですから、と不条理なことを呟きながら玄関の鍵を開けると、冷たい外気と共に鼻を赤くした彼が勢いよく入ってきた。おかえりなさい。その言葉と扉の閉まる音が、同時に響く。
「…ただいま」
 恨めしげに睨んでくる視線をはぐらかすようにその両頬をつまめば、氷のような感覚が指を襲った。ずるずると鼻をすすりつつ靴を脱いだ彼は、戻ろうと身を翻したわたしを逃がすものかと言うように後ろから抱き締めてくる。
「ちょっと、寒いんですけど!」
「その寒いところから帰ってきたやつをもう少しいたわろうと思わないのか、おまえは!」
 染み込んでくる冷たさに、がちがちと歯を鳴らして怒鳴る彼から離れようと身をよじる。しかし、ちゃりんという聞き覚えのある鈴の音に、思わずその動きを止めてしまった。この音はたしか、彼の鍵についていたキーホルダーの。
「鍵、持っているんじゃあないですか!」
「持っていてわるいか!」
 言葉に詰まるだろうと思っていたのに即答してくるものだから、その開き直りようにあきれるひまもなくこちらが言葉を失ってしまった。頬を首に押し当てられて、ぞわぞわと鳥肌が立つ。
「…どうせ、一日中こたつにもぐっているだろうから、引きずり出してやろうと思ってな」
「そんないじわるなひとでしたか、きみ」
「そうもなりたくなるだろう」
 雪が降っていたんだぞ、という言葉に、カーテンの閉めていない窓の外に視線を投げた。薄暗いそこは、いかにも冷え冷えとしたさみしげな空気を伝えてくる。結局のところ、出迎えてほしかっただけではないのか。そう彼に訊こうとして、やめた。
「レイムさん」
「なんだ」
「…こたつ、入りませんか?」
 あったかいですよ。できうるかぎりの柔らかいやわらかい声で囁く。ずる、とすすられる鼻水と共に、そうだな、と罠の餌食がまたひとり、増えた。

巣ごもり
(だって、さむいんですもん)

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