PandoraHearts

□雪と果実ときみの顔
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 晩のうちに降り積もった雪が、陽の光を浴びてきらきらと輝いている。なんの跡もついていないその上に、黒々とした杖が点々と小さな穴を描いていた。冬の匂いがたっぷりと漂う庭の中、その杖を頼りに歩いていく彼はほうと息をつく。

 雪、ですか。

 そう言う彼に、ああ、と答えつつ、わたしは辺りを見回した。一面の銀世界と言っても過言ではないほど、すべてが白く、白く塗りつぶされている。

 きれいだぞ、真っ白で、それに、世界が光っているようで。

 言いながら、語彙のなさが、この光景を表現しきれない自分が情けなくなった。やるせなく奥歯を噛みしめるわたしをよそに、彼はわたしのほうを振り返り、それはそれは、と目許をやさしく緩ませる。

 さぞかし、きれいなんでしょうねえ。

 その細められた穏やかな紅には確かに、雪を背負う木々が映り込んでいる。だが、水鏡のように澄みきったその瞳はまさしくそれのごとく、ただ景色を映しているだけなのだ。例えでもなんでもないその現実が、ひどく、ひどくわたしの胸を掻き乱していた。

 もう少し、歩いてもいいですか。

 首をかたむける彼に近づいて、杖を持ちそっとその肩を抱く。彼の歩みに合わせてゆっくりと足を進めていると、彼はふと前方に手を伸ばした。

 このあたりに、冬に実がなる木がありませんでしたっけ。

 むかし、お嬢様にねだられて実を取ったと思うんですが。なつかしげにそう言った彼の手の先を見ると、そこからいくぶん離れたところに、彼の言う木があった。背の低いその老木は、あの頃と同じように赤い果実をぶら下げている。

 そんなことも、あったか。

 懐郷に似た想いが、自然と口を動かした。木の下まで彼を連れて行き、探るようにさまようその手を掴む。そして雪にまみれた小さいその実まで導いてやれば、彼はぷちりとそれをもいで、心なしか大事そうに握った。

 お嬢様に、持っていきましょうか。

 そう、微笑んだ彼のうつくしさに、わけもなくせつなさがあふれだした。こみあげた形にならないものが喉から、胸からほとばしりそうになって、きつく唇を噛む。彼はその気配を感じたのだろう、わたしの腕に手を触れて、そこから辿るように腕を伝い、肩を通って首、頬までそれを滑らせた。

 泣いて、いるんですか。

 ひやりとした冷たい彼の手は、どこまでもどこまでもあたたかかった。いいや、そう答えても彼は頬の手を離そうとはしない。そのくせ、その眉をさびしげに、さびしげに歪めて笑うのだ。

 やっぱり、わからないものですねえ。

 ごめんなさい。こぼれおちるようにその唇から呟かれる言葉に、わたしはひたすらに首を振っていた。違う、そんな、そんな顔をさせたいわけじゃあない、わたしは、わたしは。ぐるぐると渦巻いた想いがそう簡単に言葉にできるわけがなく、いてもたってもいられずに、わたしはそのほっそりとした身体を抱き寄せていた。突然のことに驚いたのか、身を強ばらせた彼の頭を、思うように動かない手で撫でる。彼はぎこちなく、わたしの肩に額を乗せた。

 こわいんです。

 震えた声が、そう叫んだ。それは確かに叫びだった。微かな、かすかな声が紡いだ、小さなちいさな悲鳴だった。

 おもいださないと、こわいんです。

 わすれてしまいそうで。なにをとは言わない彼がにくらしかった。肝心なときに言葉を濁してしまう彼が、それでもこうして寄りかかってくる彼が、もどかしくて、いじらしくて、いとおしかった。

 そうか。

 そうとだけ答えて、わたしは小刻みに揺れるその肩をひしと抱いた。冷えた空気を吸い込んだ髪に、頬を寄せる。ひら、と目の前を、雪が舞った。

 寒いな。

 外套がじわりと濡れて滲むのに、わたしはただただ、気づかないふりをしていた。

雪と果実ときみの顔
(色褪せていくこの思い出さえも)
(すでにゆがんでいるのだというのに)

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