PandoraHearts

□きみのとりこ
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 吐く息が熱い。熱の籠る身体に、たまらず冷たさを求めてベッドの上の方に手を伸ばしても、追いかけてくる彼の手にあえなく捕まってしまった。手の甲を包むように指が絡み、握られて、耳元に唇を寄せられる。滑り込んでくる低い囁きに、わたしは思わず絡んだ指を握っていた。
「ザークシーズ…」
 欲の滲む指先が、濡れた内腿をつっと滑っていく。息を詰まらせて肩越しに振り返れば、彼はふっとその茶褐色の眼を細めた。ゆっくりと腰を揺らされ、擦れる奥に声が抑えきれない。彼の吐息が首筋にかかり、訪れた緩やかなめまいに身震いをせずにはいられなかった。
 まったく、彼もお人好しが過ぎるというものだ。違法契約者と知ってもなお、こうしてこの身体を求めるとは。シーツに頬をつけ、ぼんやりと彼を眺めながら思う。そこまでどうしようもない男ではないはずであるのに、どうしてこうもやさしく触れてくるのか。しかも、やわらかく、穏やかに抱いてくる彼の顔は、普段からは考えられないほど安堵に満ちているのだ。ああ、もしかするとこの男は、根っからのばかなのかもしれない。だがそのばかに惚れているのが自分なのだ、とため息をつくと、彼は少し眉をひそめた。
「どうした」
「いえ、わたしも大概、ばかだと思いましてね」
 眼鏡を外したその目に、怪訝そうな色が浮かぶ。たいした意味はありませんよ、と首を振って顔を背ければ、しばらく黙っていた彼は突然、わたしの身体を引き寄せた。繋がりが深くなり、背筋から駆け上がる痺れが頭の芯を溶かしていく。
「レイム…さん」
 喘ぎつつ、恍惚と彼の名を呼ぶ。うなじに口づけられ、きつく吸われるのにぞくりとして目を閉じると、彼はなにを思ったのだろう、身体に腕を回されたかと思うと、ぐっと勢い良く後ろに引っ張られた。
「あ…っ!」
 軽い浮遊感に驚いて口を開いた途端、起き上がった身体が彼の身体に沈む。甲高い声が喉を通り抜け、咄嗟に掴んだ彼の腕に爪を立ててしまっていた。
「大丈夫か」
 自分も低く小さくうめいてから、彼はいたわるように訊いてくる。無骨な手に頭を撫でられて、わたしは息で返事をすると彼に背を預けた。そろそろ限界か、膝が揺らぎ、ぴくぴくと内腿も痙攣し始めてくる。彼を飲み込んでいる感覚の薄れたそこも、きっと同じように震えているのだろうと思うと、目の前が真っ赤に染まっていくような心地がした。
「おまえが…」
 頭にあった彼の手が頬に移り、耳たぶに甘く歯を立てられる。その間に、もう片方の手が脇腹から腿の付け根を伝い、浅ましく蜜をこぼすそれをそっと包んでいく。どくどくと高鳴る心臓の音が彼に聴こえてしまいそうでうつむいたその時、かすれたような彼の声が、耳に吹き込まれた。
「おまえがばかだというのなら…わたしもそうなんだろうな」
 くちゅ、と音を立てて手を動かされ、身体が大げさに強ばる。あなたにしてはわかっているじゃあないですか、などという自分でもかわいげのない言葉を言ってやろうとしたが、開いた口から漏れるのは身も世もない嬌声ばかりだった。断続的な快楽に堪えかねて、彼に頬を擦り寄せひどく甘ったれた声で名前を呼ぶ。ごく、と生唾を飲み込んだかと思うと、起き上がった意味はなんだったのか、彼はまたわたしを押し倒した。
「ザクスっ…」
 彼らしくない荒々しさに息が止まりそうになった。頭が真っ白になり、逃げようのない苦しさに、陶酔に手がシーツをかきむしる。その布地の感触や、背筋にぴたりと寄り添う彼の体温でさえ、悦楽に取って変わっていった。
「…あっ…」
 唐突に、なにも見えなくなった。身体中の感覚という感覚が奔流のように押し寄せて、直後、全身を電流がひた走る。ぷつりと、なにかが途切れたような気がした。
「…ザークシーズ…」
 重い瞼を押し上げると、上から彼の声が降ってきた。彼の腕に頭を乗せたまま、顔を上げる。どうやら気を失っていたようで、彼は心なしか安心したように、ほっとため息をついた。
「…すまなかった」
 そう頬に手を添えられて、先ほどの彼をひどく生々しく思い出してしまった。いちいちそんなことを言わないでいいんですよ、と冗談半分に叱ってやろうとして、唇を奪われる。ついばむように何度も口づけられ、くらりとしたあのめまいが、再び襲ってきた。
「レイムさん…」
 嗄れた声で呟けば、彼は目元を緩ませて、わたしをその胸に閉じ込めた。包み込むようにかき抱かれるのに、もっと、と脚を、腿を絡ませる。隙間を作るまいと互いに抱きしめ合っていると、ふと、こめかみに彼の頬が触れた。そしてごく小さく、わずかに息を吸う音が聴こえたかと思えば、そっと、囁きが舞い降りてくる。
「おまえになら、ばかになってもいい」
 一瞬、なんの話かわからなかった。耳の奥で、心臓の拍動が鐘のごとくはっきりと響き渡る。いったいぜんたい、突然なにを言い出すのか。しかも、あんなつまらないわたしの一言を、今のいままで考えていたとは。息があがり、急激に頬がほてっていくのを、抑えることができない。ほんとうに、まったく、この男は!
「…ばかになるんじゃあなくて、もうすでに、ばかなんでしょうに」
 彼の胸に顔をうずめたまま、どうにか言葉を返してやれば、彼はあたふたといや、その、と声を詰まらせた。その狼狽した表情があまりにも容易に想像できるのに、思わずくつくつと喉を鳴らしてしまう。もう、どうして彼は、こうもかわいいのだろう。
「なにも、笑わなくてもいいだろう…!」
 情けなさそうに裏返った声さえも、いとおしくてしかたがない。赤い顔を見られるのを覚悟して目を上げると、さっきの強引さはどこへやら、負けず劣らず頬を染めた彼が、これ以上ないというほど目を泳がせていた。またにやにやと笑っていたのだろう、彼はくやしそうにぐっと口を引き結ぶ。そうかと思えば、無理矢理、その身体に頭を押さえつけられた。
「ちょっと、なにするんですかっ」
「いいから、さっさと寝ろ!」
 まったく、とため息をつく彼に、言われなくても寝ますとささやかに反抗して目を閉じる。静かに刻印に触れながら、いつのまにか、わたしはこの心臓が止まることを知らぬようにと願っていた。

きみのとりこ
(この罪人が)
(いつまでも隣にいてくれますように)

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