ケロロ軍曹

□白昼夢
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 本日、あいにくの雨。
 などと言ったらあいつは怒るだろうか。「雨のどこが悪い」「雨は拙者らに恵みを云々」だとかなんとかかんとか言い出しそうだ。猫が鳴く。おまえがなにを、誰のことを考えているかなんてわかっている、と言うように。
「あぁ、そうだ」
 気だるげに答えて猫の頭に手を乗せる。テントを打つ雨音がうるさい。空気はじとじとと湿り、冷え切っている。ケロロが暴走していなければいいが、と内心危惧しながら、おれは手榴弾を手に取った。
 大事をとって全て確認したものの、これくらいの湿度ではそうそう火薬は湿らない。もっとも、“花火”なんていうものに使われている、地球人の軟弱な火薬がどうなのかは知らないが。思った通り、手榴弾の中の火薬は湿気ていなかった。ほ、と息をついて寝転がる。
 また、することがなくなった。ざあざあと降りしきる雨が、これまでにもなく鬱陶しい。ケロン人にとってはまさに“恵み”の筈なのに。
「……ずいぶん…染まってしまったな」
 自嘲するように顔を歪める。猫が責めるように鳴いた。それのなにが悪い、と。
 地球に来てから長いが、慣れたとはいえここの空気はやはり汚い。自分で汚したものを、何故元のようにきれいにできないのか。おれには理解できない。
 だが、自然を汚していてもなお、ここの人間が持ち続けているものがある。それがなにかと問われれば、はっきりとは答えられない。ただわかるのは、なにかしら、かがやくものを持っていることだけだ。そう、心に、なにかの、きらめきがある。
「…………」
 おれたちの星には、そんなものがあっただろうか。おとなの心に。こどもの心に。
 戦いにばかり、背中を押されていたのではないか。強さばかり、求めていたのではないか。肝心なものを、どこかへ置き忘れてしまったのではないか。
「……………馬鹿らしい」
 ためらわずに、言えなかった自分がいた。唇を噛んで情けなさに耐えた。おれは、祖国をも否定するのか。並べられた手榴弾が鈍く、光っていた。
 雨は、降り続いている。



「ギロロくん!」
 マスクをしたあいつが、よたよたと走ってくる。懐かしい光景だ。しかし、どうして今、この景色が見えているのか。
「ひどいよ、また、ぼくだけ…おいていくなんて……」
 あぁ、夢、か。これは。ゼェゼェと息を切らしてドロロ、否、ゼロロが道路の縁石にへたりこむ。その隣におれも、座った。寄り添うように。
「……………ギロロ、くん?」
「…わるいな」
 いつもいつも。置いてきぼりにして。ひとりぼっちに、させて。これからもっと、そうさせてしまう。夢だとわかっていても、しばらくはおれから離れた道を歩んでいく未来のおまえに、謝りたかった。
 思いきって、口を開く。声がすぐに、出なかった。
「………おれ、おまえをわすれるんだ」
「…うん」
 意外に静かな反応に、おれは弾かれたように顔を上げた。ゼロロは、かなしそうに泣きながら、うつくしくわらって、小さく言った。
「しってるよ」
「………………………!」
 感覚が、冷えきった。
 体が震える。どうしたんだ。なにも、おかしいことはなかっただろう。
「しってる」
 またゼロロが言った。その言葉が無性におそろしい。なにが。なにかが、おかし、い。
「…どうしたの? ギロロくん」
 どうして。なんだ。これは。ぞくりと背筋が凍る。ゼロロが不思議そうにおれを見ている。やめろ。見るな。おれに近づくな。空が墜ちてくる。地がせりあがる。太陽が、東に沈んだ。ふわり、マスクが風に飛んだ。
「 ギロロくん 」
 真っ赤な舌が、動いた。そして。
 そして。
 すべてが。



 歪んだ。






「…!」
 心臓が、跳ね返った気がした。
 びっしょりとかいた汗が、こめかみから伝っていく。目の前は鮮やかなスカイブルー。柔らかそうな白がゆっくりと流れていっている。涼やかな風が吹いた。青い草の匂いが鼻をくすぐる。
 自分の左手は、なにかを握っていた。
「ギロロ殿」
 呼ばれて、顔を左に向ける。そこには、しあわせそうな、それでいて困ったようなドロロの笑顔があった。あぁ、手を、繋いでいたのか。少しばかり、顔に血がのぼった。
「なにかこわい夢でも、見たでござるか?」
「……何故、そう思った?」
 訊き返したのは、やさしい声で紡がれた言葉があまりにも的を射ていたからだ。ドロロが頬を赤らめた。だってね、と動揺しているのか、言葉遣いが幼くなる。
「…ギロロくんが、ぼくの手、……てこでも離さなかったから」
 思わず、わらいだしてしまった。そんなに表に出ていたか。我ながら情けない。
「離して欲しかったのか?」
 冗談混じりに言ってやれば、ドロロは慌てたようにふるふると首を振った。同時に手を強く握られる。まったく、かわいい奴だ。もっとも、そんなことを口が裂けても言えるわけないが。
 再びわらったおれに、やっとからかわれたことに気づいたのか、ドロロが少し怒ったように目を細める。それでもやはりばつが悪かったようで、そのまま目を逸らしたドロロは手を離すとおれに背を向けた。けれど、その背中からは明らかな甘えが漂ってくる。なんなんだろうか、この、かわいさは。
「なにを拗ねているんだ」
 望み通り、背中から抱きすくめて頬をつついてやった。びくりと肩を震わせて顔を俯けると、ドロロは小さく反論する。
「拗ねてなんか、ないでござる」
「いや、拗ねてるだろう」
「拗ねてないよっ」
「拗ねてる」
「拗ねてない!」
 草が顔をくすぐる。また、風が吹き抜ける。ぽかぽかとあたたかいのは日射しだけではなかった。じわり、心にあたたかさがしみわたる。ドロロが首をねじって黙りこんだおれを見上げた。そして、微笑んだ。
「……よかった」
「…なにがだ?」
 唐突な言葉の真意がわからなかった。無意識に、自分で考えようとしない子どものように訊いてしまっていた。
 ドロロは微笑を浮かべたままだ。
「…………」
 訳がわからない、なんて顔でもしていたのだろうか。ドロロはくすっと笑うとおれに囁いた。
「悪い夢、忘れられたみたいだ……ら…」
 文末が聞き取れず首を傾げた瞬間、突如、ガーッという音が耳をつんざいた。
「!?」
 ザーザー、ピーッ、ガガガ、と、ノイズ特有の音が、空から、墜ちてくる。
(──ノイズ、だと?)
 通信機もなにも、つけていない。ましてや、空に浮かべてもいない。
「……な…………? ………じゃ……」
 布で覆われていてわかりづらいが、ドロロの口は確かに動いている。しかし、なにを言っているのかがまったくわからない。
 ノイズが、掻き消しているのだ。そう気づいた途端、次第に、目の前の景色が、白く、色彩が薄くなっていく。
 なにが起こったのか、まるでわからなかった。ただ、誰にともなく叫ぶ。
「どういうことだっ? これは、一体、…な、にが……」
 喉が、詰まった。声が出なくなった。あまりのことに。
 腕の中のドロロが、消えつつ、あった。
「…、………!」
 風もなにも、感じない。草も、地面も、空も、すべてが、真っ白に塗り、つぶされる。なんの感触もしない、ドロロが、すぅっ、と、宙に溶けるように、消え、て、しまって。
「…………………いや…………だ…」
 
 咄嗟に出た、やっと発することのできた声がつくりあげたのは、拒絶のことばだった。




 誰かが、叫んでいる。
 いや、呼んでいるのか──
「ギロロ伍長っ!」
 ──鋭い声に、頭が覚醒した。目が景色を映し出す。珍しく隊長面をしたケロロが、おれの肩を掴んでいた。
「……ケ、ロロ…?」
 呆然と呟けば、ケロロの目許からふっと、力が抜けた。いつもの間の抜けた顔だ。
「叩いてもなにしてもボーッとして! なにを考えていたんだね、チミは!」
 “叩いても”という単語が気になりはしたが、おれはなにも言わなかった。軽口を叩きながらも、心配でもするようにチラチラとおれの様子を窺っているのがまるわかりだったからだ。
「…いや……」
 言葉を濁して、首を振る。ケロロの後ろではクルルがちらりとこちらを見ていたが、すぐにパソコンの方を向いた。タママが少し気遣うように声を掛けてくる。ドロロはケロロと話していた。
「………………」
 どうしてか、まともにドロロを見られない。おそろしいような。かなしいような。妙な気持ちに拳を握りしめた。
 それにしても、ひどくつかれてしまった。目がパサパサする。そもそも、どこからが夢だったのだろうか。
(…まあ、目覚めたいまになっては、関係ないか)
 そう。夢は終わった。そう思っていた。思ってしまった。
 ドロロがわらった。


「なにかこわい夢でも、見たでござるか?」


 首筋が、総毛立った。

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