ケロロ軍曹

□甘い、
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 嫌な奴でいいさ。
 それでこそ、俺だ。



「どうされた、クルル殿」
 来た。何も知らない者が一人。呼び出したうちのひとりめだ。
 俺は返事も振り返りもせずただキーボードを叩く。そうすれば奴は、いや大概の者は不思議に思い、あるいは苛ついて近づいてくるものだ。
「………クルル殿?」
 想定通りに事が運んでいく。奴の気配が俺のすぐ後ろにある。俺はくるりと椅子を回転させた。驚いた奴の顔がそこにあった。
 ここから先は確率、要は運に任せるしかない。そうだろう? 駆け引きはいかに口が上手いか、だけではなく時の運にも結果が左右されるのだから。
「ずっと気になってたんだよなァ、その布」
 にたりと笑ってやれば奴は一歩、後ずさった。逃げられないよう腕を掴む。何か動く前に、隠し持っていた注射器を突き立てた。
「っ………!」
 ピストンをゆっくりと押し下げる。即効性の麻痺薬が回る。死なない程度の適量。多すぎれば心臓までが止まる。そんなヘマは俺はしない。なにもアイツの悲しむ顔を見る必要はない。
「…な……に、……ゆえ…」
 奴が床に倒れた。動けない筈なのに声が出ている。慈悲を与えすぎたか。いや、これがアサシンの実力だ。きっとその気になれば動けるのだろう。
 癪に障る。その甘さが。
「アンタさ……もうちょい疑ってかかった方がいいぜ?」
 信用しすぎだ。仲間を。俺を。
口を覆う布を剥ぎ取る。目を見開いた奴に被さると、俺はやすやすと唇を奪うことができた。
「…っ……」
 麻痺して震えている舌を絡め取るようにして深く深く唇を落としていく。じわりと奴の眼が潤む。水色、空色、例えようはいくらでもある。しかしそのどれにも属さない。きれいだと他人ごとのように思った。きれいだ、と。アイツが好きな理由もよくわかる。
 そう、アイツが好きな訳もこれでわかった。どれだけ好きなのか、愛しているのかもこれで。
「…クルル、…一体、何を……して…」
 そのものだけで殺されそうな殺気と視線が、俺に突き刺さっていた。見てしまった者が一人。呼び出したうちの、ふたりめ。
「クックッ……遅かったじゃないスか?しかし先輩も間が悪いこった…」
 瞬間、ラボの入り口に立っていたアイツが弾けるように床を蹴った。物凄いスピードで俺に銃を突きつけてくる。まったく血の気が多いことだ。
「何をした」
 何かを押し殺した低い声で問う。俺は肩をすくめて横たわる奴の頬を撫でた。撫でられて、奴が震えた。
「さあ、なんだったかな……?」
 ギリッ、とあからさまな歯ぎしりをして俺を睨む。いいね、その顔。怒りと嫉妬に溢れている。アイツと違って俺は誰かを──奴を、そんな目で見たことはない。無駄だと、無為だとわかっているから。それでも、今のアイツは俺を睨み据えている。
 そう、俺しか見ていない。アイツの思考は俺への怒りでいっぱいになっているのだ。俺だけで、溢れている。ああ、怒りの対象でというのもわかっている。それでよかった。
「…離れろ」
 震える声。憎悪に燃える眼。その全てが俺に向けられていた。俺だけに。
「ドロロから離れろっ!!」
 必死なその唇から紡がれるのは俺の名ではない。けれど満たされた。ぽっかりと開いた虚しさを更にえぐり、押し広げられながらも満たされる。ああ、曲がっているんだ。嫌な奴だ。初めて自分が厭になった。
 好きだと、愛していると真っ直ぐに言えたらどんなにいいだろう。アンゴル族の娘のように、アイツのように真っ直ぐに生きられたらどんなにいいだろう。もし俺が嫌な奴でなかったら、俺は、今ごろ何をしているのだろう。何をすることができただろう。
 俺は、俺は、俺は、アイツに想いを告げることができただろうか? こんなことをしなくてもよかったのだろうか?
 床の奴が、僅かに動いた。途端。
「離れろと言っているだろうが貴様!」

 銃爪が、ためらいもなく引かれた。





「………」
 誰も何も、話さなかった。
 すっ、と奴が立ち上がる。アイツが息を飲んだ。
「…乱心されたか、伍長殿」
 眼を鋭く細めた奴がアイツを睨む。俺の目の前で。床には銃の破片が散らばっていた。
「……味方を撃つなど…それも私心で仲間に銃口を向けるなど言語道断でござる」
 冷や水を浴びせかけられたかのようにアイツは動かない。奴は“私心”と言った。奴を想ったアイツの行動を。そして俺を助けた。“私心”で動いた俺を。
 かなわない。俺はどうせ、所詮は“嫌な奴”なんだ。
「…戻られよ」
「だ、だがお前は…!」
 狼狽するアイツに優しく奴が笑う。口に布を巻くと、首を振った。
「拙者は大丈夫でござるよ。…さ、早く」
 麻痺薬を打たれたとは思えない。普通に歩いている。奴はアイツの腕を取ってラボから出した。
「…やっぱり、アサシンは侮れないねェ」
 俺は皮肉混じりに言ってやった。奴が俺を見てせつなそうに顔を歪める。俺の思考を読んで同情でもしているのか。
 憐れみの言葉などいらない。惨めになるだけだ。言葉にするなら怒りを。同情のひとつでも言葉にされたら俺は狂ってしまう。そんな気がした。
 さあ、好きなようになじれ。怒鳴れ。アイツは自分のものだと主張しろ。そうすれば諦めがつく。
 なのに。
「……拙者は、何も言わぬ」
「…っ」
 俺が顔を上げた瞬間、奴が片膝をついた。
「…ひとの……恋路に、口出しは……無用」
 無理に動いていたのか。アイツに心配をかけないように。微笑んでいる。俺に向かって。
「…バカだな、アンタ」
 きれいな目が閉じる。床に倒れる。ぱさりと布が落ちた。
「…ひとの恋路って、アンタの恋路でもあんだろうに……」
 優しすぎる。甘すぎる。なんなんだこいつは。許されたような気がした。嫌な奴でいいと。そのままのお前で想いを貫け、と。
「まったく、……矛盾してるぜ…」
 優しすぎる。俺には、甘すぎる。アンタが。怖い。甘すぎて。

 いつのまにか、涙が目から流れ出ていた。

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