ケロロ軍曹

□変わるもの変わらないもの
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 屋根の上に、ドロロは佇んでいた。
 ビルやマンションなどが集まっているせいでややでこぼこした、それでも丸い地平線を、特に何をすると言うわけでもなく、ただ見つめている。昼頃から、ずっと。
「…そんなに、好きなのか」
 突然響かせた声にも、驚かない。顔も向けず、ドロロは静かに返す。
「それは“この景色が”という意味でござるか? それとも“地球自体が”と、判断しても宜しいのか? 伍長殿」
 いやにかしこまった呼び方に、気配を消していたギロロは歯噛みするように顔を歪めると鼻を鳴らした。
「随分とご丁寧な物言いだな」
「褒めていただけるとは」
「…どこが褒め言葉に聞こえたんだ」
 二人の距離は大股で五歩、といったところか。遠くて近い、近くて遠い。微妙すぎる、ふたりの間。ギロロは寂寥に似たかなしさを感じた。
 ふ、と地平線に目を向ける。胸が締め付けられるような橙が、強く輝きながら沈んでいくところだった。橙は次第に赤く、紅くなる。
「……懐かしいな…」
 目を細めて、ギロロはぽつりと呟いた。
 子どもの頃、ドロロとケロロとの三人で、今と同じように落日を眺めたことがあった。眩しいとぼやきながらも、そのうつくしさにただただ口を開けて目を奪われていた。
 あの頃のドロロは、か弱かった。だが、月日は彼を変えた。もちろん自分も、変わったのだろう。
「ドロロ…」
 返事はなかった。
「俺たちは、もう…名前を呼び合うこともできんのだな」
 そこまで自分たちは変わってしまったのか。地球侵略を企てる仲間、という関係でしか繋がっていないというのか。それならば、それすらも失われてしまった。彼は裏切った。地球の穏やかさに惑わされて、それを守ろうと離別の道を選んだ。
「…ッ……」
 天地の境界線は、けして交わらない互いを嘆くようにせつなく光っている。
 ひどく、喉が乾いていた。感傷的になりすぎたと、ギロロはやや自己嫌悪に陥る。その途端。
「貴殿は、」
 いつのまにか、ドロロはまっすぐにギロロを見つめていた。
「何ゆえ、今さらそのようなことを? 決まりきっているではござらんか」
 嗚呼、とギロロは笑いだしそうになった。やはりそうだ。もう、あの頃のようにはいかない。手をつなぎあって、内緒話などを囁きあって、笑いあって。だがそれは所詮、自分たちが子どもの時の話。今とは違って当たり前だ。
「…そうだったな。悪い」
 何に対して謝っているのかだとか、自分はどんな顔をしているのかとか、そんなことも分からずにギロロは再び夕日を眺めた。空を紅に染めあげた太陽は、これで最後だと言わんばかりに街を明るく照らしている。
「…………ひど、いよ」
 やけに大きく響く小さな声が、ギロロの耳をおびやかした。
「…何、……?」
 視線を向けたそこには、ドロロがさっきと変わらず立っていた。さっきと変わらず、ギロロを見据えていた。だが。
「ギロロくん…っ」
 その空色の瞳が、どんどんと湿っていく。
「!?」
 大粒の涙が口を覆う布に染み込むのを、ギロロは呆然と見届ける。同時にその足が、無意識に動いていた。
 本当に、何も考えていなかった。けれど、自分のせいで目の前の泣き虫が、泣いてしまった。己の過失のような気がした。
 手を伸ばして、腕を掴み、肩に滑らせ、背中を抱く。長い間外気にさらされていた身体は冷たく、少しだけ、震えていた。
「…ドロ、ロ……」
 あの頃と同じように、背中を撫でさすってやる。あの頃の彼ならば、そのまま眠ってしまうはずだった。なのに。
「離してくれッ!!」
 ドロロはその腕と手をはねのけた。予想外のらしくない乱暴な振る舞いに、ギロロは後ろに二、三歩よろめく。文句を言う暇もなく、見えないドロロの口が、わなないた。
「なんで…どうしてッ、……かなしいはずなのに、なんで、君は……君はッ…!!」
 キッと睨んでくる双眸に射抜かれて、ギロロは自分が気圧されるのを感じた。何故ドロロがこんなに怒っているのかが、わからなかった。途方にくれたギロロがぼんやりとしていると、言葉が出ないのか手を握ったり開いたりしていたドロロが、突然うつむく。言葉の名残が、その口元からこぼれた。
「辛いはずなの、に…。そんな、顔で……なんで、笑って…」
「…………」
 ――あぁ、そうか。
 ギロロは目を閉じた。そうして開けると共に、ドロロを抱きしめる。“変わってしまった”のではなく、“変わったフリをしていた”彼を。
「スマン」
 ドロロにとって一番辛い言葉を、図らずも吐いてしまった。一番悲しいのはドロロのはずだったのに、それすら気づいてやれなかった。
「貴殿が……あやまることでは、ござらん」
 元の口調に戻ってしまったが、もうさっきのような寂寥は感じなかった。変わっていない。何も。ただ、大人になっただけ。
「……ん」
 ドロロの腕が、おずおずとギロロの背に回される。それに、ギロロは思わず腕に力を込めた。
 久しぶりに、満たされていると感じた。懐かしい。心地いい。深く息を吸えば、くすぐったそうにドロロがくすくすと笑った。
 変わらない。何一つ。それは本来落胆にも値するのだろう。だが、何故か安堵した。しあわせだった。
 しかし、それも長くは続かない。
「コラーッ、ボケガエル! 隠れてないで出てきなさいよッ!!」
「嫌であります! …あ、返事しちまった」
 屋根の端に、緑が見えた。
「よっこらしょ、と…危ない危ない。って、あ……あれ…?」
「な………」
 ──何故、こうもコイツはタイミングが悪いんだ。
 屋根に登ってきたケロロは、登ったそのままの体勢で固まっている。ゆっくりと瞬きを繰り返すケロロに我に返ったギロロは、すぐさまドロロから離れようとして──できなかった。
「!? ………っ何故寝ている貴様ァアア!!」
 いつのまにかぐっすりと爆睡していたドロロを引き剥がそうともがくギロロに、更に追い討ちをかけるようにケロロが引きつった笑顔を浮かべる。
「アー、あぁ、ごめん! 邪魔する気はこれっぽっちもなかった! だから、そ、その、悪かったね!」
「ッ!? 貴様、何を勘違いして…」
「いやいやいやいや、この状況で勘違いなんてできるワケないから! じゃあ! 我輩には夏美殿の手伝いという過激な任務が…」
 物凄く聞き覚えのありすぎる名前が耳に入った途端、ギロロの顔色が変わった。
「…夏美……? ……まさか、貴様…」
「いやァ、そんなそんな! ただ手伝うだけッスよ〜、ホラ、最近夏美殿も学校忙しいみたいだし大変じゃん? 我輩としても晩飯が遅れるのは……ネ?」
「……む…………………そう、だな…」
 ギロロが渋々頷くと、ケロロはほっとため息をつく。
「全く、疑い深い奴でありますなぁ…我輩が夏美殿に“ギロロとドロロが付き合ってる〜”なんか言うワケ……」
 バッと手で口を塞ぐケロロ。ギロロの口元に、不敵な笑みが浮かんだ瞬間のことだった。
「…それで?」
「うん、…え? それでって…えと……うん、だから、もう行くね? いい? いいよね?」
 ケロロは身を翻すと、無謀にも屋根から飛び降りた。その後を追って、やっとのことでドロロを外したギロロも走り出す。
「何が“だから”か教えろこの緑提灯がァアアァアア!!」
「ヒィヤァアアァァアァアアァアァァ」



 緑と赤が上げている馬鹿な声が、響く。
(なにも…変わってなかったんだ。変わる必要は、今はないんだ……)
 とっくの昔に、太陽は沈んでいた。夜のビロードが、急速に空に広がっていく。月は雲に隠れて見えなかった。
「……よかった…」
 穏やかな夜風が、ドロロの頬を柔らかく撫でていった。

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