ガンダム00

□かなわぬおもい
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 愛という感情をぼくは知らなかった。だから、だれかを愛したことも、だれかに愛されたこともなかったのだろう。ただ単に、認識できていなかっただけなのかもしれない。だが、あの場所にそのような感情、否、感情そのものが存在していたかどうかさえ不明であるのだ。ああ、きっとなかったに違いない(と言うのも、科学者たちのぼくらを見る眼はもはや“ヒト”に向けるものではなかったのだ。彼らにとってぼくらはただの実験体、被検体でしかなく、同時に彼ら自身に力のなさを突きつける“失敗作”という忌々しいものでしかなかったのである。)。
 しかし厳密に言えば、そう、もしかしたら知っていたのかもしれない。宇宙に放り出されてなお生き残るためにころしてしまった同族達を想うその心の働き、またはひとをころしたくないと思うその気持ちは一種の愛であるのかもしれない。ああそれは後悔だ、それは綺麗事という世迷い言にすぎないと叫ぶのはもうひとりのぼくである。生きていくためには、生き延びるためにはころしていくしか他にないだろうと叫ぶのは、ぼくから派生した意思を持つもうひとりのぼくである。違う、ぼくが言っているのはそういう話ではないのだ。ひとをころせないのはぼくがひとをすきだからで、すきというそれは愛という感情からきているのではないのか、という疑問なのだ。なにをばかなことを、おまえはただ逃げているだけだ。そう告げて彼は口を閉ざした。これ以上なにを言ってもぼくの考えが変わらないのを察したのだろう。
 渇いた喉を、口から滑り込んだ塩辛いものが潤した、気がした。ひどく疲れたのだ。ああ、ひどく、疲れていた。脚の震えが止まらない。けれど、どうした、と訊いてくれるあのひとは、大丈夫か、と心配してくれるあのうつくしいひとは、もうどこにも、どこにもいないのだ。そう思うと、体から、頭から、すっと血が引いていく感覚がした。
 なぜここまで胸が重いのだろう。どうして目の前が霞むのだろう。なぜ頬が濡れるのだろう、どうしてあのひとがいないのだろう、なぜあのひとが頭から離れないのだろう、どうしてあのひとがいてほしいと願うのだろう?
(ぼくは、どうかしてしまったんだろうか)
 あのひとが、あのひとのやさしい手が、あのひとのきれいな眼が、あのひとの、やわらかい髪、しろい肌、あたたかい表情、すべてが、ほしくてほしくてたまらない、いや、違う、そうではない、いとおしいのだ。いとおしくて、しかたがないのだ。それは、自分がころしたすべてのひとに対する感情に少しだけ似ていた。けれど、どこか違う。“ひと”に照準を定めた感情では、愛情ではこの想いに当てはまらなかった。
(ぼくは、あのひとのことをどうおもっていたんだろうか)
「アレルヤ、アレルヤ」
 声を形作った電子音が、ぼくの名前を呼んだ。ころころと転がってくる黄色のAIは、足元でひたりと止まるとその目にあたる部分を赤く点滅させる。
「ナイテル、アレルヤ、ナイテル」
「気のせいだよ」
「ミンナ、ミンナ、ナイテル」
「…そう」
「アレルヤモ、ロックオン、スキダッタ?」
 ああ、すきだったよ。言いかけて、口が動かなくなった。目の縁がひくつく。熱いものが瞬く間にそこから溢れ、顎に伝ったそのときになって、ぼくはやっと悟った。
「…すき、だった」
 愛という感情をぼくは知らなかった。知らなかった。知らないだけだった。知らないと思いこんでいるだけだった。
「すきだったんだ」
 愛という感情をぼくは知らなかった。けれどほんとうは知っていた。知らないうちに、ひとを愛していた。気づかないうちに、すきになっていた。ただ、それが愛だとわからなかっただけだった。
 震えていた脚が耐えきれず体を床に落とした。背を壁につけて、伸ばした自分の膝を見つめる。AIはなにも声を上げなかった。
 ぼくは愛という感情を知らなかった。だけれど、あのひとはそれをおしえてくれた。なにも気づかないぼくに、ひっそりとおしえてくれていた。そうしてぼくは、それに気づいてしまった。
 そう、きっとぼくは、あのひとに、恋をしていたのだろう。

かなわぬおもい
(いまとなっては、もう)

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