ガンダム00

□春まで待てば
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 ぼくはいま、ものすごく緊張している。どのくらい緊張しているかというと、ばくばくしている心臓は口から飛び出しそうだし、全身はかちこちだし、そしてぶるぶる震える唇は何度も開閉しているみたいに、ほんとうに緊張して、いるのだ。

「で、話って?」
「ははははははい、先生、あの…」

 だめだ、だめだ、だめだ、口が、動かないよハレルヤ! そういえば今、君は部活中だったっけ? ぼくは今、まさに、告白しようとしているところだよ! ああ、前にも言ったよねハレルヤ? あのひとだ、あの、きれいな先生! 世界史の、ディランディ先生だよ! そりゃあ、生徒のぼくなんか、子どもとしか見てくれてないだろうけどさ、うん、でも、でも、五歳しか違わないんだよ? なんだよ男かよって君は言ったけど、それがどうした! ぼくにはまったくもって、問題ない!

「…アレルヤ?」
「ああ、は、はい!」

 問題ない、はずなのに、

「あの、そうだ、この前のここなんですけど…」

 言えな、かった。世界史の教科書を持ってくるなんていう、無意識に逃げを作っている自分がいやになる。
 ああ、ああ、また、言えなかった! これで何度目だろう、告白に失敗したのは!

「じゃあ、ここはこうやって覚えたらいいんですね!」
「ああ、わかってるじゃないか」

 当たり前だ、あなたの授業をどれだけ思い返していると思ってるんだ! ああ、もう、そんな無邪気な顔で笑わないでください! 胸が張り裂けそうだ!

「他にわからないところはないか?」
「はい、大丈夫です…ありがとう、ございました」

 好きです、準備した言葉はそれだけ、でもそれだけでぼくの想いは伝わる、その自信はある。でも、たったそれだけの四文字が口に出せない。口に出す勇気がないのだ。
 まったく、ほんとうに情けない。顔から火が出そうだ。この何回もの呼び出しがほんとうは告白のものだということを、彼に知られたら、もう、恥ずかしすぎて、倒れてしまうかもしれない。しかたない、とにかく今日は、もう、諦めよう。

「…アレルヤ」

 帰りかけたぼくの足を、穏やかな声が呼び止めた。なんだろう? 振り返ると、彼はぼくをじっと見つめている。可愛い、人好きのする笑顔にぼくは、いつもどきりとすると同時に、その笑顔をぼくだけに向けて欲しいなんて叶いそうにない望みを願うのだ。だけれど、彼が今浮かべていたのはそれではなかった。

「それだけか」

 疑問符のついていない言葉に、心臓の鼓動が一瞬、止まった。溜まった血液が一気に送り出され、どくんと体が引きつる。

「…それだけか」

 仄白い肌がより白く見える、柔らかい薄紅の唇を彼はわななかせた。校舎裏の、桜の木の下で、秋の風が吹き抜ける。転がる木の葉に一瞬目を奪われたぼくは、目の前のひとがうつむくのを見ていなかった。

「そう、か」
「…それだけか」

 その声に、ようやく頭が回り始めた。
 まさか、まさか、このひとは。知っているのか。ぼくが、ぼくが、想いを寄せていることを。
 ぼくは思わず顔をあげていた。瞬間、目に飛び込んできたのはさみしげな、とてもさみしげでかなしげな、彼の微笑みだった。

「…きです」

 なにも考えていなかった。なにも考えられなかった。ただ、よくわからない、なにかの熱い奔流が、喉元からわっと押し寄せていた。


「すきです」
「あなたが、」
「すきなんだ」


 堰を切ったように叫んでいた。彼の肩を掴んで、抵抗する隙も与えず、無理矢理にその驚きに強張る肩を引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。ふわふわとした彼の髪の上から首筋に顔をうずめて、きつくきつく抱き締める。
 あんな顔をさせたかったわけじゃない、ぼくは、ぼくは、ただ、言えなかっただけなんだ。言いたくなかっただけなんだ、この関係を、壊したくなかっただけだったのに。

「ごめんなさい」

 あなたが答えられないのはわかってる、教師っていう立場があるのもわかってる、だけど伝えたかったんだ、

「でも、だれより、なによりも」
「すきなんです、ニール」

 ほんとうに、すきだって、伝えたかったんだ。どう思われていてもかまわない、かまわないから、すきだと伝えたかった。
 彼は動かない。ただ、緊張していた身体を弛緩させ、小さく震えると息を吐き出した。

「アレルヤ」

 固い声に、ああやっぱり、とぼくは泣きそうになった。やっぱり、受け入れてはくれないんだね。わかってはいたけれど、その事実を認めるのがこわかった。
 彼が息を吸う。ああ、もう、やめてくれ。聞きたくないよ、ニール…


「…呼び捨てにするのは」
「おまえが、」
「おれの生徒でなくなってからにしろよ」


 意味が、わからなかった。

「…え?」

 顔を覗き込むと、ふいっと逸らされる。


「そういう生意気なこと言うのは、」
「ちゃんと卒業してからにしろってんだ」


 あ、う、え、と母音ばかりを紡ぐぼくの、泳ぐ目が行き着いたのはうっすらと色づいた彼の頬で、それにようやく、ぼくは彼の言葉を理解することができた。
 え、でも、それって。

「…卒業したら、」
「ぼくを、見てくれるってことですか?」

 途端、彼がぼくを振り向きざまに睨みながら、なんでそうストレートにしか、などと小さく呟く。しかし、なんのことかわからなかったぼくが首を傾げたそのときには、彼はするりと腕の中から抜け出していた。

「ああ、まあ」
「どうだろうなあ?」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて、ひょいと肩をすくめる。さっきのさみしげな表情の持ち主とは思えない。その変わり様に、いつのまにかぼくは眉を下げていた。なんだったんだろう、あれは。

「まあ、頑張るこったな」

 どこか愉しげに、ぽんと頭を撫でられる。それだけでも嬉しいと感じるぼくは、もう病気なのだろう。こんなこと、ハレルヤに言えばからかわれるに決まってる。
 突き放すような言葉を捨て置いて、彼はぼくに背を向けた。ああ、なにか、言わなきゃあいけない。使命感にかられたぼくは、そのまま校舎に戻ろうとする背中に向かって、叫んでいた。


「卒業したら」
「卒業したら、」
「絶対迎えに行きますから」
「だから、」
「待っていてください」

「先生」


 彼がひたりと足を止めた。咄嗟に、なにか言うのかと身構える。だが予想に反して彼はなにも言わず、片手を振って校舎に消えていった。

「…うわあ」

 我に返った、その途端冷や汗が噴き出した。
 ああ、言ってしまった! 言ってしまったんだ! 夢じゃない? ああ、夢じゃない! つねった頬が痛かった!
 でも、結局は、なんだかうやむやのままに終わってしまった。

「いいのかな」

 卒業するまでは、おれに関わってくれるな。そう言っているようだった。だが、それは裏を返すと、卒業すればいくらでも、という意味ではないのか。

「それで、いいのかな」

 期待しても、いいのだろうか。最後に振った手は、了承の意ととってもいいのだろうか。

「…多分、いいよね」

 彼は、抱き締めてきたぼくを突き放さなかった。教師という立場があるにもかかわらず、突き放さなかったのだ。だから、きっと。うぬぼれでない自信は、ないけれど。
 とにかく、春まで待てばいいのだ。春まで待てば、答えが出る。就職先もほとんど決まりかけていることだ、今でなくても考える時間はたくさんある。とりあえず、今日のところは帰ってハレルヤにでも話そうか。ああ、いや、やっぱり、やめておこう。おおっぴらに言う話でもないし、秘密にしたほうがいいような気もする。

「あ」

 ふ、と見上げた秋の澄んだ空が、彼の目を彷彿とさせた。自然と頬が緩む。待つことを、春までおとなしくしておくことを決めたぼくは、静かにそこから立ち去った。


 頭上の桜の木が咲き乱れるのは、五ヶ月後のことになる。

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