ガンダム00
□きれいなもの
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「キレーだよなぁ」
目の前は赤信号。その信号待ちの車の中で、ポツリと彼が呟いた。突然すぎるその発言に、思わず僕は運転席に座る彼に顔を向ける。
「…何がですか?」
「子どもが、さ」
歩道を駆けていく子ども達を見つめながら、彼は微笑んでいた。そんなに綺麗な子がいるのか、と興味をそそられた僕が助手席からやや身を乗り出して外を覗きこめば、彼が笑いだす。
「あぁ違う違う、顔じゃなくてだな…」
信号が青に変わる。アクセルを踏み、片手をハンドルから離すと彼は僕に向かって自分の目を指差した。そして、にっと笑うと再び前を向いてハンドルを掴む。
「………目、か…」
それに頷いた彼は、少し肩を竦める。前方を見据えた目を細め、唇を歪めて笑った。
「……やっぱ、子どもの目ってのはさ、信じらんないほど綺麗で、澄みきってないといけないモンなんだよ。子ども独特の、純真無垢な……何も知らない、子どもの…」
言葉を選ぶように彼が口をつぐみ、そのまましばらくの沈黙が流れる。僕は、過ぎ去っていく街の風景に目をやった。対向車線の向こうの歩道を、親子連れが歩いているのが見えた。
「…確かに、汚れている大人のと比べて……そうですね。子どもの目は、とても美しい」
僕の相槌に、彼は少し顎を引いて眼前を睨み据える。彼の目にすっと影がさし、あたかも大人を思わせるように鋭くなった。
「だからこそ、怖い。…その美しさ、純粋さが」
低い声音でそう言って、顔を上げると「なんつってな」とからからと笑う。僕が黙り込んでいると、ふっと顔をこちらに向けてきた。
「…お前さんは、まだ綺麗なまんまだ」
まるで口説き文句のような科白に、一線引かれたような気がした。というより、責められた気がした。
「あなたは…」
僕が、汚れたものを何も見ていないと言うのか。世界の闇を知らないとでも。
“ふざけるな”
“闇を知るのがあなただけじゃないということは、あなたが一番分かっているだろうに”
──怒りと、かなしみと。そのどれも言葉として出てこない僕に、彼はまたハンドルから片手を離した。その手に頭を撫でられ、振り払いたい気持ちをぐっと抑える。
「……危ないですよ」
片手運転は、と怒りの含ませた声で言った。感情を隠せないなんてまだまだ子どもだな、と内心自嘲するも、手を離してくれない彼に苛々が募っていく。我慢できずに横目で彼を睨んだ途端、その目と視線が絡んだ。
赤信号に、車が止まる。
「…ハレルヤが守って、くれてたんだな」
微笑んだ彼が、僕の右目を覗き込んでいた。
「ちょっと、うらやましいね…」
続けて発せられた柔らかい声と優しげなまなざしは、どこかさびしそうだった。
怒りが消える。かなしさが消える。これまでになく思考がクリアになった。僕がずっと気づかなかったことを、彼に気づかされたからだろうか。
僕は根底から、目の前のひとを見る目を変えていた。
このひとは闇を知っている。皆が同じように闇を知っていることも知っている。心の底に闇を抱えている。皆が同じように闇を抱えていることもわかっている。
なのに、誰よりも優しい。誰よりも、さびしい。ひとりぼっちが誰よりも辛いはずなのに、ある一線以上は人を近づけさせない。
──闇を知っているからこそ、それとなく人を拒絶する。相手を傷つけないように。自分が傷つかないように。
ならば、今のはなんだ?
「……悪いな」
「…………え?」
突如として放たれた言葉に、ぼんやりとしていた僕は彼に顔を向けた。いつのまにか発進していた車を操りながら、彼はそのきれいな目を伏せて首を振る。
「いや…なんでもない、さ。………気にすんな」
穏やかな口調に、慌てた雰囲気が漏れているのを、彼は気づいているだろうか。それを僕が気づいているのに、気づいているのだろうか。
一線を引いているはずの彼の方から、一線を少し、ほんの爪先くらいだけだが越えてきた。理由はわからない。慌てているから、自分としては不本意だったのかもしれない。
けれど。それでも。
「ありがとうございます」
「……ん?」
「いや、なんでも」
ふふ、と笑った僕の声には、自分でもわかるほど、喜びが満ちあふれていた。