ガンダム00

□矛盾
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 錆び付いた鉄の味がした。顔を上げる。殴られたのだと気づいた。
「…何を、してたんですか」
 床に落ちたナイフがぬらりと赤く光る。その紅と同じものが自分の喉から流れている。おれは手でそれに触れると、付着したものを見てなんとなく笑った。おれを血の気の引いた顔で睨んでいるだろう彼を、敢えて見ないようにして笑う。
「何して、たんだろうな」
 殴られた頬がやっと、じんと痛み始める。肌を伝うシャツを汚すものが鬱陶しく、乱暴に喉を手で擦る。止めどなく血液を溢れさせる切り傷が脈打つように痛む。痛い、とぼやけば彼の手が拳に変わるのが見えた。
「……自業自得でしょ」
「そりゃそうだ」
 笑う。ナイフに手を伸ばす。だが赤い指が届く前に、彼に奪い取られた。文句を言う前に、彼がおれの隣に座る。ソファーが沈む。二人分の体重を受けて、その分だけ沈む。
「返せよ」
「いやです」
 いつになく厳しい顔をして彼は首を降った。何故、と問うてみるも、当たり前だろうと呆れた表情を浮かべさせるに終わる。愚問だとでも言いたいのだろうか。
「…駄目ですよ、何を言っても」
 見透かしたように彼が牽制する。ナイフを持たない右手でおれの頬を包む。己が殴った頬を撫でている彼に可笑しさがこみあげた。何処まで優しいのだろう、この青年は。
「好きだぜ」
 空気にそぐわない言葉が口から滑り出た。言ってから自分で呆れた。馬鹿みたいだ。こんなにも世界に絶望しているというのに、ひとを愛することはできるなんて。
 そもそも何故自分がナイフを持っていたのか。彼を個人的に借りている隠れ家に誘って、彼が席を外したところまでははっきりと覚えている。無意識のうちに己の時を止めようとしていたのか、我ながら恐ろしい話だ、と内心で揶揄しながら顔を歪めた。矛盾しすぎている。さっきから。困惑したような彼がため息まじりに声を漏らす。
「自分で言っておいて、そんな顔はないでしょう」
 あぁそうだ。食い違っている。思っていることと、言っていることと、していることが、どこまでも。
「アレルヤ」
 矛盾している。
「生きたい」
 矛盾している。
「おれは」
 矛盾している。
「仇を討つまでは、死ねない」
 矛盾して、いる。
「ならば何故、あなたはナイフを握っているの」
 彼の問いは、虚しく胸の奥を掠める。自分の心臓に、隠し持っていた“ナイフ”の、その切っ先を向けていた。
「わからねぇんだ、なにも」
 笑った。矛盾ばかりの自分を嘲る。どこから狂った?どこから歪んだ?なにもわからないまま、おれは笑いながらナイフを自らに突き立てる。ザクリ、と音が立った気がした。痛みはない。そこに“ナイフ”というものはないのだから。ただ、己のうちのなにかが崩れる。はずだった。
「っ…ア、レル……ヤ」
 彼は、おれの“ナイフ”を掴んでいた。見えているとでも言うように。
「僕、もだよ」
 かなしそうに、くるしそうに眉根を寄せておれの肩を掴む。そしてそのまま抱き寄せられる。お前は違うだろう、お前は矛盾などしていない、そう言おうと口を開く。
「ごめん」
 鳩尾に、衝撃が走った。
「………っ」
 吐き気と共に急に意識が朦朧とする。突然、目の前が歪む。いや、さっきもこんな風だったろう。明瞭にならない思考と、明瞭すぎる発言、そして矛盾する行動。身体が床に崩れ落ちる。ぼんやりとした視界に、彼が入ってきた。
「…おやすみなさい」
 どうしてお前が泣きそうになっているんだ。声が出ない。何も答えられない。暗くなっていく。世界が。
「……アレルヤ…」
 唇が動く。微かな声を伴って。世界が黒く塗り潰された。


「…コワシテク…レ」


 全て、矛盾、している。
 世界も、何もかも。

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