記憶を失いし書の主
□第七話『良悪の転機』
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海鳴町の一角には、珍しく庭に道場がある家が存在する。
近所では評判の喫茶店を経営している家で、そこを出入りしている人間は美人や麗人ばかりだと専らの噂だ。
そんな、嘘のような本当の噂の出本である高町家の縁側で、栗色の髪をツーテールにした少女が空を見ていた。
「なのは、何してるの?」
「あ、お姉ちゃん」
そんななのはの隣に腰を下ろしたのは、姉であり現在高校二年生の美由希だった。
今日は休日なため、普段は高校と修業の両立で忙しい美由希も、先程までは家の中で本を読んでいたはずだった。
なのはは、少しだけ顔を伏せた。
最近は家族みんな、あからさまでないにしてもなのはを気遣う素振りを見せる。
母の桃子が切り盛りする喫茶店、翠屋も忙しいはずなのに心配をかけてしまう自分が心苦しいと思っていた。
「ねえ、なのは。フェイトちゃんとは上手くいってる?」
なのはの沈んだ表情を見てどう判断したのか分からないが、美由希は笑顔で最近知ったなのはの新しい友人の話を切り出した。
「それは大丈夫。フェイトちゃんも最初はたどたどしかったんだけど、今は色んなお話沢山してくれるんだよ」
なのははこれ以上気を利かせまいと、笑みを浮かべて友達のことを話した。この話はエイミィやクロノ、リンディという人伝に聞いた話だが、それを姉に知られるわけにはいかないと、なのははことさら楽しそうに嬉しそうに聞かせた。美由希はそれに相槌を打ちながら聞くのだった。
「でねでね、アルフさんが食べ過ぎでお腹壊しちゃって――」
(今日も失敗か……)
美由希は、心中で気付かれぬようそっと溜め息を吐いた。
なのはが最近――否、数日家を空けて帰ってきてから今日までずっと何かに悩み、苦しんでいるのは家族全員が気付いていた。
兄の恭也を筆頭に、桃子、家族同様のレンと昌、フィアッセと皆が皆なのはを心配している。
(特に恭ちゃんはドが付くほどのシスコンだから、あの手この手を使って何とかしようとしているけどあえなく玉砕してるんだよね)
ちなみに、そうなるのは家族全員分かっていたようである。
……そのしわ寄せに美由希への対応が日に日に杜撰かつ容赦のないものになっていくのもまた分かっていたようだが。
(はあ、何と言うか私も妹なはずなのにあまりに対応が違いすぎて、全私が泣いた)
電波を受け取ってしまうほどに参っているらしいことは伺えた。
ああ、無常とはこのことなのだろうか。
そう煤けた背を晒していた美由希であるが、ガラスを叩く音に気付きこちらに戻ってくる。
「あ、レン。電話?」
ガラス向こうには、現在高町家に居候している鳳蓮飛――レンがいた。
短い髪は活発そうな印象を与え、小柄ながらもその立ち居振舞いは少し武道をかじった者が見れば分かるほどに流麗である。恭也に天才と言わせしめた彼女は中国拳法を修めている。強さのほどはおいおい判っていくだろう。
そんなレンが手に持っている電話を見て、用を察した美由希は一度家の中に戻る。
「誰から?」
「ええと、リンディさんからや」
目線でレンに礼を言うと、電話に代わる。
「お久しぶりですリンディさん、美由希です」
『あら、美由希さん? こんにちは、桃子さんはお仕事かしら?』
「はい、今は喫茶店の方に。一時くらいに一度こっちに戻ってくるので、その時に……」
『あ、別に桃子さんに用があるわけではないの。ただ、なのはさんにちょっと……』
そこで一度口ごもる。
リンディはきっとなのはが落ち込んでいる原因を知っているのだろう。だから、負い目を感じているのかもしれない。
でも、きっと誰のせいでもない。そう、美由希は直感で感じ取っていた。
何があったのかは分からないが、リンディもなのはもそのことについては言わない。
だけど、それならそれでいい。
いつかは話してくれると信じているから。
だから、それまではいつも通り笑顔でなのはを見守っていこう。
「あ、はい。じゃあなのはに代わりますね」
美由希はガラス戸を開け、何だろうと目を向けてきたなのはに電話を差し出した。
「なのは、リンディさんから」
「あ……」
なのはは一瞬呆けたような声を出し、即座に電話を手に取り代わった。
美由希はなのはの不安と希望がないまぜになった表情を横目で見ながら家の中に戻った。
「ねぇ、レン。頑張ろうね」
体の前で右拳を握りしめていたレンに言った。
その一言だけでも、レンには伝わった。
なのはを思う気持ちは、同じ家族であるレンだって一緒なのだから。
「うん」
顔を見合わせて、拳をコツンと付き合わせた。