記憶を失いし書の主

□第二話『矛盾する願い』
1ページ/6ページ

 カイトは既に日課となった剣術の修業を終え、ソファーに座って窓の外の月を見ながら今までのことを思い出していた。

 カイトがはやての家に来てから既に約一ヶ月が経っている。

 その一ヶ月間はカイトにとって、またはやてにとっても新発見の連続だった。

 カイトは当初戸惑っていた感があったが、今ではそれもすっかり消え、はやての家族として近所の皆さんがたにも迎え入れてもらった。

 はやても、石田医師の話では以前より笑顔が増えて生き生きしているらしく、そのことはカイトも近所の人から聞いており、更にはよろしく頼むとまで言われてしまっている。

 カイト自身のことについては、現在はやてと一緒に病院に通院しているのだが、全くもって思い出せていない。もっとも、カイトはそんなすぐに思い出せると思っていないし、担当医師も焦らずゆっくり思い出していこうと言ってくれている。

 だが、カイトは時折考えてしまうのだ。

 『カイト』とはどんな人物だったのだろうか。

 本名は、性格は、家族は――といった具合に気になることは山程ある。

 何より気にするのは、今のカイトが以前の『カイト』と違っていた場合である。

 全ての記憶を思い出した時、カイトと『カイト』が違った考え方や嗜好を持っていたらどうすればいいのだろうか。

 そしてそれらが変わらなかったとしても、カイトの生活は『カイト』とは違う。

 それはつまり、カイトがいつかは八神家からいなくなり、はやてがまた独りに戻ってしまうということだ。

 はやてが何でもかんでも我慢をして、自分の中に押し隠してしまうのはこの一ヶ月でカイトも理解していた。

 そんなはやてだからこそ、カイトが家からいなくなることになっても、表面上は笑顔で良かったと言うだろう。心の中が寂しさに襲われ、一度知ってしまった家族の暖かさを離すという痛みに苛まれても、彼女はひた隠しにしてカイトを送り出すだろう。

 今からこんなことに悩んでも仕方ないとカイトは分かっている。

 それでも考えてしまうのは、この生活が楽しいからだ。

 はやてを守りたいと――否、守ると心の中で決めたからだ。

 あらゆる災厄からも、ついて回る世間の目からも、少女の笑顔を妨げる様々なありとあらゆる要因からも。

 はやてが笑顔でいられるように、はやてが涙を見せないように、常に傍にいて守り通す。

 そう、まるでお姫様を守る騎士のように。

 自分にそんな資格があるのかさえカイトには分からない。

 だが、初めて逢ったあの病室で、孤独で儚い表情をする少女を守りたいと思ってしまったのだ。

 自分のせいではやては今よりも孤独を感じるようになってしまうかもしれない。

 それでも、はやての前から消えるその時までは、一緒にいたいと思うのだ。いつでも傍にいて、笑ったり怒ったり、色々な表情を見せてほしいのだ。

 矛盾しているのはカイトも理解している。

 それでも、自らの気持ちには嘘はつけない。

(ならば、この矛盾を抱えたまま俺は進んでいこう)

 それがはやての為に今出来ることであり、カイトがしたいと思っていることだ。

(ただ、こんな身分でも願えるのなら、願いたいことがあるのも確か)

 胸中でそう呟き、カイトは祈るように目を瞑り、憂いをこめた表情で願う。

(俺は遅かれ早かれここから出ていくことになる。だから、はやての傍にずっといてくれる家族が来てほしい。はやてのことを想ってくれる、俺の代わりに守ってくれる家族が)

 カイトは切に願った。

 どれくらい目を瞑っていただろうか。後ろから近づいてきた気配に気づき、やっとカイトは目を開けた。

「カイ君、目瞑って何してたん?」

「ああ、ちょっとな」

 カイトが言葉を濁すと、はやてはムッとした表情になった。

「あー、私に隠し事するん? 別にええやん、教えてくれても」

「ふむ、ならそれ相応の対価が欲しいな。例えば、たまにある『一緒に寝る』というのをやめるとか」

 カイトはからかい半分、希望半分で訊いてみた。

 あれは少年にとっては非常に恥ずかしくて緊張してしまうことなのだ。はやてはそれを分かってやっているのだろうか。

 分かってやっていそうだから困る、とカイトは心の中で溜め息を吐いた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ