ゆめA

□月光に溶ける贖罪のキス
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誰にでも、汚れた感情や薄汚い心はどこかにあるものだ

要はそれを自分自身で自覚するか否か、そしてその感情を見いだした時にどう対処するかが問題だ

今まさに俺はその感情と向き合わなくてはいけなくなっていた





関東大会決勝
あと一勝で立海の勝利が決まるという大事な試合で、俺は敗北した

相手は昔馴染みの貞治
俺はそんな事は勝負に関係ないと言い、そう思っていた
だが結果的に<あの日>の決着をつけるという私情を挟み込み、しかも負けた



試合自体に後悔はない
俺は全力を尽くした



だが結果的に俺は敗け、そこから傾れ込む様に赤也、弦一郎と敗北が続き、あと一勝で優勝を掴むという所までいきながら結局掴む事が出来なかった



俺の所為なのではないか

俺があのS3で勝っていれば全てが上手く収まっていたんだ


ならば何故、敗けたのか




それを考える度に俺の中に今まで無かった黒く汚い感情が、疑惑が渦巻く






「蓮二君…?」

静まり返った暗い部室にギシリと小さな足音と共に聞きなれた声が響いた

誰かなんて聞かなくとも分かるその声の主は、入り口の側に立ったまま怪訝そうにこちらを窺っている

「…もう皆帰ってるよ」

「知っている」

「もう7時になるよ」

「知っている」

「…蓮二君、そっちに行ってもいい?」

答える代わりに隣の椅子を静かに引いた
それを肯定の意だと判断した彼女は静かに歩み寄りそっと椅子に座った

先程まで暗くてよく見えなった彼女の表情が、窓から差し込む僅かな月の光に照らされて暗闇に浮かび上がった

何も言わない彼女のその双眸はあくまでも落ち着いた色を持ちながら、俺を見据えていた


「…後悔はしていない」

ぽつりと零した自分の声は思ったよりも重く部室に響いた

「だが、分からなくなった」

「何が?」

静かに先を促す彼女の声が僅かに擦れている

俺は、今のありのままの自分を彼女に曝す事を躊躇った
だが、俺の中の弱い心が訴えかける
「吐き出してしまえ」と


「何故敗けたのかずっと考えていた」

どこかでまだ後ろめたさを感じながらも、俺の口からはぽろぽろと本音が零れる

「技術的にも身体能力的にも劣っていたとは思えない
…だとすると、敗因として挙げられるのは精神的問題だ」

彼女は黙ったまま表情を変えずに俺を見ている
その視線がどこか痛い
今の俺には、その瞳はあまりにも真っ直ぐで、綺麗過ぎる

「慢心、していたのではないかと思うんだ
…一年の頃からレギュラーとして試合に出て、全国二連覇を達成し…幸村や弦一郎と並んで三強などと呼ばれ…
どこかで俺は慢心していたのではないかと思う、この俺が、今の俺が、貞治に負ける訳がないと」

自分ではそんな気持ちは全く無いと思っていた

だが自問自答すればする程その答えは揺らぐ

一年の頃から数々の栄光を手にしてきた俺と、近年全国に出場すらしていなかった青学にいる貞治、知らず知らずの内に自分の中で愚かな比較をし、自分の方が優れていると慢心し…
そして敗北した愚か者
それが、俺だと



―そんな訳がない、思い詰めすぎだ

―ならば、何故敗けた

―それは結果論だ、試合の内容はほぼ五分五分だった…

―結果が求められる試合で、結果が出せなかった、それが全てだ

―違う、俺は…

―お前は認めるのが怖いだけだ、認めろ、自分は汚れた人間だと

―違う、違う、違う…!!





「蓮二君、」

手に温もりを感じて顔を上げれば、彼女が心配そうな顔で俺を覗き込んでいた

「…何故、お前が泣く」

月明かりに照らされた彼女の白い頬は濡れていて、瞳に溜まった涙はゆらゆらと月光を乱反射していた

「ごめんね、」

「…何故謝るんだ」

「私が泣いてもどうにもならないのに…ごめん
でも、痛くて…」

「痛い…?」

彼女は俺の手に重ねていた手をぎゅっと握って頷いた

「蓮二君の心が、痛い
そんな、自分を責めないで…自分を傷付けないで」



そう言って一層涙を溢れさせる彼女に、俺は唖然とした

いつもにこやかに笑って周囲の空気を明るくする様な彼女が、大きな瞳を濡らして痛切な面持ちで、俺の心が痛いと言う



改めて今の状況を冷静に見てみる

誰もいない、電気も点いていない暗い部室
隣には愛しい彼女
俺の右手は彼女にぎゅっと握られていて、どこか冷めた俺の体で唯一その右手だけが暖かく感じる
彼女の瞳からは涙が溢れている
それも、俺の心の痛みを感じて流されている涙



急に、目の前の彼女があまりにも綺麗な物に見えた


そして、どうやったら彼女の涙を止めて、いつもの様な笑顔に戻せるだろうかと必死で考えた

とりあえず電気を点けて、鞄からハンカチを出して…



そこまで考えて、俺はハッと気付いた


今の俺は汚れてはいない、と



彼女の笑顔が見たいという思いでいっぱいになり、その為にはどうしたらいいかと順を追って必死に思案している
馬鹿馬鹿しい程に、必死に

この感情の中にはどこにも汚れはないと誓える
ただ彼女が好きだ、愛しい、側にいたい、笑って欲しい

ありきたりな恋の欲求にまみれて、さっきまでの自問自答していた様な欝屈とした気持ちはどこかに行ってしまった


「蓮二君?…笑ってるの?」

「あぁ、すまない、自分が可笑しくてな」



あぁ、救われた
そう思った

何て単純な感情だろう
逆に今まで考えていた複雑な感情が馬鹿げた物に感じた

俺は、敗けた
その事実は変わらない
反省するべき所は反省し、これからに生かさなければならない

だが、俺が汚い人間かどうかなんてどうでもいいじゃないか
汚かろうが何だろうが勝ち負けは変わらない、責めるべきは見えない心ではない

それに、例え俺が汚れていても…



「ふふ、さっきまで眉間に皺寄せてたのに、変なの、蓮二君」


彼女が浄化してくれる
暗く淀んだ複雑な俺の心を、一つに纏めて包んでくれる
先の彼女の涙が、俺の心にこびり付いた穢れを全て洗い流してくれた様に


涙を拭う事もせずに、にこりと笑った彼女の笑顔に心が疼く

あぁ、好きだな

本当に単純な感情だ
だが、それが一番今の俺にとっては大切な感情だ

「目を擦るなよ、瞼が腫れてしまうからな」

「じゃあこの顔のまんま帰れって言うの?」

大袈裟にむすっとした顔をした彼女に苦笑しながらも、その濡れた頬に手を滑らせた

「仕方ないから俺が拭ってやる、泣き顔のお前を連れて歩くのは避けたいからな」

「ひどーい」

不満げに非難の声を漏らしながらも、彼女は穏やかに微笑んだ

未だに電気の点いていない部室は真っ暗だが、俺にはハッキリと彼女の表情が見て取れる
それは俺の眼が闇に慣れてしまったからなのか
それとも月明かりに照らされる彼女の肌が闇に白く浮き上がっているからなのか
それとも…



濡れた頬を指先で拭い終わり、彼女の顔をじっと見つめると、まだ濡れている所があるのに気付いた

俺の心が痛いと泣いた、あまりに清廉な彼女を汚してしまわない様に、何もかも白く美しい彼女の中で唯一黒く濡れて輝く睫毛に、そっと贖罪を求める様に静かにキスを落とした



















月光に溶ける
贖罪のキス

単純な感情が最も美しい

















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