小十♀佐

□月下繚乱
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血を浴び過ぎちゃったな・・・。
こんな姿、真田の旦那が見たら絶対心配する。

いつも通りに、甲斐まで戻って水浴びをすれば良かったのだ。

が、何故かこの日に限って、猿飛佐助はそれをしなかった。
たまたま滝壺を発見してしまったから、もあった。
相手の返り血が顔中を覆い、それこそ顔を拭っても視界に入るのは、おぞましい赤黒い景色。
それをさっさと払拭したくて、佐助は迷わず滝の下へと飛び込んだ。



   ≪月下繚乱≫



上から落ちてくる水の勢いに、佐助の身体はあっという間に小奇麗になった。
冷たい水に一瞬身体を震わせたが、頭もクリアになり、ようやく一息つく事が出来た。
と、その時だった。



嘘、だろ・・・?



ふいに感じた人の気配に、佐助は身を強張らせた。
こんな時間にこのような場所で。
何人たりとも来る筈がない、そうたかを括って油断していたのだ。

滝壷の先、僅かな距離。
その川岸に佇んでいた人間は、確実にこちらを見つめていた。
身体が強張る・・・。
「・・・女・・・・・・?」
「っ・・・!!」

しかも、
しかもこの人・・・!!

声をかけられた瞬間、佐助は素早く印を結び、その場から姿をくらませた。



・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。


今のは夢、か・・・。

呆然と滝壷を見やりながら、片倉小十郎は呆然と立ち尽くしていた。

なんだったんだ今のは・・・。

いや、でも確かに、其処に居たのは人間だった。
「なんでこんな所に・・・?」
誰にともともなく、小十郎は呟いた。


戦がなく、穏やかな日が続いている。
だから、たまった政務に身をこやす・・・そんな日々を送っていた。
趣味の農業に、常に政務から抜け出す事しか考えていない主の目付け。
頭の痛くなるような膨大な量の書類に目を通しつつ、休憩時には茶菓子を横に主と語らう。
そんな日々が続けば、必然と身体はどんどん鈍っていく。
だから、小十郎は毎夜ここで、技を磨いていたのだったわけだが。
「・・・・・・。」
何だったんだ、今のは・・・。
もう一度、思考が逆戻りする。
一瞬過ぎて、人間だったのかどうかもわからない。
いや、人は人だったのだが・・・。
こんな夜更けに。
しかも、人里離れた山の中だぞ・・・?
落ちたら命を落とす危険もある、断崖絶壁の滝壷だぞ・・・?

目を見張る小十郎の前で、それは何の躊躇もなく断崖から滝壷の中へと跳び込んだ。
「!!」
思わず駆け寄ろうとした小十郎は、月明かりに照らされたそのしなやかな肢体に、思わず足を止めた。
怒涛の勢いで流れ落ちる滝の水飛沫と、その中央で穏やかに佇むのは、やたらと細い色白の身体。

綺麗だったな・・・。

髪や身体を滴り落ちる水滴が、月明かりに反射してきらきらと輝いていた。
そして。
小十郎が声をかけた瞬間、その姿は跡形もなく消えたのだ。
先程まで女が居た滝壷の元へと、小十郎は静かに歩み寄った。
するとその眼前に、一枚の白い布切れが目に入った。
その岩肌に、ひらひらと揺れるように引っ掛かっていたのは、真っ白いサラシ。
あの女の物か・・・?
なんでこんなもんが・・・
そんな事を思いながら、小十郎はそれに手を伸ばした。
「っ・・・・・・」
ちくりと軽い痛みを覚えたのは一瞬。
自覚もないままに、小十郎はその場に崩れ落ちた。



ごめんね・・・。



そんな声が、聞こえた・・・気が、した・・・。




「ん・・・」

「あ、気がついた?」

うっすら目を開けると、目の前に明るい髪色が飛び込んできた。
「あ・・・?」
「急に倒れるんだもん、びっくりするじゃないのさ」


倒れる?


誰が?

「!!」

がばっと小十郎が身を起こした。
「わぁっ、いきなり何だよ!?」
「お前・・・何者だ?」
瞬時に間合いをとり、明らかに警戒の色を浮かべるその眼差しに、女は苦笑した。
「人の裸見といてよく言うよね」
そういってわざとらしくため息をつくその女に、視線は釘付けになる。
それに気付いたのか「俺様の身体で悩殺されちゃった?」と悪戯な笑みを浮かべて、目の前の女は小十郎に視線を合わせた。

「っ・・・」

そうだ、思い出した。
この滝壷で、自分はこの女の身体を・・・。

「すまねえ、その・・・不可抗力だ」
「わかってるよ、その位」
何故このようにして、自分が倒れていたのかはわからない。
だが、目の前に居るこの女が、滝壷で見たあの女と同一人物なのだ、ということは理解した。
「お前・・・ここいらに住んでるのか?」
ここは、小十郎が密かに修行を積んでいる場。
だが自分以外にも、ここを秘密の場として愛用していた者・・・つまりこの女の方が、実は先見者なのかも知れない。
普通なら、見ただけで怖いと思うあの滝の中へ、躊躇なく飛び込んだ。
しかもこんな夜更けに。
慣れていなければそんな事は出来ないだろう、そう思って小十郎が聞いたのだが。
女はその問いに、ゆっくりと左右に首を振った。
「?」
「いろいろと旅して回ってるんだ」
つまりは余所者だと。
まあ、確かにこのような髪の色の人間が、自分の領内に住んでいたのならば。
間違いなく頭の片隅に残るか、と小十郎が独りごちた。
「こんな所に女ひとりじゃ危ねえだろうが」
疑問が解決すると、今度は興味と心配が先立ってくる。
「宿取れるほど裕福じゃないもんで」
町中でふらふらしているよりは、人里離れた場所の方が安全かなと思って。
そう答えた女に、不覚にもああ成る程な、と思ってしまった自分に小十郎は舌打ちした。
すらりとした長い手足に、色白の肌に小さい顔。
目元と鼻先を覆う深緑色の塗料が、その色の白さを余計引き立てる。
これ程の女が宿も取らず、それこそ城下町の中でひとり野宿でもしようものなら、その方が確かに危険だとそう思ったのだ。
あの時、小十郎が一瞬見とれてしまった程の女だ。
間近で見れば見るほど、その部位に目が離せなくなる。
「泊まる所がねぇなら、一緒に来い」
「え・・・?」
「泊めてやる、こんな冷たい水じゃなく、きちんと湯浴みをさせてやる」
予想だにしなかったのか。
女は一瞬きょとんと小十郎を凝視した。
そして。
「ありがとう」
そう言って満面の笑みを浮かべた。
「あんた、優しいんだね」
俺様大感激〜、などと軽口を叩きながら、女は小十郎に倣いゆっくりと立ち上がった。
「でも、やっぱりもう行くよ」
笑顔で告げるその言葉に、心なしか残念だと思ってしまった自分に、小十郎は眉を顰める。
そんな小十郎を不思議そうに見つめながら、女はひらひらと手を振った。


「またね、片倉小十郎さん」


「っ・・・!!」
何で名前を・・・と、そう問おうとしたその時には。
先程、滝壷から姿を消した時同様に、女は颯爽と小十郎の前から姿を消したのだった。



落ちていたサラシはいつの間にか消えていた・・・。



   * * *



「こんばんは〜・・・お便りですよ、っと」
そんな間延びした声と同時に、クナイに繋ぎとめられた書簡が足元に突き刺さった。
「Ha・・・相変わらずだな、猿」
「お蔭様で」
「姿を現すなら直接渡せばいいじゃねぇか」
「仰る事は御尤も。」
驚いた素振りも見せずに、ゆっくりと伊達政宗は書簡を手に取った。
「織田がそろそろ動くみたいだよ」
佐助の言った事は、まさに今政宗が目を通している書簡の内容そのもので。
だったら口頭でいいじゃねぇか、などと思いながら、目の前でへらへらと笑う忍びを一瞥した。
「・・・というわけで、お返事を早急に持ち帰って来いと。」
そう命じられてしまったのだから、このまま政宗が返事を書くのを待っていなければならないのだ。
姿を現すしかなかったのだと、ようやく政宗は、この忍びの行動に合点がいった。
さらさらと上質和紙を墨で埋めると、そのまま政宗は返信を佐助の方へと押し出した。
「毎度〜♪」
口調とは裏腹に丁寧に受け取ると、佐助は軽くそれに風を送り墨を乾かした。
「じゃあ、またね」
それを丁寧に懐に収め、佐助は素早く窓枠へと舞った。
「ちょっと待て」
「何?」
そのまま一気に外へと飛び発とうとした佐助に、背中から鋭い声がとんだ。
「ついでに一件、用事を頼まれろ」
「何、その横柄な態度」
「白石の・・・片倉小十郎にこの件、伝えてから帰ってくれよ」
「はぁ!?」
心底嫌そうに佐助が眉を顰める。
「時間の短縮、ってやつだ」
「そりゃ怠慢だ旦那、あんたが伝えろよ」
俺様あんたの忍びじゃないんですけど。
と、むっとしたように軽く睨み付ける佐助の視線を、全く気にした素振りもなく、政宗は嘲笑った。
小十郎の居城は、甲斐に帰る途中にある。
どうせ通過するんだ、その方が軍事も早く進む、一石二鳥だろう?
そう悪ぶれもせずに言うこの殿様に、佐助は諦めたように大きなため息をついた。



「全く忍び遣いの荒いこって・・・」
というか。
何故、他国の人間にまで俺様こき使われちゃってるわけ!?
あり得ないんだけど!!
そう憤りながらも、佐助は律儀に白石城に向かっている自分に苦笑した。

片倉小十郎、

あの日、不覚にも無防備な姿を見られてしまった。
今になって、あの時、倒れた小十郎をそのまま放置して姿を消さなかった事を後悔した。
自分が女である事は、真田の領内の一部にしか知られてない事だ。
同盟国の人間である小十郎とは、いつか正面きって対面する事もあるだろう、そんな事はわかりきっていたのに・・・。
「潮時、かな・・・」
別に隠しているわけではないし、こういう日もいづれ来るのもわかっていた。
少しだけ複雑な心境を抱きつつ、佐助は見えてきた城の中へと侵入して行った。

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