幸♀佐

□初めてを貴方に
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しまった、と。
そう自覚する時は、いつだって同時に後悔が襲いかかるものなんだ。
「ぁ・・・・・・・・・、」
そう、今だって。
旦那の視線は俺様の胸元に釘付け。

俺様の胸に、女のふくらみがある・・・だなんて。

あんたは考えた事もなかったんだろう?



 ≪初めてを貴方に≫



佐助を呼べ。

そう霧隠才蔵が主から言伝られたのは、その日の夕餉を終えた後だった。

「・・・往生際が悪いですよ、長。・・・さっさと行って下さい」
幸村の元へ、佐助が行きたくない気持ちはわかる。
わかる・・・のだが、才蔵とて主の伝言を無視したと思われるのは心外なわけで。
「長、」
いつまでたっても動こうとしない忍隊長に、才蔵は再度行動を促す。
「わかってるよ、わかってるってば・・・」
心底嫌そうな溜め息をつきながらも、猿飛佐助は渋々ながら、とうとうその重い腰を上げた。

・・・幸村の話の内容はわかっている。

多分。

今日で自分の御役目は終わりなのだ、と。

本能がそう告げていたから。

だから。

佐助はじっと才蔵を見つめた。
この端正で真面目な男の表情をしっかりと目に焼き付けながら、佐助はある一つの決断を下す。
「次の長は・・・あんたに任せた」
おそらくこれが、真田忍隊長としての最後の言葉に、なる。
佐助が至極真面目な表情を見せたのは、ほんの一瞬。
だが次の瞬間には、いつものへらりとした笑顔を浮かべ、佐助は潔く忍隊の詰所を飛び出して行った。



・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。



失礼しますよ〜、
と、いつも通りの軽い口調と共に、佐助は主、真田幸村の前に跪いた。
佐助の姿を捉えた幸村の表情は固い。
表に出したい感情と隠そうと努める感情とが、複雑に入り混じっている幸村のその葛藤が、佐助には手に取るようにわかってしまった。
「・・・・・・、」
「・・・・・・。」
話を切り出したいと思うのに、その糸口が見つけられず、なんと言っていいのかわからないのだ。
だが。
「佐助、その・・・あの・・・・・・」
とうとうその覚悟を決めたのか、意を決したように幸村が言葉を切り出した。
「・・・・・・っ、だからっ、あの、その・・・だな・・・」
それでもどうしてもその真相を口に出来ず、幸村は再び口を噤んでしまう。
そんな幸村に業を煮やしたのか、はたまたいたたまれなくなったのか・・・佐助もまた、覚悟を決めたように小さく息を吐いた。
「・・・さっきの話だろ」
「うっ・・・うむ・・・、」



・・・・・・・・・。



事件は今日の昼下がりに起こった。


今日は、いつも佐助が庭と称して修練を行う角間を離れ、滝壺に来ていた。
同じ忍隊の仲間 由利鎌ノ助の修業に付き合う為だった。

忍びには、水の上を自在に歩くという特殊な技がある。
そして、誰でも簡単に会得出来る技ではないそんな高度な技を、完璧に会得したいと修業に臨む鎌ノ助を、冷やかし半分、指導半分の目的で、佐助は才蔵と共に其処に居たのだ。

「由〜利〜・・・」
陸地から佐助が声をかける。
「水面に波紋残し過ぎ〜・・・つか波風立ててどうすんの」
対岸の俺様んとこまで波広がってんじゃん、と、そう指摘する佐助に、
「うっせぇよっ!」
頭じゃわかってんだよっ!!
と、間髪入れずに鎌ノ助が怒鳴り返してくる。
だが鎌ノ助が怒りの感情を露わにした途端、その身体がぐらりと揺れる。
「あ、今・・・魚逃げましたね・・・」
バランスを崩し片足を水面下に落とした鎌ノ助を見ながら、才蔵が苦笑した。
「全く・・・」
同じく苦笑を浮かべながら、佐助はとんっと軽く地を蹴る。
鎌ノ助がまばたきを一つする間に。
「惜しいんだよねぇ、あと一歩なんだけどな〜・・・」
「っ、てめぇっ・・・」
モノも言えぬ速さで、佐助は水上の鎌ノ助の目の前へと移動していた。
「ほんとに雑念が多いっつ〜か、集中力に欠けるっつ〜・・・・・・


「佐助えぇぇえっ!!」


その時だった。
「えっ・・・!?」
したり顔で佐助が鎌ノ助に説教を説こうとした、まさにその瞬間。
「凄いで御座るっ、格好良いで御座るっ!!」
突然の不意打ちに。
「さすが佐・・・・・・すぅけぇえっ!?」
ばしゃん、と大きな飛沫をあげて、佐助は水の中へと落下したのだった。
(なんか・・・旦那・・・居る、し・・・)
なんで?
なんで来ちゃってんのっ!?

自分達が此処に居る事は言って来なかったのに。

・・・本当に神出鬼没な主様だ、と思う。
というより。
(護衛ついてないじゃん・・・何考えてんだよ全く、)
此処も真田の領内とはいえ、軽々しくひとりで出歩くなと。
いつもあれほど言っているのに・・・。
などとぶつぶつ考えていたら、ふいに強い力が佐助の思考を遮った。
「おい長っ!!」
すぐに浮上せずに、ぶくぶくと水面下に沈んでいく佐助のその腕を、鎌ノ助が引き上げようと掴んでいたのだ。
それには抗わず、素直に鎌ノ助の力を借りて、佐助は再び水上へと這い上がった。
「・・・ありがと」
「何やってんだよ・・・情けねぇなぁ」

これが不意打ちじゃなかったら。

いや、たとえ不意打ちでも。
相手に殺意があったのなら、絶対に気配は見逃さない。
こんな不様な醜態なんか、晒さない。
たまたまだ。
たまたま、相手が幸村だったから。
感情制御が一瞬利かなくなって、心拍数が上がってバランスを崩しただけだ・・・。
そう鎌ノ助に言い返したかった、けれど。
「人の事 言えねぇなあ長、集中力が何だって?」
そうニヤニヤ笑いながら自分を見下ろす鎌ノ助に、佐助は気まずそうに俯くしか出来なかった。
「はは、ほんと・・・面目ねぇや」
幸村の存在ひとつで、身体の機能と感情を全て持ってかれた・・・だなんて。
どう言い繕っても、結局は往生際の悪い言い訳にしかならない。
「俺様もまだまだ修業が足りない、ね」
情けなさそうに苦笑して、佐助は才蔵と幸村の居る岸へと水面を歩き出した。
それに無言で鎌ノ助も続く。
幸村の登場と西日の傾く位置が、修練時間の終了を伝えていた。

「さっ、佐助、大丈夫か!?」
岸に辿り着いたふたりに、幸村が駆け寄ってくる。
「ったく・・・突然現れんなよな〜、あんたのせいだからな」
「すっ、すまぬ・・・」
これは佐助の完全なる八つ当たりだ、
そう自覚があるだけに、ニヤニヤ笑いながら此方を見つめる才蔵と鎌ノ助の視線が、余計に気まずくて仕方ない。
「さ、帰ろうぜ旦那、そろそろ夕餉だろ?」
「うむっ、だから迎えに来たのだ!」
「迎えにって・・・どんな野生の勘してんだよあんたは」
本当に、よく此処に自分達が居るとわかったものだ。
そんな軽口を叩き合っている矢先に、佐助がくしゃみをした。
「佐助?」
一瞬小さく身震いをした佐助に、幸村は目ざとく気付く。
春先、とはいえ甲州の水温はまだまだ低い。
ぴたりと肌に纏わりつく濡れた装束が、夕方の気温に酷く冷たく感じられた。
「佐助、これを・・・」
迷うことなく、幸村は自分の真紅の羽織りを佐助へと差し出した。
だが。
「なっ・・・、馬鹿じゃないの!?」
返ってきたのは、焦ったように幸村を叱りつける佐助の口調だった。
「ったく何考えてんだよ・・・俺様は平気だってば」
もぎ取った羽織を幸村に着せ直して、佐助は大きくため息をついた。
「いつも言ってるけど・・・頼むから自覚持ってくれよ、主に風邪ひかせるわけにはいかないんだよ」

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